エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

渡良瀬川

2015年05月16日 | 環境日誌


台風が去ったと思えば
雷雨になったりと
このところ安定しない天気です。

昨日は
このブログを書きかけて外出し
ブログのアップを忘れて
そのまま遅くまで
美味しく呑んでいました。

美味しく頂けるのは
健康だからこそ。
カラダにやさしく
「1日断食」
でもしようかな。


▲五一五事件記事



さて
昨日5月15日は

昭和7年(1932年)「五一五事件」
昭和47年(1972年)「沖縄返還の日」


が歴史の教科書に出てくる
大きな出来事ですが
明治17年(1884年)
今から130年余り前の5月15日は
“群馬事件”
が発生しています。


この事件は
自由党急進派と
負債をかかえる農民による蜂起事件で

福島事件
秩父事件


とならぶ自由民権運動の三大事件の1つです。

蜂起の規模は小さかったものの
党員と農民が結びついたという点で
歴史的な意味を持ちます。


▲足尾銅山


さて
群馬事件とあわせて
渡良瀬川周辺で発生した
足尾銅山鉱毒事件
(あしおどうざんこうどくじけん)が
歴史の教科書に出てきます。
公害という言葉が使われた
日本で初めての出来事です。



▲足尾銅山MAP


筆者の年代で
渡良瀬川というと
森高千里さんの
「渡良瀬橋」
を思い浮かべます。




歌詞の冒頭はこうです。

渡良瀬橋
森高千里作詞・唄
♪**************************
渡良瀬橋で見る夕日を
あなたはとても好きだったわ
きれいなとこで育ったね
ここに住みたいと言った
***************************♪



銅山は
鉱毒水などの有害物質が周辺環境に
著しい影響をもたらしたため
田中正造
が中心となり
国に問題提起をしました。



しかし
精錬所は
昭和の時代(1980年代)まで稼働し続け
平成23年(2011年)に発生した
東日本大震災の影響で
渡良瀬川下流から基準値を超える
鉛が検出され今日でも影響が残っています。


歌詞に綴られる
「きれいなとこ」は
実際には汚染された土壌が残る
問題のある場所のようです。


▲渡良瀬橋



ところで
昨年5月のこと。

「田中正造の天皇への直訴状が113年後に届く」

というWEB記事が目にとまりました。




それによると
両陛下が「佐野市郷土博物館」を
“私的な旅行”
で訪れた、ということのようですが
先のパラオ訪問も然りで
やはり
行くべきところに
足をお運びになっておられることが
伝わってきます。


▲WEB記事(Click)



両陛下ご訪問の当日
田中正造氏を支援した
親族の子孫が以下のようなコメントを
残しています。


***********************************
「明治天皇への直訴状をひ孫であっても天皇陛下に見ていただいたのだから田中のおじいさんは喜んでいると思います」
***********************************



志は
時間と空間を飛び越えて
いまここ
に活きています。


◎感謝
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