ヒバリさんのつれづれ日誌

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ふるさとよ永遠に

2013-03-10 20:00:00 | ノンジャンル
 二年前の三月十一日夕方近く

 母とわたしは、高度救命救急センター横の面会室にいた

 暫くして従姉妹が珍しく焦った様子で駆けつけ

 「何だか地震で関東の方が大変みたいよ」 息を切らしていた


 すると、ほぼ同時に、面会室内にあるTVが、まだはっきり

 しない情報だったが、キャスターの緊迫した顔に何かとてつもない事が

 起こってる事は我々にも直感で理解できた


 これが、今、思い出す東日本大震災直後のわたしの様子です


 今も尚新聞紙面の復興の文字を見るにつけ、被災地に住んでおられる

 皆さんそれぞれの思いや祈りを察します


 無数の悲劇をもたらしたこと、これからも忘れてはならないと思います


 明日を見つめつつ、自分に何ができるのか考えてみたいと思います


 

真実の目って? (ずっとあなたの子どもです)

2013-03-09 17:08:00 | ノンジャンル
介護?

今のところ、持病を抱えながらも何とか元気で母はいてくれる

又 病院で沢山の人たちにお世話になりながらも父は闘病生活を送っている


我が親ながら、毎日面会を欠かさない母、大変な治療を継続して頑張ってる父、

 二人には頭が下がる


 わたしは…

 そう、自分の安心を得るためにきっと二人の顔を見に行っているんだろうと思った


 介護って意味は本当は何だろう?いろんな形の介護があると想う


 いずれ、わたしも老いてお世話になるかと思う


 わたしには介護の理想があって、介護する者もされる者も

 最後まで人に優しい介護を望んでいる


 今日病院に行く途中の道端に水仙の花が風に揺れていた


 

空を見つめて

2013-03-08 11:11:00 | ノンジャンル
そうそう、電話といえば…

昨日、ひょっこり中学生の時の親友から電話を貰った


「○○ー、~元気?…」

(○○ーは、わたしのアダ名である)


中学時、彼女はクラスのリーダー的存在で

又ユニークな性格でもあり 絶えず彼女の周りは笑顔が溢れてたような記憶がある


偶然今の住まいが我が家の近辺でこうして今現在も連絡を取りあっている


彼女は以前介護の悩みを抱えていた


かなり大変だったかと察する

それでも持ち前の明るさで乗り切っていた


わたしは 「自分が疲れないようにね」

この一言でいっぱいであった


…昨年家族を見送った彼女、が、以前と変わらぬ明るさで振る舞う姿に

わたしは彼女の真の強さを感じ 同時に健気で愛おしくさえ思えたのでした


心友のうちの一人だ

友に

2013-03-05 11:17:00 | ノンジャンル
昨夜遅く、友から電話を貰った


6歳下の彼女は医療現場でバリバリ働く看護師さん


初めて会ったのは二十年以上前だけど、何故か会った時から波長が合った



いろいろお互い言いたい事を溜めないでいたからこそ、この関係を継続中かと思う


又時々年齢の差が全く気にならない彼女の会話術も

親しくさせてもらってる秘訣なのかも知れない


(…かなり気を彼女はわたしに使っているかと思う)

「袖振り合うも多生の縁」

この思いを互いに抱いていることが何より一番だと

長話を終え受話器置き痛感したのだった

理想と現実

2013-03-04 20:40:00 | ノンジャンル
 患者に優しく、医療に厳しい事が医師の理想であるならば

 (本日の夕刊を引用)


 わたしには忘れられない出来事がある

 二十代、この時期だった

 鼻炎に悩まされ、実家近くの総合病院の耳鼻科を受診することにした


 恐怖心と治療の痛さに、わたしの目から一筋の涙がこぼれ落ちた


 見るからにぶっきらぼうな医師は、カルテを横目に

 「教師をしてるなら泣くんじゃない」と言った


 帰り、悔しくって悔しくって

 「教師だって人間ではないか」・・・思った

 二度とあの医師の世話にならないぞ・・・これも思った


 あれから今度は盲腸がチクチク痛くなってその総合病院の外科にお世話になった

 その外科の医師は

 「まだ若いのだから傷をつけないように、くすりで治療しようね」

 と優しく言ってくれた


 同じ総合病院での出来事だったが、医者だって人間だと悟ったのもあの頃だった