への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

小玉スイカを収穫しました

2024年07月30日 | 菜園

今年の小玉スイカ、結局、4つ着果しました。

 

一、二番果は、の予約が入りましたが、一番果の収穫後すぐ、こちらに来られなかったため、祖父母で味見をしました。

食べてみると、過去最高に甘く育っていました。元肥を早めに投入し、土の中で熟成させたのがよかったのかもしれません。

 

この日、やっと来たため、二番果を収穫しました。

への次郎 「ずっしり重いぞ

家でサイズをはかったら、長さ19センチ、胴回り45センチ、重さ2.02キロでした。

 

冷蔵庫に入れて、2、3時間冷やし、3時のおやつに切ってみると、

孫娘 「わっ! 赤いね

 

食べやすいように、切り分けて食べてみると、

孫娘 「甘い!

 

確かに中心部に近いところは甘いのですが、皮の近くは味が少し薄まっていて、一番果には及びませんでした。

 

三番果は、昼寝していてスイカを食べられなかった弟が土産に持ち帰ることになりました。

                                        


遅れた土用の丑のうなぎ

2024年07月28日 | 食卓

最高気温37度が予報されたこの日、朝イチで岐阜県土岐市アウトレットに行きました。

 

帰り道、道沿いにうなぎの大きな旗が出ていました。

への次郎 「土用に食べてなかったなぁ

 

うなぎの文字につられ、つい駐車場に入って、旗の前に回り込みました。

店員さん  「えらっしゃい!

店員さんの両手には、串刺しのうなぎ六匹。うまそうに焼き上がっていました。

 

目の前のテーブルを見ると、

特々大サイズ、毎週土曜日、香ばしく焼き上げ、三河一色産、2580円・・・。情報が要領よくまとめられていました。

 

このあと店員さんは、うなぎの焼き具合をわざと見せるように、こちらに突き出しました。

その途端、焼き上がったうなぎの濃い匂いが鼻を突きあげ、思わず、

への次郎 「そそ、それっ、ちょうだい

 

 

この日のランチ、うな丼になりました

奥さん  ん! これは本物だわ~

への次郎 「蒲焼はうなぎに限る! ナスじゃダメだ

                                         


2泊3日の山形夏旅 紅花資料館

2024年07月26日 | 旅行

寒河江の慈恩寺から、河北町に戻って来ました。

 

今回の旅の目的は紅花。この町の紅花資料館紅花畑があります。もう花は、終わっていると思いますが、折角だから旅の最後に寄ってみました。

 

資料館に着きました。

駐車場の向かい、立派な塀に立派な門をもったお屋敷がありました。

 

ここは江戸時代、紅花商で財を築いた堀米(ほりごめ)の屋敷です。現在、町に寄贈された屋敷跡が資料館として公開されています。

 

立派な番所付長屋門をくぐると、

左手前に武者蔵がありました。

 

江戸末期の混乱期、堀米家は農兵167名を組織、武器を与えて地域の治安に尽力しました。そのとき武具をこの蔵に納めていました。

 

武者蔵から出てくると、手前の木の後ろに建物が見えました。

 

入ってみると、玄関に紅花のドライフラワーが飾ってあって、

その奥では蔵の中に部屋が造られていました。ここは座敷蔵といって、客室として使われていたそうです。

 

座敷蔵から出てきて、奥に進むと、

幕府から発給された御朱印状を納めた御朱印蔵がありました。

 

さらに奥に進むと、右奥に紅の館があって、その後ろに回ってみると、

奥さん  「あっ!

への次郎 「やっぱり!

紅花畑がありましたが、花は付いていませんでした。予想されたことでしたが、落胆。

 

紅花畑の奥のハス池を見たら、ハスの蕾。

次の花の主役が待ち構えていました。

 

3000坪以上の広大な屋敷跡、これ以上足を踏み入れることなく、

ここで駐車場に引き返すことにしました。

 

奥さん  「白鷹町まで行ってよかったね

への次郎 「ほんと。見られたからね、紅花

 

 

紅花資料館に別れを告げ、少し走って山形空港に戻って来ました。

レンタカーを返し、搭乗手続きと保安検査を済ませ、展望デッキに出ました。

 

奥さん  「向かいの山、高いね~

への次郎 「奥羽山脈だ。山の向うは宮城県

奥さん  「金色の飛行機、来ないね

への次郎 「もしかして、あれっ!?

 

急いで降りて行ったら、帰りはあの緑色の飛行機でした。なんとか間に合いました。

 

 

梅雨末期で天候が心配されましたが、曇り空で何とか持ちこたえました。念願の紅花を見ることができたし、山形県内の各地で歴史的建造物等を見学し、郷土料理もいただけました。2泊3日の山形夏旅、大変満足しました。

                                              


2泊3日の山形夏旅  慈恩寺

2024年07月25日 | 旅行

田舎そばで腹を満たした二人、山を登って慈恩寺の駐車場に車を止めました。

 

車から降りると、

奥さん  「あの山門から入るのかな?

