への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

新緑の木曽路を行く②―寝覚の床(上松町)

2021年04月30日 | 遠出

新緑と清流が美しい阿寺渓谷から国道19号にもどり、さらに北上して長野県上松(あげまつ)町に着きました。

もう、1時を回っていたので、ここで昼食です。蕎麦の名店越前屋に入りました。

 

越前屋 (2021/4/27)

ここは創業400年、日本で2番目に古い蕎麦屋だそうです。店に入ると、まだストーブを使っていました。さっそく注文。

盛天そば 1つ

待っている間に、箸袋の裏を見たら文字が。「そばは白く やくみは青く 入物は赤いせいろに 黄なる黒文字」と。なんと、十返舎一九がここに立ち寄った際に詠んだものだそうです。一九のほかにも、安藤広重や松尾芭蕉など多くの著名文化人が来ているそうです。

出てきました。一九が言っているように、白い蕎麦。

美味しくいただきました。お腹も膨れたので、寝覚の床に移動です。

 

寝覚の床 (2021/4/27)

越前屋の前の道を渡り、下の木曽川をのぞき込むと、「絶景!

大きな箱を並べたように、巨石がいくつも横たわっています。ここが寝覚の床です。

 

中腹まで下りてきました。下の公園ではまだ、桜が咲いていました。

 

左に大きな四角い岩があります。屏風岩です。その右にある大きな岩は床岩です。床岩の後ろに、松が生えていて祠(ほこら)もあります。この祠を浦島堂といいます。

じつはここ、浦島太郎と関係があるそうです。言い伝えによると、竜宮から帰った浦島は、諸国をめぐる旅に出て、この地で玉手箱を開け、一瞬にして老人になったそうです。つまり浦島がここで“眠り”から覚めて我に返ったということで、寝覚の床というのだそうです。

 

下流の光景です。白い丸い石がごろごろ。

 


日帰りで木曽路に行ってきました。

もうすぐ5月だというのに、ストーブを使っていたり、桜が咲いていたり。への次郎が住んでいるところより、季節のめぐりがひと月遅れているようでした。おかげで新緑を2度も楽しむことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新緑の木曽路を行く①―阿寺渓谷(大桑村)

2021年04月29日 | 遠出

国道19号を北上して長野県の木曽谷にやって来ました。

木曽谷に大桑村があります。ここは中山道の野尻宿があったところ。野尻宿に入ってすぐ左折すると、やがて木曽川に出ます。そこに橋があって、阿寺橋。橋を渡ったところで車を止め、木曽川の上流を見ると、「中央アルプス!」。まだ雪が残っていました。

写真には映っていませんが、左斜面に巨大なソーラーパネルが設置されています。美しい光景が台無しです。

 

阿寺渓谷 (2021/4/27)

阿寺川が木曽川に流れ込むところです。阿寺川の右岸に道があります。この道を上っていきました。

 

しばらく行くと、廃線の鉄橋がありました。かつて野尻森林鉄道が中央本線の野尻駅を起点に、阿寺川沿いを走っていて、ヒノキなどの木曽名木を運び出していました。

 

先に進むと「狸ケ淵(タヌキがふち)」がありました。ここでタヌキが化けた姿を淵に映して見たそうです。この色、死ぬまでに一度は見たいといわれている「阿寺ブルー」です。

 

そのちょっと先にあるのが「犬帰りの淵」です。狩人が犬を連れてこのあたりまで来ると、山の険しさから、犬が進むのを嫌がったそうです。

 

さらに進むと、島木赤彦の歌碑がある駐車場に着きました。ここに駐車して川に下りました。川岸から上流を見ると、吊り橋です。この吊り橋を渡って、右岸に行きました。

 

右岸に渡ったところに、熊よけの鐘がありました。それを鳴らしたあと、山を登ったり下ったりして小さな滝に着きました。「六段の滝」です。ただ近すぎて、滝の一部しか見えませんでした。

 

阿寺渓谷はさらに奥に車で進めますが、ここで引き返して次の目的地に向かいました。

                                   つづく

 


フジの花と牡丹を見に行く(羽島市・大垣市 ③)

2021年04月27日 | 

お茶屋屋敷で牡丹を鑑賞したあと、帰途につきました。

大垣インターをめざして大垣市内を走っていたら、突然、緑の中に紅紫色が無数に点在する光景が目に入ってきました。

 

懐かしい!

