岐阜県瑞浪市の大湫(おおくて)宿にやって来ました(2021/5/14)。
防火用の水桶があるところが、⑨白山神社の参道入口です。前方の突き当りはT字路になっています。このあたりが現在の中心地。前方のベージュ色の建物は⑤公民館、その手前に駐車場、向かいに⑦お休み処があります(地図は「ぶらっと散策みずなみ」HPより)。
お休み処では、ハイカーや観光客10名ほとが汗をぬぐったり、食事をとったりしていました。
公民館と駐車場の間に坂道がありました。坂道を上ると大湫小学校の跡地があって、かつてここに⑥本陣がありました。江戸に向かっていた和宮は、1861年10月28日、ここ本陣で一晩を過ごしました。その際に詠んだ歌を刻んだ歌碑が校庭のすみにありました。
公民館の向かいは、旅籠兼問屋の丸森です。大湫にある4軒の国の登録有形文化財の一つで、江戸末期の町屋形式を無料で見学できます。丸森の右にお休み処があります。
T字路まで来て、そこを左に行くと④白木番所跡がありました。ここに尾州藩の役人が常駐し、材木の管理や監視にあたっていたようです。
T字路まで戻ってきました。右からきた中山道がここで直角に曲がって、向こうに伸びています。大湫で唯一の枡形(ますがた)です。ポストのあるところが唯一の金融機関で、現在は機械だけがおかれているようです。その先に自販機がありますが、そこは唯一の商店です。さらにその先は上り坂になっていて、高い石垣があります。
石垣まで来てみると、①碑があって「是より東 十三峠」と刻んでありました。見ると、確かに急坂が伸びています。碑の後ろの木は、この地域に自生しているなんじゃもんじゃで、まだ白い花をつけていました。
碑の右は、石垣の上につくられた駐車場でした。その奥には、観音堂から見えた③宗昌寺(そうしょうじ)がありました。
石垣上の駐車場から見た宿内の光景です。右奥にT字路があります。その奥に黄緑色の高台がありますが、そこが小学校跡地、つまり⑥本陣跡です。T字路のところで中山道は直角に左に曲がり、宿場はその先に伸びています。五平餅を食べた観音堂は、写真左端に屋根の先だけが少し見えます。
5月中旬の平日、新緑の山里にたたずむ大湫宿を歩いてきました。
ハイカーのグループや観光客、ロードバイクやオフロードバイクに乗って立ち寄った人、多くはありませんが来訪者はありました。公民館では、何か集まりがあったのでしょうか、会場を準備する人がいました。静かな宿場でしたが、お年寄りが家先に出て立ち話をしていたり、家からは話し声やテレビの音がかすかに聞こえてきて生活感が感じられました。
ここは馬籠・妻籠や奈良井のように、観光地化はされていません。また中津川や大井(恵那)のように、市中心部にあるわけでもありません。かといって、細久手のように宿場の様子を失ってはいません。廃屋は増えつつあるようですが、住民や行政の努力によって往時の姿をなんとか留めようとしている、そう感じました。
最後に、公武合体の象徴として江戸に向かっていた16歳の和宮がここで詠んだ歌を一首。 遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり