🍀🍀人生🍀をどう生きるのか🌸🌸①
(🔹曽根綾子さん🔸鈴木秀子さんの対談🌸)
🔸学生時代の親友🌸だった曽根さん、こうしてお会いするのはクラス会🌸以来ですね。
ゆっくりお話🎵できる機会がなかなか出ませんでしたから、
今日☀はとても楽しみ💕にしてきました。
🔹私もです。
シスター⛪になられるというのは、私たちクリスチャン⛪にとって1つの偉業🌸なわけですし、
今日まで鈴木さん🌸がどのように歩んでこられたのか、
じっくり☀お聞きしたい👂と思っています。
🔸曽根さんとお会いできるというので、私も久しぶり🌸に若い頃のことをいろいろ思い出して☁☁いました。
まず何よりも静岡の田舎🐮から出てきた私にとって、
聖心女子大学🏫の雰囲気🌸は大変なカルチャーショック⚡😵でしたね。
授業はすべて英語🎵でしたし、
国連難民高等弁務官🏤を務められた緒方貞子さん🌸、
皇后陛下☀になられる正田美智子様🌸、
シスターの渡辺和子さん🌸など、
錚々(そうそう)たるご令嬢🌸が学生🍀としていらっしゃったんです。💕
その中で、ずば抜けて👑成績📝が良く、
キラキラ✨と輝いて💖いらしたのが曽根さん🌸でした。
🔹輝いてなんかいないの。
学校🏫の目を盗んで⚡いかんに小説📝を書くかって、頭の中🌀はそればかりでしたから(笑)。📝📝
暗い青春🌚☁もそれなりに意味🌸はありますけどね。
🔸それもまた曽根さんの大きな魅力✨です。
🔹当時、聖心では小説📘を書くことは身を持ち崩す😵、堕落😵に繋がるといって
やめるよう🙅に言われていたんです。
🔸そういえば、学長室🏫に呼ばれて、
「あなたは、せっかく素晴らしい🌸才能があるのに、
小説📘を書いて人生🍀を無駄にすることはない⚡」
と直々に注意⚠を受けられたこともありましたね。
曽根さんが学長室から出ていらっしゃった時に、たまたま私が通り掛かって、
「学長👑からこんなこと言われたんだけど、自分は絶対にやめない😄✊」
って。
曽根さんの信念の強さ✊に驚いた😵ことを今もよく覚えています。☁☁
🔹実際に捨てられた作品📘もあったのよ。😄
でも、今考える🌀と未熟な作品📘でしたから捨てられてよかったんだわ。💕
「あんな作品📘を世に出してはいけない」
という神様☀のおばし召しじゃないかしら(笑)。
🔸私たちの聖心女子大学🏫に入ったのは、
終戦から5年経った☁☁頃でしたが、
終戦時✂✂、私は大変なショック⚡を受けたんです。😵
それまで
「陛下のお写真📷が掲げられた奉安殿🏤や
神社☀の前では必ずお辞儀🌸をしなさい」
と厳しく指導⚡していた教頭🌸先生が、
終戦を境に、
「いつまでも奉安殿🏤や神社☀の前でお辞儀🌸をする馬鹿がいる😁」
とおっしゃるようになったんです。😵
そして9月の授業🌸で最初にやったのは、
教科書📖で今まで大切🍀だと言われていた部分に墨◾を塗ることでした。😵
まるで自分の心💓に墨◾を塗るように、
大事にしていたものを全て否定❌されて心に穴が開き、😵
何を頼りに生きていったらいいかわからない。☁☁
そういう状態で聖心🏫に入学🌸しました。☁☁
その頃、曽根さんが、私に聖心女子学院🌸の高校時代🏫の話をしてくださいました。
教室で外国人のシスター🌸たちが授業をしていると、
そこに憲兵🔫がやってきて教壇を奪って、
「何で、そんなに馬鹿げた宗教の話🎵や
外国人🌎の講義を聞くんだ⚡」
と話を始める。
その間、シスター達🌸が後ろに座っていて、憲兵が帰った途端、
元通りに教壇🌸に立って、
あたかも何事もなかったかのように授業を続けられたと。🎵🎵
🔹ええ。その光景☀は今もよく覚えています。
