への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

白樺湖の黄金アカシア

2021年09月30日 | 散策

箕輪町で赤そばの花を見たあと、白樺湖に行くことにしました(2021/9/28)。この時期、黄金アカシアが見ごろを迎えているはずです。

 

赤そばの里を出てすぐ、棚田が見えました。ちょうど稲刈りの最中でした。後ろの山は、中央アルプスです。

はぜかけだ! 真ん中の田んぼ。めずらしい

 

白樺湖につきました。向こうの山は、車山高原。駐車場から湖畔に出てみると、

おや、曇ってきたなぁ

標高1400メートル、気温は22度。半袖だったので、思わずパーカーを羽織りました。

 

湖畔の近くに、ナナカマドの木。

あれ?  赤い実はついているけど、葉がかなり落ちている

 

黄金アカシアを見るために、レイクサイドガーデンに向かうと、

あっ! 葉っぱが少ない

 

こっちの黄金アカシアも。強風で葉は散ったのでしょうか。

 

あわてて、お目当ての黄金アカシアと花の丘にのぼるリフトに行くと、

無残!

リフトの上の方の黄金アカシアは、ほとんど葉がついていませんでした。もう、ガッカリ。これも8月豪雨の影響でしょうか。リフトに乗るのは、やめました。

 

3年前に来たときは、きれいでしたよ、こんなに。

 


信州伊那の秋 赤そばの花

2021年09月28日 | 

中央道を一路北上し、伊北インターで下道に降りました(2021/9/28)。ここは、長野県箕輪町です。高速道の西側を並走している道を南に少し走り、赤そばの里に来ました。

 

ここは標高900mの高地です。東京ドームとほぼ同じ程度の広さの畑で、高嶺ルビー2011という品種の赤そばが栽培されています。

 

駐車場から歩いて、谷を一度おりて、再び上っていくと、手作り看板。

看板の向こうに、ピンク色がちらり。全体が見渡せるよう、この土手に上がりました。

 

土手の上に立っと、

わっ! 一面の赤ピンク

右上の十字路のあたりが、そば畑の中心地です。十字路のあたりに黒い筋がいくつも走っていました。これは8月の豪雨の傷跡です。

このあと、左奥に移動し、緑の土手筋に右側に行き、十字路から上奥に進みました。

 

花を見ながら、手前の赤そばと、右のそば畑の間を左奥に移動しました。

 

このあたりは、赤ピンク色が濃いです。

 

アップしてみると、茎、葉の葉脈も赤色です。

 

ちよっと広角に。

 

上奥にやってきました。向こう側が入口方向です。

ここからも、黒い筋が見えました。

 

帰り際、案内に出られていた地域の方にお話を伺いました。

昨年はコロナのために種まきを控えたそうです。そしたら種をまいてほしかったという要望が強かく、今年は種をまいたそうです。ところがその直後、8月豪雨に見舞われ。復旧のために多くの人に手伝ってもらい、やっとお客さんを迎えられる状態になったそうです。

頭が下がる思いがしました。

 

 


江戸の面影を残す七宿場(その二) 妻籠②

2021年09月26日 | 宿場町

妻籠宿(上町・中町・下町)

このあたりから、上町でしょうか。

めずらしい、洋風建物

枡形の向かいにありました。これは明治時代に建てられた村の警察署。その後、役場などに使われ、現在は観光案内所になっています。

 

街並みを見ると、

っ! 車。入っちゃいかんでしょ。でも、絵になる

 

その先に、郵便局

黒ポストです。明治初期、郵便ポストは黒塗りだったようですよ。

 

さらに先には、本陣

本陣には、島崎藤村の親戚にあたる島崎氏が任命されていました。木曽では有力な一族なんでしょうね。

 

本陣の隣りは、

柏屋とその向かい、うだつがあがっている!

 

その先には脇本陣がありました。

明治13年、明治天皇がここで、ちょっとお休みになったようですよ。右に石碑があります。

 

中町はこのあたりからかな、と考えていたら、突然、前方に大きな猫が現れ、

思わず声をかけました。

  への次郎 「兄ちゃん、兄ちゃん、どこへ行くんだぁ」                     

  猫    「  」

急いでいたのか、何も反応することなく、足早に立ち去りました。

 

猫の後ろに看板を発見。「お食事」の文字。妻籠で看板とは、珍しい。行ってみると、

下の方に、旅館藤乙(ふじおと)がありました。食事もできるとのことで、入ることに。

 

旅館独特の大広間に通されて、迷わず、そばを注文。

二八そばです。木曽では、そば屋じゃなくても、そばは美味しいですね。

 

藤乙の先です。そろそろ下町でしようか。

寺下地区とは、雰囲気が異なるなぁ

 

上り坂にやって来ました。

右に水車小屋、後ろに大きな柿の木。左上に高札場です。

宿場町は、このあたりでおしまいかな

 

高札場の先には、

口留番所(くちどめばんしょ)がありました。建物はありません。

木曽から来た道は妻籠を出ると、馬籠に行く中山道と、飯田方面に行く道に分かれます。ここは交通の要衝。そこで、木曽から妻籠に入るここで、人と物資をチェックしていました。

 

番所の先に、大きな岩。「中山道三名石」の一つ、鯉岩(こいいわ)です。

う~ん。とても鯉には見えない

どうも明治の濃尾大地震で崩れてしまって、姿が変わったようです。

 

鯉岩の向かいは、熊谷家(くまがいけ)住宅です。

江戸末期に建てられた長屋の一部だそうです。

 

その先の建物、入口の木戸に張られた真っ白の障子紙に、黒々と大きく「大吉」の文字。

旅館大吉です。最後に縁起のいい文字を見ることができました。

気分よく、ここで引き返し、駐車場に向かいました。

                                              

この日、妻籠には馬籠より多くの観光客が訪れていました。開いている店も馬籠より多かったです。長野県に緊急事態宣言は出ていません。しかし、賑わいは全く戻っていませんでした。

 

 

 


江戸の面影を残す七宿場(その二) 妻籠①

2021年09月25日 | 宿場町

馬籠峠から、くねくね急な国道を下りてきました(2021/9/21)。

ここは長野県南木曽町妻籠(つまご)です。中央駐車場に車を止めて散策を開始しました。

 

                  (妻籠宿見どころマップ より)

妻籠は中山道の42番目の宿場町です。                               馬籠峠からおりて来ると、古い町並みがよく保存されている寺下地区に入ります。          枡形を過ぎると、本陣脇本陣や旅館・土産物屋が多い上町中町にやって来ます。        さらに行くと、高札場周辺の下町へ入ります。                                          宿場の長さは270メートルといいますが、これは枡形から高札場までの距離でしょう。

 

妻籠宿(寺下)

中央駐車場から宿場に近づくと尾又橋がありました。立札に「左が車、右が人」と。

 

橋を渡りかけると、

キラキラ流れ落ちる水。(あららぎ)です。左奥に見えるのは発電所です。

 

橋を渡って、寺下地区に入ると、軒下にベンチを発見。

ごめんなさいよ

腰をかけて、買っていた野沢菜おやきをゴチに。やっと小腹が満たされました

 

っ! 時代劇の風景だ」 

三度笠にカッパ姿の渡世人が出てきそうです。

 

こちらは上嵯峨屋(かみさがや)。庶民の旅行が流行り、それに応えた安価な木賃宿です。

旅人は、食料持参で自炊し、板の間で雑魚寝したようですよ。

 

その向かいを見ると、

格子戸に、みの・笠・わらじがつり下げられていました。しょいこに入った菊も。

 

その先の町並みは、

いい感じ

左の店は、すし桶や曲げわっぱなどの木工製品を扱っているあぶらやです。

格子戸、何かぶら下がっている

 

わらの中に柿を入れてつるし、熟すのを待つそうですよ。

 

その先で道は二つに。

右は新しい道。中山道は左の直道で、石の階段を約2メートルほどおります。           寺下地区は、このあたりまででしょうか。

 

石段を下りる前に、ちょっと後ろを見ると、

おっ! 観光パンフに載っいる光景だ

 

石段を下りて、ちょっと行って、また振り向くと

ほらこれも、観光パンフによく使われる光景。山深い木曽路の雰囲気がよく出ています。

 

さらに進むと、

常夜灯。それを迂回するように、中山道は左下から、ぐるっと回ってここに出てきて、右に直角に曲がっていました。ここが枡形です。

 

このあと、高台にある光徳寺にのぼって、いま来たルートを確認しました。

馬籠は山の向こう。右に駐車場。左に橋。左から右下に伸びた寺下の町並み。トタン屋根が多いですね。古くは茅葺だったと思いますよ。

このあと、上町中町下町を散策しました。

                                    つづく

 


江戸の面影を残す七宿場(その一) 馬籠②

2021年09月23日 | 宿場町

馬籠宿

藤村記念館の隣りに来ました。

りっぱな建物だ

ここは大黒屋です。街道が栄えていたころは造り酒屋でしたが、今はカフェ&甘味処です。入ってみると、左がお土産屋、右が甘味処でした。ところが、待っていても、店員さんは出てきませんでした。

変だなぁ

 

結局、あきらめて、また坂道を上ることに。

左は和菓子屋の末木。ここでは一年中、栗きんとんをいただけるそうです。

 

さらに先に行くと、また水車。そろそろ宿場の頂上のような

 

水車の先にあった喫茶かっぺ。ここで一度、振り返って後ろを見ることに。すると、

ひぇ~っ!  転げ落ちそうだ

 

やっと上入口にやって来ました。

やれやれ

立ち止まって先を見ると、中山道の坂道は、さらに続いています。                       左側に手打ちそばの恵盛庵(けいせいあん)。ここも臨時休業中でした。             右側に高札場。このあたりが馬籠宿の北のはずれのようです。近くに終わりかけた彼岸花

お腹がすいたぁ~

 

休憩もせず、一気にここまで来ました。ここいらで、ランチです。

前の道を右に行くと、栗おこわがおいしい食堂があります。                   十返舎一九曰く、「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこわめし ここ(馬籠)の名物」と。      これは、外すわけにはいきません。で、一度、駐車場にもどり、車で行くことにしました。

 

馬籠峠

ところが着いてみると、食堂も臨時休業中でした。落胆!

気を取り直して、少し先の峠の茶屋まで行きましたが、ここも閉じていました。見ると、近くに馬籠峠の看板あり。

う~ん、向こうは、信濃の国かぁ

ランチをするには、馬籠にもどるか、峠を越えて妻籠(つまご)に行くか。           しばらく考えたすえ、妻籠に行ってみることにしました。

こうしてついに、への次郎は県境を越えることになりました。