への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

寅さん第29作 彦根城

2022年05月29日 | 寅さん

男はつらいよ」の第29作『あじさいの恋』のラストシーンは、滋賀県彦根市で撮影されました1982.8公開)。

 

鎌倉かがり(いしだあゆみ)とデートをした寅さんは、鎌倉から帰ってくるとすぐ、旅に出ます。その後、陶芸家・加納作次郎の弟子が、作次郎が寅さんに与えた茶碗を作品展に出したいので拝借できないかと車屋を訪れます。そのとき、タコ社長が茶碗を灰皿に使っていたため、弟子との間で騒ぎが起こります。騒ぎが続くなか、かがりが寅さんにあてた手紙が読み上げられ、読み終わると場面は、彦根城にかわります。

 

 

映画】 蝉しぐれのなか、作次郎と作品展の図録を作っていた編集者が彦根城の武家屋敷長屋門から出てきます。

現在】 この長屋門は、彦根城の中堀の近くに建っている旧池田屋敷長屋門です。平成20年から3年間かけて解体修理されたため、映画が撮影された当時と建物に違いがあります。しかし、左側の塀の石組みを比べると、

 

上の映画と下の現在の写真が同じですから、ここで撮影が行われたのは間違いありません。また現在は道を挟んだ向かいに生け垣と建物があるため、映画のアングルでの撮影はできませんでした。

 

 

映画】 作次郎と編集者が堀沿いの道をこちらに歩いてきます。

現在】 この場面の撮影は、彦根城の佐和口から行われました。撮影は道路から堀に下りて行われましたが、現在は柵があり下りることはできません。

この堀は中堀で、写真真ん中の白塀のところに旧池田屋敷長屋門があります。作次郎と編集者が歩いていたのは埋木舎(うもれぎのや)の前です。現在、この界隈は、白壁で統一されています。

 

 

映画】 手前に佐和口多聞櫓、後ろに天守閣が少しだけ映っています。

現在】 この場面の撮影も、中堀の佐和口から行われました。

 

 

映画】 作次郎と編集者が堀沿いの道を歩いてきます。

現在】 佐和口から入ってくると内堀にぶつかります。その内堀沿いの道で、この場面の撮影が行われました。石垣が見える向こうの道を左に行くと、名園玄宮園に行き着きます。

 

 

映画】 作次郎たちの行く手では、寅さんが商売をしています。

現在】 寅さんが商売をしていたのは、表門橋の橋のたもとです。寅さんの後ろに立っていた石碑は、現在は新しいものに取り換えられているようです。

 

 

映画】 橋のたもとで「加納作次郎の作品だ」と言って焼き物を売っていた寅さんに、作次郎が「買うた!」と声をかけます。

現在】 作次郎の後ろの建物は、馬屋です。前の道を左に行き、白壁の小さな建物のところで右に曲がると、佐和口多聞櫓があります。

 

 

映画】 このあと、寅さんは作次郎をビールに誘います。レンズが引かれ、彦根城下が映し出されて映画は終わります。

現在】 この場面の撮影は、彦根城の頂上部・本丸の東の隅着見櫓(つきみやぐら)跡で行われました。

手前に見える橋は表門橋、右側のグランドは彦根東高校、右奥の塔はNTT、左手前は二の丸駐車場佐和口多聞櫓です。

 

 

最後に撮影場所を地図で確認すると、かなり狭い範囲で撮影が行われていたことが分かりました(オレンジ線が撮影場所です)。

 

 

あじさいの恋』が公開されて、40年になります。

ラストシーンが撮影された彦根城を散策してみると、映画のなかの彦根城より整備されていました。これは、2007年の国宝・彦根城築城 400年祭を迎えるにあたり、城内の整備が大規模に行われ、その後も整備が続けられているからでしょう。

行ったこの日、初夏とは思えない高温のなか、 400年祭のときに初登場したひこにゃんが観光客にさかんに愛嬌を振りまいていました。

                                                                                                                                                         


初夏の京都・滋賀 ④彦根

2022年05月26日 | 旅行

近江八幡から彦根市に移動してきました。時計を見たら、そろそろランチの時刻です。

昨晩は近江牛のしゃぶしゃぶ、今日のランチはすき焼きだ!

 

 

レストラン千成亭

ということで、やって来ました近江牛の専門店。レストラン千成亭です。

 

個室に通され、メニュー拝見。

二人ともすき焼きにする予定でしたが、メニューを見て奥さん急変更。

すき焼き鍋昼膳1つ、りなんせランチ1つ

 

すき焼き鍋昼膳です。

しゃぶしゃぶより、肉が少し分厚い

 

りなんせランチ出てきました。

ステーキに、このお料理の量。税込1980円は安いわ

 

近江牛をたっぷり食べて、いざ登城です。

 

 

彦根城

ここは徳川幕府の譜代・井伊家の居城、天守は国宝です。

 

二の丸駐車場に止め、近くの表門橋から入りました。

 

石垣に沿って曲がると、

うわっ! すごい人

 

入城券を買って進むと、いきなりの急石階段です。

 

のぼって行くと、やがて天秤櫓(てんびんやぐら)。

 

その後も石階段をのぼって行きました。上に見えるのは、太鼓門櫓です。

 

やっと山頂部の本丸に着きました。見ると、天守の前に列を成したたくさんの人。

天守への入城制限かな?

