hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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菩薩

2016-10-11 21:19:55 | 日記
🌸🌸菩薩🌸🌸


東京のある劇場に行った時の話です。

休憩時間になると男子トイレに行列ができました。

家内に聞きますと、女子トイレでもかなりの行列ができていたそうです。

そのトイレの順番待ちの行列は告別式の行列に似てますね。

みな厳粛な顔をしています。

その時、1人の中年女性の順番が来ました。

すると、その女性、後ろ振り返って「お先に失礼します」と言って、

ちょっと頭を下げたんだそうです。

ここは女性の凄いところです。

男でこういうことをする人は1人もいないでしょう。

それで、女性が個室から戻ってきたとき、次に待っている人に

「お待たせしました」

とまた声をかけてトイレを出ていかれたというんです。

その場にいた家内は感動したんですね。

するとそれまで告別式みたいの行列だったのに、

不思議と明るい雰囲気になって、笑い声が聞こえ、

中には若い女性がお年寄りに

「お先にどうぞ」

という声まで掛けるようになったと言うんです。

みんな心の中では幸せになりたいんです。

でも誰かがその扉を開いてくれないと、その心は出てこないんです。

「誰かが始めたら、やるんだが…」

という気持ちは誰でも持っています。

その「最初の1人」になることを、

仏教用語で「菩薩になる」といいます。

明日から皆さん、「菩薩」になりましょう。

人々の心の中に眠っている何かを呼び起こすために。


(「みやざき中央新聞」松原泰道さんより)


私も菩薩に、なる。

聖心女子OG対談①

2016-10-11 13:23:17 | お話
🍀🍀人生🍀をどう生きるのか🌸🌸①


(🔹曽根綾子さん🔸鈴木秀子さんの対談🌸)


