5月21日のWEBニュースより。
作詞家のちあき哲也さん死去
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5月21日 22時31分「飛んでイスタンブール」や「仮面舞踏会」など、多くのヒット曲の作詞を手がけた作詞家のちあき哲也さんが今月10日、亡くなりました。66歳でした。
ちあき哲也さんは神奈川県の出身で、大学生のころから作詞を始め、昭和47年、松崎しげるさんが歌った「黄色い麦わら帽子」で、作詞家として本格的にデビューしました。
その後、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」、矢沢永吉さんの「YES MY LOVE」、少年隊の「仮面舞踏会」など数多くのヒット曲の作詞を手がけました。平成19年には、すぎもとまさとさんの「吾亦紅(われもこう)」で日本レコード大賞の作詞賞を受賞しました。
所属事務所によりますと、ちあきさんは4年ほど前から胆管がんのため入退院を繰り返していましたが、今月10日、都内の病院で亡くなったということです。
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ちあき哲也さんといえば
矢沢永吉さんの作詞に頻繁に登場しています。
「止まらないHa~Ha~」
はステージのアンコールナンバーで
最も有名な楽曲のひとつです。
少し古い記事になりますが
矢沢永吉さんとのレコーディング秘話などが
掲載されたページがありましたので
紹介します。
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双子座の真骨頂。ぼくがもうひとりのぼくを楽しむ時間です。当人は矢沢さんが歌っていらっしゃるオトコ像をかけ離れて、ヤワ~に生きていますので、生き損なったもうひとりの自分を、思い切り楽しんで書けます。それを彼があのセクシーな声と解釈で、想像の数百倍も膨らませて「形」にしてくださるのですから、こんな恵まれた作家もそうはいない、と感謝あるのみです。
秘話ですか。・・やはりワーナーの1作めの「PM9」です。願ったことでもないのに、当時ぼくの夢中だったリトル・フィート、ドゥ-ビー・ブラザーズ、アンドリュー・ゴールド、ニコレッタ・ラーソン、そしてTOTOのスティーヴ・ルカサーまでが、矢沢さんの熱意とカリスマ性に惹かれて、フルに録音に関係してくれたことです。自分の書いた言葉の狭間でスティーヴのギターが思い切り 泣いてくれたり、ニコレッタはぼくの日本語を延々とバック・コーラスしてくれたり、・・もう身震いしました。今までで一番ゴージャスな気分になれた瞬間です。他のアルバムではロバータ・フラックがぼくの怪しげな英語をそのまま歌ってくれたり、・・矢沢さんとの制作はぼくの世界を確実に広げてくれました。彼のように。 ぼくもカッコよく作家の道を全うしなくては、と自戒しています。(ちあき哲也 談)
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ところで
「歌詞タイム」
というページに作品が掲載されています。
矢沢永吉さんへの提供が
いかに多かったかがわかります。
▼歌詞タイム(Click)
ご冥福をお祈り致します。
◎感謝
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