 

と、思っていたら、ひこにゃん!!

そういう訳か

 

天守前でひこにゃんがポーズをとり始めました。撮影会の開始です。

動くひこにゃんを初めて見ましたが、しぐさ・所作が、妙にくねくねしていました。

メスか? オネエ系か?

 

ひこにゃんが観光客を惹きつけているこのスキに、天守にのぼることにしました。入城はこのテントのところからです。

 

城内から下を見ると、ひこにゃんがいました。

みなさん、ひこにゃんにくぎ付けだ

 

でも、天守の内部はけっこうな人。

小学生が多いなぁ

 

三層天守の最上階に来ました。こちらは表門橋の方向です。

 

最上階を一周して、急階段を下りていきました。

頭上じゃなく、足元注意!

 

天守の外に出ると、撮影会はまだ続いていました。

 

もう付き合いきれません。パネルのひこにゃんに別れを告げ、

 

石階段を下りていきました。

 

 

一泊二日で京都大原と、滋賀県の琵琶湖東岸を回って来ました。

大原では、静かな山里で美味しい野菜を食べ、青もみじを鑑賞しました。近江八幡彦根では、近江牛をいただきました。車窓から見た琵琶湖東岸の水田では田植えが終わり、畑では麦が収穫前でした。6月に行けば、麦秋が見られますよ、きっと。

よかったら、どうぞ。

                                        


初夏の京都・滋賀 ③近江八幡

2022年05月24日 | 旅行

大原を散策したあと、来た道を引き返し、琵琶湖大橋を渡って滋賀県近江八幡にやって来ました。その途中、道の駅4駅によってスタンプをもらいました。

 

ホテルニューオウミ

今回の旅行で泊ったのは、近江八幡駅前のこのホテルです。

こちらさん、ホテルニューオータニと関係ありますか?

 

夕食は、ホテル内の和食レストランで、近江牛のしゃぶしゃぶをいただきました。

肉が6枚、のってる!

他に、魚と野菜各3種入った前菜、天ぷら5種盛り、全粒粉麺とおにぎりがつきました。

 

翌朝2022/5/19は、和食と洋食のバイキング。和洋両方をいただいたあと、古い町並みの散策に出かけました。

 

 

古い町並み

近江八幡は豊臣秀次が築いた城下町です。また商業都市としても発展し、いわゆる近江商人発祥の地でもあります。往時の風情を残した古い町並みと、秀次が築いた八幡堀という水路の一角は、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。

 

市営駐車場に止めたあと、オレンジ線に沿って古い町並みを歩きました。

 

左に郷土資料館、まっすぐ伸びた新町通り、向かいの山の上には昔、八幡城がありました。

 

近江商人の邸宅が並んだ新町通りを北上しました。

 

八幡堀のところまで来ました。ここは新町浜といいます。

 

堀沿いを東に移動し、八幡堀めぐり舟着き場に向かいました。

舟着き場は、この白雲橋の向こうです。

 

 

八幡堀めぐり

こちらが舟屋さんです。左側に滋賀名物の飛び出し坊やがいました。

こちらの飛び出し坊や、船頭さんの姿をしている

 

まず、舟着き場にあったかっぱ神社で手を合わせ、安全祈願。

 

乗り込むのは、この舟のようです。

 

乗客は総勢4人。30分の航海に出発しました。前方の橋は白雲橋です。

佛光寺です。昔の城下はここまでだったようです。舟はもう少し先で折り返しました。

 

帰路、新町浜の手前ですれ違い。お互いに、スマホを向け激しく撮り合いました。

舟着き場に戻ってきたら、その先の船橋で、自撮りする若い女性ひとり。

絵になるなぁ

 

 

日牟禮八幡宮

舟を下りたあと、日牟禮(ひむれ)八幡宮へ移動。この神社、近江八幡の市名の由来とか。

この楼門の奥に、りっぱな拝殿と本殿がありました。

 

この神社のはす向かいにあったのがこちら。洋菓子のクラブハリエです。

ここでお土産に、人気のバームクーヘンを買い、つぎの目的地彦根に向かいました。

                                  つづく

                                       


初夏の京都・滋賀 ②大原寂光院

2022年05月22日 | 旅行

三千院から大原バス停に戻り、そこから小径を少し、寂光院の方向に歩いて行きました。

 

来麟(きりん)

着いたのは、ここ。いろんなところで紹介されているカフェレストラン来麟です。

人気店で予約が取れなかったため、開店30分前に来ましたが、すでに数名の名前が書いてありました。

 

