hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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(^_^)私はとっても普通の人です。

年を取る心得

2016-10-16 17:45:17 | 日記
🌸年を取る心得🌸


年というのは、みんな取らなければならないものです。

だから、

「年をとったから杖をつかないと歩けなくなった」

と考えるのではなく、

「杖をついて歩いた方が安全な身体になった」

と考えてくださいね。

それから、

「私はおむつをしている。情けない」

とお考えにならないで、

「オムツをするほど長生きした」

と考えてほしいんです。

若い人もそうです。

「ついに、うちの婆さんもオムツをするようになったか。年は取りたくないなぁ」

と考えるんじゃなくて、

「うちの婆さんはオムツをするほど長生きしてくれた」

と思いましょう。


人は、「年を取ってから老いる」のではなく、

「生まれた瞬間から老いる」という宿命を背負って生きています。

生まれた時から「老い」は皆さんの後からついてきます。

あるときは忍び足で、あるときは早足で。

「若い、若い」と思っているうちに「老い」はすぐ後まで迫ってきていることがあります。

そして、ある日突然、後ろから肩を軽くトントンと叩いてこういうんです。

「おい!」と(笑)。

突然、「老い」から肩を叩かれた人はショックを受けます。

これを「老いるショック」といいます(笑)。

だから、時々後ろ振り向きながら、「老い」に向かって、

「はよ来い、何をぐずぐずしている」

と言えるくらい、年を取ることを積極的に受け入れてください。


「80歳になったらこうしたい」

「90歳になってもやることがある」

と、いつも将来に夢を抱いて生きていると、

「老い」が追いつけなくなる。

後ろの方から「老い」が、

「おいおい、待ってくれ」

と言って必死で追いかけてくるようになる。

そういう人は、いつまでも若々しいです。


年寄りに言っておきますが、

介護が必要になったとき、

息子夫婦から「私たちが看ます」と言ってもらえるような年寄りにならないといけません。

娘に向かって

「あんたの世話にはならん」

と言った、おばばがいましたが、

これは、おばばが間違っています。

年をとったら素直が一番です。

「すまんね」「ありがとう」

が素直に言える年寄りになってくださいね。

嫁が先に変わるんじゃない。

年寄りが先に変わるんです。

それだけ年を重ね、経験を積んできた人だから、人間はできているはずです。

何のための皺(シワ)か。

いろんな苦労を乗り越えてきたシワでしょ。

年を取って家事ができなくなっても、

「すまんね」「ありがとう」

と言える年寄りになれば、家の中が変わります。

「おばあちゃん、いつも元気ですね」

と言われて、

「元気で悪いか」

とそんなこと言っちゃだめですよ。

「はい、おかげさまで」

と言って下さいね。


私は病院でたくさんの年寄りを診てきましたけど、

病気を治すことなんて、できないと思っています。

治ったと思ったら、別の病気で亡くなっていますからね。

どうせ死ぬのなら治さなければよかったと思うようなこともありました。

医者はインフルエンザを治しながら、点滴をしながら、

何を治さなければならないのかというと、

患者の心です。

風邪は放っといても治るけど、

歪んだ心は、放っといても治りません。

私は患者に、

「おかげさまを口癖にしなさいね」

「『すまんね』『ありがとう』っていつも言うんですよ」

と言っているんですね。

家族や周囲の人から惜しまれるように
年を重ねていかないといけないと思いますよ。


(「みやざき中央新聞」医師 早川一光さんより)


生かしていただいていることに、感謝ですね。

聖心女子OG対談⑥(終)

2016-10-16 13:00:26 | お話
🍀🍀人生🍀をどう生きるのか🌸🌸⑥


(🔹曽根綾子さん🔸鈴木秀子さんの対談🌸)