🔸この話を聞いて私は
「こんなにも変わる☁☁世の中で🌀、変わらないもの✊があるんだ☁☁」
と、とても衝撃⚡⚡を受けました。
それが私が修道院⛪に入るきっかけになったんですね。
それから、曽根さんと親しく🌸している中で、
ある時、お母様🌸のお話をなさったんですね。
お母様に自殺願望😵がおあわりだったと聞いて、
「こんなに満たされた、曽根さんの中にも苦しみ😵があるのか☁☁」
と。
世の中🍀というのは、
よいこと😄と悪いこと😵が、半々🌸すべてのバランス🔄を取って起こっている。☀
一見、悪く思える出来事にも、
そこに神様☀の計らいがあり、
自分の受け止め方✊次第では、よき方向🍀に変えることができる✊、
と思うようになったのも、この頃のことです。😄☀
🔹いま鈴木さんのおっしゃった
時流🌊🌊に流されない✊ということを、私は学校🏫で教わりました。
大切🍀なことでしたね。⚡
戦後の聖心💕には、
戦前のやや儒教的、封建的な雰囲気🌸☁☁が残っていて、
シスター🌸が教室に入るときは、
必ずドア🚪を開けてお待ちするように教育🌸されていました。
その中に男性👨の先生がいらして
留学中にレディーファースト🌸を習ってお帰りになっていた。💕
教室を出ようとして入り口でぱたりと鉢合わせした時、
私は当然のように
「どうぞ、先生🍀」
と申し上げると、
先生は、
「いや、どうぞ🎵」
とおっしゃる。
私、気が短いし、モタモタしたくないものですから、
先生より先に教室を出ちゃったんです。😄
そうしたらイギリス人🇬🇧の老齢のシスター🌸がそれを見ていて、
チッチッチッと舌打ち👅💢で注意⚠をされていた(笑)。
🔸そうそう、シスターたちはそうなさっていました(笑)。
🔹「先生🍀よりも先に学生🌸の自分の教室を出るとは何事か❗」
ということですね。
戦後の儒教が排斥された時代🌸ですけれども、
時流🌊🌊に流されずに日本人🇯🇵になる方法を
私はイギリス人🇬🇧のシスター🌸から教わったんです。
🔸その頃のマザー・ブリット学長👑の口癖👄が、
"Every solitary single each one of you"
皆さん一人ひとりが大切👑な存在🌸だし、
一人のために皆さん🌸が行動🏃しなさい。
一人ひとりが自分で判断し⚡、責任🍀をとりなさい🎵ということを
いつも教えて☀くださいました。😄🎵
ブリット学長👑はアメリカ人🇺🇸でしたが、
「留学する必要は無い。☀
日本語🇯🇵と日本の文化🌸をしっかり身につけなさい。
世界🌏🌎🌍のどこに行っても通用するマナー💕を身につけなさい」
ともおっしゃっていました。🎵
だから、国語🇯🇵は私たちの必須科目🌸だったじゃありませんか。
🔹ブリット学長👑はこんなこともおっしゃっていました。
"To be international, be national"
よい国際人🌎なろうと思ったら、
まず、その国の国民として資格🌸のある人間🍀になりなさい、
ということですね。🎵
これも、いい言葉🍀だと思うんです。
その頃、G I 🇺🇸と呼ばれたアメリカの軍人🔫が日本中🇯🇵にたくさんいて、
街を歩きながらコーラ🍹をラッパ飲みする姿が、私なんかにはとても新鮮😍に見えました。
ところが学長は、
「飲み食いしながら歩くのは教養🌸のない人の風習だから、
G I 🇺🇸のやることを真似てはいけない⚡」
と自国民🇺🇸ですけど、はっきりおっしゃるのね。
見事なものでした。😄💕
🔸いまは、道は歩きながら🚶ペットボトルの水💧などを飲んでいる人も目立ちますが、
そんなことは、考えられない時代でしたね。😄💕
(つづく)