🔸学生時代の親友🌸だった曽根さん、こうしてお会いするのはクラス会🌸以来ですね。

ゆっくりお話🎵できる機会がなかなか出ませんでしたから、

今日☀はとても楽しみ💕にしてきました。

🔹私もです。

シスター⛪になられるというのは、私たちクリスチャン⛪にとって1つの偉業🌸なわけですし、

今日まで鈴木さん🌸がどのように歩んでこられたのか、

じっくり☀お聞きしたい👂と思っています。

🔸曽根さんとお会いできるというので、私も久しぶり🌸に若い頃のことをいろいろ思い出して☁☁いました。

まず何よりも静岡の田舎🐮から出てきた私にとって、

聖心女子大学🏫の雰囲気🌸は大変なカルチャーショック⚡😵でしたね。

授業はすべて英語🎵でしたし、

国連難民高等弁務官🏤を務められた緒方貞子さん🌸、

皇后陛下☀になられる正田美智子様🌸、
シスターの渡辺和子さん🌸など、

錚々(そうそう)たるご令嬢🌸が学生🍀としていらっしゃったんです。💕

その中で、ずば抜けて👑成績📝が良く、
キラキラ✨と輝いて💖いらしたのが曽根さん🌸でした。

🔹輝いてなんかいないの。

学校🏫の目を盗んで⚡いかんに小説📝を書くかって、頭の中🌀はそればかりでしたから(笑)。📝📝

暗い青春🌚☁もそれなりに意味🌸はありますけどね。

🔸それもまた曽根さんの大きな魅力✨です。

🔹当時、聖心では小説📘を書くことは身を持ち崩す😵、堕落😵に繋がるといって

やめるよう🙅に言われていたんです。

🔸そういえば、学長室🏫に呼ばれて、

「あなたは、せっかく素晴らしい🌸才能があるのに、
小説📘を書いて人生🍀を無駄にすることはない⚡」

と直々に注意⚠を受けられたこともありましたね。

曽根さんが学長室から出ていらっしゃった時に、たまたま私が通り掛かって、

「学長👑からこんなこと言われたんだけど、自分は絶対にやめない😄✊」

って。

曽根さんの信念の強さ✊に驚いた😵ことを今もよく覚えています。☁☁


🔹実際に捨てられた作品📘もあったのよ。😄

でも、今考える🌀と未熟な作品📘でしたから捨てられてよかったんだわ。💕

「あんな作品📘を世に出してはいけない」

という神様☀のおばし召しじゃないかしら(笑)。

🔸私たちの聖心女子大学🏫に入ったのは、

終戦から5年経った☁☁頃でしたが、
終戦時✂✂、私は大変なショック⚡を受けたんです。😵

それまで

「陛下のお写真📷が掲げられた奉安殿🏤や
神社☀の前では必ずお辞儀🌸をしなさい」

と厳しく指導⚡していた教頭🌸先生が、

終戦を境に、

「いつまでも奉安殿🏤や神社☀の前でお辞儀🌸をする馬鹿がいる😁」

とおっしゃるようになったんです。😵

そして9月の授業🌸で最初にやったのは、
教科書📖で今まで大切🍀だと言われていた部分に墨◾を塗ることでした。😵

まるで自分の心💓に墨◾を塗るように、
大事にしていたものを全て否定❌されて心に穴が開き、😵

何を頼りに生きていったらいいかわからない。☁☁

そういう状態で聖心🏫に入学🌸しました。☁☁

その頃、曽根さんが、私に聖心女子学院🌸の高校時代🏫の話をしてくださいました。

教室で外国人のシスター🌸たちが授業をしていると、

そこに憲兵🔫がやってきて教壇を奪って、

「何で、そんなに馬鹿げた宗教の話🎵や
外国人🌎の講義を聞くんだ⚡」

と話を始める。

その間、シスター達🌸が後ろに座っていて、憲兵が帰った途端、

元通りに教壇🌸に立って、

あたかも何事もなかったかのように授業を続けられたと。🎵🎵

🔹ええ。その光景☀は今もよく覚えています。

🔸この話を聞いて私は

「こんなにも変わる☁☁世の中で🌀、変わらないもの✊があるんだ☁☁」

と、とても衝撃⚡⚡を受けました。

それが私が修道院⛪に入るきっかけになったんですね。

それから、曽根さんと親しく🌸している中で、

ある時、お母様🌸のお話をなさったんですね。

お母様に自殺願望😵がおあわりだったと聞いて、

「こんなに満たされた、曽根さんの中にも苦しみ😵があるのか☁☁」

と。

世の中🍀というのは、

よいこと😄と悪いこと😵が、半々🌸すべてのバランス🔄を取って起こっている。☀

一見、悪く思える出来事にも、

そこに神様☀の計らいがあり、

自分の受け止め方✊次第では、よき方向🍀に変えることができる✊、

と思うようになったのも、この頃のことです。😄☀


🔹いま鈴木さんのおっしゃった
時流🌊🌊に流されない✊ということを、私は学校🏫で教わりました。

大切🍀なことでしたね。⚡

戦後の聖心💕には、
戦前のやや儒教的、封建的な雰囲気🌸☁☁が残っていて、

シスター🌸が教室に入るときは、
必ずドア🚪を開けてお待ちするように教育🌸されていました。

その中に男性👨の先生がいらして
留学中にレディーファースト🌸を習ってお帰りになっていた。💕

教室を出ようとして入り口でぱたりと鉢合わせした時、

私は当然のように
「どうぞ、先生🍀」
と申し上げると、

先生は、
「いや、どうぞ🎵」
とおっしゃる。

私、気が短いし、モタモタしたくないものですから、
先生より先に教室を出ちゃったんです。😄

そうしたらイギリス人🇬🇧の老齢のシスター🌸がそれを見ていて、

チッチッチッと舌打ち👅💢で注意⚠をされていた(笑)。

🔸そうそう、シスターたちはそうなさっていました(笑)。

🔹「先生🍀よりも先に学生🌸の自分の教室を出るとは何事か❗」

ということですね。

戦後の儒教が排斥された時代🌸ですけれども、

時流🌊🌊に流されずに日本人🇯🇵になる方法を

私はイギリス人🇬🇧のシスター🌸から教わったんです。

🔸その頃のマザー・ブリット学長👑の口癖👄が、

"Every solitary single each one of you"

皆さん一人ひとりが大切👑な存在🌸だし、
一人のために皆さん🌸が行動🏃しなさい。

一人ひとりが自分で判断し⚡、責任🍀をとりなさい🎵ということを

いつも教えて☀くださいました。😄🎵

ブリット学長👑はアメリカ人🇺🇸でしたが、

「留学する必要は無い。☀

日本語🇯🇵と日本の文化🌸をしっかり身につけなさい。

世界🌏🌎🌍のどこに行っても通用するマナー💕を身につけなさい」

ともおっしゃっていました。🎵

だから、国語🇯🇵は私たちの必須科目🌸だったじゃありませんか。


🔹ブリット学長👑はこんなこともおっしゃっていました。

"To be international, be national"

よい国際人🌎なろうと思ったら、
まず、その国の国民として資格🌸のある人間🍀になりなさい、

ということですね。🎵

これも、いい言葉🍀だと思うんです。

その頃、G I 🇺🇸と呼ばれたアメリカの軍人🔫が日本中🇯🇵にたくさんいて、

街を歩きながらコーラ🍹をラッパ飲みする姿が、私なんかにはとても新鮮😍に見えました。

ところが学長は、

「飲み食いしながら歩くのは教養🌸のない人の風習だから、

G I 🇺🇸のやることを真似てはいけない⚡」

と自国民🇺🇸ですけど、はっきりおっしゃるのね。

見事なものでした。😄💕

🔸いまは、道は歩きながら🚶ペットボトルの水💧などを飲んでいる人も目立ちますが、

そんなことは、考えられない時代でしたね。😄💕


(つづく)