への次郎 「いや、もっと左の方だね

 

案内板に従って行くと、

奥さん  「まっすぐ進むと境内だね

への次郎 「左に行くと山門があるよ

 

ありました山門

奥さん  「立派だね

への次郎 「1736年の完成だって

 

ここでも、浅野さんはロケをしていていたんですよ。(『農家の嫁は弁護士3』)

殺人犯を疑われた夫の無実を晴らすために、刑事に食い下がる浅野ゆう子さん。

 

山門をくぐって境内に入ると、重要文化財の本殿に、囲いが組まれていました。

奥さん  「えっ!?

への次郎 「茅葺屋根の修理らしいよ

 

ただ囲いが一部、開放されていたので、のぞいてみると、

工事の様子を見学することができました。

 

囲いから出てくると、鐘楼が目に留まりました。

への次郎 「こっちの修理も必要だね

奥さん  「向こうに塔の先っぽ!

 

鐘楼の向こうに行ってみると、眼下に三重塔が見えました。

初代三重塔は1608年に完成。1823年に焼失したため、1830年に二代目が再建されました。

 

降りて行って、正面から見上げました。

奥さん  「高さはどれくらい?

への次郎 「22.4メートルだって

 

しばらく三重塔を見上げたあと、もう一度、鐘楼のところに戻って来て、見下ろしました。

この真下に慈恩寺テラスがあるんですが、見えませんでした。

 

この山にお寺が開かれたのは、天平18年(746年)、聖武天皇の時代。江戸時代には、3寺48坊からなる巨大な寺院群を形成していましたが、いまは静かにたたずんでいました。

 

奥さん  「急に蒸し暑くなってきたね

への次郎 「冷たいものでも買おうか

 

 

蝉時雨の中、駐車場に向かっていたら、こんなものを見つけました。

ここは寅さんのロケ地。もちろん、知っていましたよ。

                                つづく

                                                             


2泊3日の山形夏旅  寒河江

2024年07月24日 | 旅行

山形夏旅、二日目はここに泊まりました。河北町のひなの宿です。

向かいに、源泉かけ流しの天然温泉施設ひなの湯があって、無料で入れました。

 

三日目の朝、部屋のカーテンを開けたら、雨。

奥さん  「こっちに来たら、毎朝、雨ね

への次郎 「予報では、11時には上がるって

 

雨で予定を変更し、午前中は道の駅で買い物をすることになりました。

おかげで、定食形式の朝食をゆっくりいただきました。

 

 

道の駅 寒河江

雨の中、隣り町寒河江(さがえ)にやって来ました。ここは道の駅寒河江

地元では、チェリーランドと呼んでいるようです。

 

広い店内には、地元だけじゃなく、県内各地のお土産が置いてありました。

への次郎 「そういえば、この旅で食べてないなぁ

奥さん  「そうね、山形の郷土料理の王様よ、これ

 

 

慈恩寺テラス

いも煮などを買って、道の駅から慈恩寺テラスに移動して来ました。

向かいの山の上に、かつて慈恩寺を中心に巨大な寺院群が存在していました。

 

入場無料の館内では、展示物や映像で、慈恩寺の歴史が紹介されていました。

 

慈恩寺の歴史を学んで出てきたら、お土産コーナーの向こうに、

奥さん  「レストランがあるよ。寺そばだって

への次郎 「そばは、別のところを予定してるんだ

 

 

慈恩寺そばや

そばが食べられる慈恩寺そばやにやって来ました。

 

内部は、土壁むき出しの農家風。通路側の土壁に、古い農具がぶら下がっていました。

奥の囲炉裏のところ、実は浅野ゆう子さん主演の『農家の嫁は弁護士』が撮影されました。

 

ほら。真ん中左奥の顔を上げている人が浅野さんです。

浅野さんたちは、普通にすすっていましたが、それはかなり難しいですよ。なぜ?

 

ほら、こんなに太い田舎そばなんですよ。(中板1050円税別)

箸ですくって口に持っていき、むしゃむしゃ。しっかり噛んで、ごくん。

 

への次郎が注文したのは、月山雪かぶりそば(※中板1250円税別)

田舎そばの上に、大根の細切りがのっているだけでした。

※長い板の上に盛り付けた板そばは、山形県の内陸部で食べられていたそばです。

 

手こずりながら、やっと田舎そばを平らげて出てきたら、予報通り、雨は止んでいました。

                                 つづく