記名し、順番を待つ間、周囲を散策。

 

開店時刻に戻ると、店内はいっぱいで、軒下のテラス席になりました。メニューはおにぎりランチのみ。大原野菜のおばんざいとサラダのバイキングです。制限時間75分の食べ放題、1800円でした。

  への次郎 「おにぎりの種類が10種類から半減していたね

  奥さん  「お値段は、2割も値上がりしていたわ

 

 

寂光院

パンパンに膨れたお腹をさすりながら、小径を寂光院に向かいました。

 

近づいてきたようだ、雰囲気ある

 

着きました。受付で拝観料を払って行先を見たら、高い石階段。

 

のぼっていったら、趣のある山門がありました。

 

山門をくぐって、左に進むとすぐに鐘楼がありました。その前を通って左に抜けると、

 

ありました、建礼門院の住まいの跡です。

右側の小さい木の奥には、女院が使った井戸の跡もありました。

 

再び境内に戻り、置いてあった椅子に座り、本堂をながめました。

 

ここは天台宗の尼寺です。創建は6世紀末の聖徳太子にさかのぼると言われていますが、よく分からないようです。

三千院と比べると、境内は狭く、建物は小さく簡素なつくりをしていました。来訪者は少なく、蛙の声もありませんでした。この静かなたたずまいのなか、建礼門院は平家一門とわが子安徳天皇の菩提を弔いながら、ここで余生を送ったんでしょう。

しばらく休んだ後、立ち上がり本堂に向かって合掌し、長い石階段を下りていきました。

 

道路に出たところに一軒、お店がありました。のぞくと、しば漬け翠月でした。

店主曰く、「しば漬けは大原の里の人たちが建礼門院に献上したところ、大いに喜ばれ柴葉漬と命名されたのにはじまる」とのこと。

 

しば漬けが入った小袋をぶら下げて帰ってくると、橋がありました。川の上流を見ると、

シャクナゲの後ろの家、ランチをした来麟でした。三千院は、その右奥です。

 

橋の上から三千院の方向をながめていたら、一人の若い女性が声をかけてきて。

  若い女性 「寂光院へは、この道ですか?

  への次郎 「はっ、はい

 

少し慌てましたが、後姿を見送りました。

大原に若い女性ひとり。絵になるなぁ

                                 つづく

                                       


初夏の京都・滋賀 ①大原三千院

2022年05月20日 | 旅行

名神高速道栗東インターでおりて、琵琶湖大橋を渡り、北側から京都府の山里大原にやって来ました(2022/5/18)。東の三千院、西の寂光院、二つのお寺に徒歩で行くため、その中間の国道沿いの駐車場に入りました。まずは、三千院です。

 

三千院の歴史は、天台宗を開いた8世紀の最澄にさかのぼるそうです。時代とともに寺は、場所と名前を変えていき、明治初期に大原に移り、三千院と称したそうです。

大原での歴史は、長くはないんだねぇ

 

三千院

駐車場から、青もみじがかぶる呂川沿いの参道をのぼって行くと、

 

やがて見えてきました立派な門。御殿門(ごてんもん)といいます。

 

ここで受付を済ませ、建物の中に入って行きました。

 

廊下を過ぎると、客殿があり、そこからきれいに整備されたお庭が見えてきました。

聚碧園(しゅうへきえん)です。緋毛氈に座り、しばしお庭を鑑賞。

 

さらに廊下を進むと宸殿(しんでん)です。ここで一面青苔に覆われたお庭におりました

 

このお庭、有清園(ゆうせいえん)といいます。その先には、

 

弁天池の横に佇む往生極楽院です。池からは、さかんに蛙の鳴き声が聞こえていました。

お堂の中に、国宝阿弥陀三尊像が祀られていて、下から手を合わせました。

 

庭をさらに進むと、青苔の中にわらべ地蔵

見る方向によって、お顔の表情が違う

 

その先には小さな池。水が落ちていて、もみじをうつした池に波紋が広がっていました。

左上の小さな島に白い球体、分かりますか。産み付けられた蛙の卵です。

 

その先は、石段になっていて、朝からお庭の手入れです。

ご苦労さま

声をかけ、淡紫のミヤコワスレが咲いた石段をのぼって行くと、あじさい苑がありました。

 

その奥にまだ建物はありますが、ちょっとそれて、小さな川(律川)をこえると、石仏がありました。

鎌倉時代に、ここ大原の念仏行者たちによって作られたものだそうです。当時の人々の信仰心が宿った石仏。ここでも合掌。

 

石仏の先を見たら、小さなお地蔵様。眉毛のあたりから、クモが糸を引いていました。

何か、こちらに話しかけているようだねぇ

 

しばらくお地蔵様の顔を見ていましたが、急に時間が気になってきて。ここで引き返し、駐車場の方に向かうことになりました。

                                   つづく