🔹私はこれまでの人生🍀を振り返った時、

「こういう風に生きる」

と決めたことがあまりないんです。😄

「本当は違うんだけど」と思っても、それに抗(あらが)わない。😄

私は目👀が見えるようになって52歳の時に、サハラ砂漠🌍を横断して、

そこからアフリカ🌍との関わりができました。

『時の止まった赤ん坊』📖を書くためにマダカスカル🗻に行った時、

2週間ほど修道院⛪に泊まっていたのですが、あまりの貧しさに驚きました。😵

当時、アフリカ🌍の田舎の各地の修道院⛪の近くなんかに、土地の老人ホーム🏠があって、

お金💰がないために半数のお年寄りはマットレスを床にひいて寝ている。

「何とかベッドを買ってあげたい✊」

というシスター⛪の申請に動かされてで経済支援💰を始めたのが、

そもそも私のNGOのスタートです。😄

それまではアフリカ🌍と30年間、関わり続けるなど考えもしませんでした。

🔸それにしても、体の不自由な方を連れて、何度も巡礼やアフリカ🌍に行くなど、

大変なことをよくやられたものだと感心します。💕

🔹身障者と旅をしたのは、イスラエルやイタリア🇮🇹などでアフリカではないんですけどね。😊


私、74歳の時に足を骨折💢して救急車🚑で昭和大学病院🏥に運ばれたんです。

入院中に口唇口蓋裂の治療🌸をしていらっしゃる形成外科医🏥とお会いしたのですが、

その時は、そのままで終わっていました。☁☁

その数年後のクリスマス🎅🎄にエジプト研究の吉村作治さんが目を怪我して

昭和大学病院🏥に入院なさったというのでお見舞い🌸に行ったんです。

そしたら、その形成外科の先生と、たまたまお会いして、

ちょうどクリスマス🎅🎄でしたから、自宅に食事🍴にお招きしました。

ご飯を召し上がって、

「先生はアフリカ🌍でも口唇口蓋裂の手術💉🔪をやってもいいとお思いですか」

とさりげなくお聞きしたら、

「機会🍀があったらやってみたい🎵」

とおっしゃるんですね。

さらに大学🏫で医療派遣団を出すことも可能だと。

昭和大学のマダガスカルプロジェクトはここから始まったんです。😄

だから、私が足を折って吉村作治さんが怪我💥をなさらなかったら

今日の活動🌸には繋がっていないんです。😄

マイナス😵の出来事も、こんなふうになるのが面白い💕ですね。


🔸やはり、起きてくる出来事🍀をしっかりと受け止め、

いま何をすれば1番いいのかを考えることが人生🍀では大事🌸でしょうね。

出来事というのは人間の意思💓を超えた計らい⛅によるものですから、

「あれはいい、悪い」と決めつけないほうがいい。💕

決めつけるから、いろいろな争い✂も起こるわけで。

🔹ドラマのシナリオ📝の書き手は神☀ご自身なんですよ。

だから、私たちはない知恵を絞って、

「これはどういう意味🍀なのか」

と考え続けないといけないのだと思います。😄

🔸愛なる神様☀は、その人のためになるように計らって下さる💕ので、

何年か経って、

「あのことが起きたおかげで☁☁」

と思う日☀が必ず来ます。✊

そして、人間🍀の苦しみがあるところには、

それを乗り越える力✊もまた与えられているんです。😄🌸


🔸曽根さんは、特に今の若者たちを見ながら、

「与えることを知らない」

とおっしゃいました。🎵

自分にできる小さなことであっても、

与える習慣🌸をつけることが人生🍀を心豊かに👑生きる1つのヒント🎵かもしれませんね。😄

🔹ええ、小さなことでもいいんでしょうね。

私は以前から「くれない族🌸」という言葉🍀を使っていますが、

それは若者に限った話ではありません。🎵

お年寄り🌸にもそういう人はたくさんいます。

友達が「してくれない」、
配偶者が「してくれない」、

政府が「してくれない」、
ケースワーカーが「してくれない」、

娘や息子が「してくれない」。

こういう言葉🍀を口にする人は、
青年👦でも壮年👨でも精神的老化⛅が進んでいると私は言っているんです。🎵

同じような意味🍀で、人間としての与える義務🌸を果たすことも必要なんですね。😄

そうでなくて受けてばかりいると、心💓が満たされないんでしょう。

🔸人間としての義務🍀を果たす。


🔹インドに行った時、ガンジス川に面したヴァナラシで1人の日本人のお嬢さん🌸とお会いしました。🎵

彼女は学校🏫を出て数年間勤めて貯めたお金💰でインドを旅していました。

安い宿に泊まりながら2、3年旅を続けていると聞いて、私は感心💓したんですね。

それで、そちらにいらしたイエズス会⛪の神父様🌸に彼女を紹介して、

後で、

「神父様は、どうお思いになりましたか」

と聞いてみたんです。👂

すると、

「私には少しも幸せに見えなかった」

とおっしゃるんです。

「どうしてでしょう?

独立心💓もあって、自分のお金💰でインドを見に来た感心💓な人ですよ」

と言ったら、

「いや、あの人は、自分のしたいことをしているだけで、⛅

与える🌸という一人前の人間🍀としての義務☀を果たしていない」

と言われる。

考えてみれば、インドという地は貧しい人が多くて皆が助け合わなくては生きていけない。😵

だけど、彼女は1人、自分のことだけを考えて行動🏃していた。

そのことをおっしゃっていたんですね。☀


🔸曽根さんは実際に痛い足💢を引っ張りながら現地🌸に行き、

貧しい人のために尽くす生き方🍀をなさっているから、

お話にとても説得力✊がありますね。

🔹だけど、できない事はできませんし、😄

できないことまでしろとは神様☀はおっしゃらないと、私は甘えているんです。💕

でも、できることはしたほうがいい。✊

鈴木さんの話のように、あの世があるとしたら、

私は人間は地球🌏の1粒に帰していただくと思っているんです。😊

それが土塊(つちくれ)かカルシウムかは知りませんが、

大地は寛大で必ず私を受け入れてくれる。✊

そして、その大地は地球🌏が誕生して以来、生まれ亡くなった方の集まりなんです。🍀🌸🍀🌸

温かい💕「人々の大地🌏」に戻るという考えがあるから、

私は死😇があまり怖くないんですね。😄

その日を迎えるためにも、
周囲のごみ処理ほどの小さなことでもいい。

やるべきことを、きちんとやって大地に帰る。🌏

それでいいのではないでしょうか。💕

限りある人生🍀を、そうやって生きて行けたら幸せ💕だという気がします。

🔸私も同じです。

一瞬✨一瞬✨、目の前に起こる出来事にどういう意味があるかを考えて、

やるべきことを精いっぱい🌸やっていく。

それもまた人生🍀の要訣でしょうね。😄☀


(おしまい)

(「致知10月号」より)