思わず大声が出るとともに、ブレーキを踏みました。レンゲの花です。

 

昔は日本中どこでも、田にレンゲを植えたものです。これは、春にマメ科のレンゲと一緒に田を耕して、稲が必要とするチッソ成分を地中にすき込むためです。しかし化学肥料が普及するとともに、レンゲを植えることは少なくなり、今ではほとんど目にしなくなりました。

紅紫色の地味な花ですが、春ののどかな光景によく似合います。

最後に懐かしい光景を見ることができました。

 


フジの花と牡丹を見に行く(羽島市・大垣市 ②)

2021年04月26日 | 

赤坂スポーツ公園でフジを見たあと、JR美濃赤坂駅の近くに来ました。

江戸時代、ここに中山道の美濃赤坂宿がありました。宿場の西に徳川家康によって築かれたお茶屋屋敷が残っていて、牡丹の名所になっています。

 

お茶屋屋敷 (2021/4/23)

お茶屋屋敷とは、家康が上洛する際に休泊する場として設けられた施設のことです。当時は四隅に櫓があり、土塁や空堀もつくられて防御機能も備えていました。今でも遺構の一部が残っていますが、規模はずっと小さくなっているそうです。

このあたりは道が狭いため、少し離れたところに駐車し、南の方から徒歩で向かいました。近づくとやがて、竹の枝で塀をこしらえた一角が現れました。塀の中がお茶屋屋敷です。

 

さらに進むと門がありました。武士でも現れそうな雰囲気です。

 

門をくぐって中に入ると、「緑のトンネル!

突き当りは立ち入り禁止区域。右側に牡丹園がありました。

 

牡丹園 (2021/4/23)

牡丹園に入ると、色とりどりの牡丹が満開でした。ここには約80種類800株の牡丹が植わっているそうです。奥に見える建物は、ここの所有者の住居でしょうか?

 

牡丹を鑑賞しながら奥に進みました。

 

奥から牡丹園の入口付近を見た光景です。手入れが行き届いていました。

 

牡丹を鑑賞したあと、ルートを変えて帰りました。前に盛土が見えますが、これが土塁の一部です。右にくぼ地が見えますが、これが空堀の一部です。土塁を越えて進むと、入口の門のところに出ました。

 

現在ここは、個人の所有になっていますが、ご厚意により牡丹園は公開されているそうです。

快晴で気温が高いと、牡丹のような薄っぺらい花は弱ります。この日は気温が20度を超えた程度で、曇りがちの晴れでした。牡丹を鑑賞するには、絶好の日和でした。

                                          つづく

 

 


フジの花と牡丹を見に行く(羽島市・大垣市 ①)

2021年04月25日 | 

岐阜県羽島市と大垣市に行ってきました。目当ては、フジの花と牡丹です。

名神道を岐阜羽島インターでおりて一般道を北上すると、羽島市役所に着きます。そのすぐ北に竹鼻別院があります。ここは真宗大谷派のお寺ですが、フジの花の名所でもあります。

 

竹鼻別院  (2021/4/23)

近くの公共施設に駐車し、徒歩で近づくと、山門の外からフジ棚がちらりと見えました。

 

境内に入ると、「うぉ! 満開だ

 

よく見ると、フジ棚の真ん中にフジの巨木がありました。そこからたくさんの枝がフジ棚の四方に伸びていて。フジ棚の上からは、無数のフジの房が垂れ下がり、その間をたくさんのマルハナバチでしょうか、忙しく飛び回っていました。

 

羽島市観光協会のHPによると、ここのフジの樹齢は300年、根回り2.3m、枝張りが東西33m、南北15m、樹高2.4mだそうです。

 

コロナのために今年も、ここのフジ祭りが中止になりました。そのせいか見に来ている人は少なく、ゆっくりフジを鑑賞することができました。

 

 

赤坂スポーツ公園  (2021/4/23)

竹鼻別院から、大垣市の赤坂スポーツ公園にやって来ました。ここにもフジ棚があって、総延長は840m、東海地方最大級だそうです。

駐車場に入るとすぐ、フジ棚が目に入りました。下車して見回すと、この公園を取り囲むようにフジ棚が設置されていました。フジ棚が日陰をつくるからでしょうか、棚の下を散歩する人たちがいました。

 

さっそく一周。歩いていて気づいたんですが、数メートルおきに、異なる品種のフジが植えられていました。

大垣市のHPによると、フジは全部で約20種類100本もあるそうです。中には六尺フジ、九尺フジといって、花房が長いと150~200㎝になるものもあるそうです。びっくり。                        

                                  つづく