洋子さん 生まれてきてくれてありがとう
🍀🍀人生🍀をどう生きるのか🌸🌸⑤
(🔹曽根綾子さん🔸鈴木秀子さんの対談🌸)
🔸私の人生の転機🌸について
少しお話しさせていただくと、40歳くらいの頃に臨死体験😇をして、
そこから、人生観🌸というものが大きく変わり🔄ました。🌟
その頃、私は近代文学学会🌸に属していて、
奈良であった学会🌸に参加🍀したんです。
宿泊🏨したところが、宮様🏯のお屋敷を改造した修道院⛪で、
部屋までは急な長い梯子⭐が掛けてありました。
私は夜中🌌に廊下を歩いていて
足を踏み外し😵、下まで落ちてしまったんです。😵
すぐにシスター🌸たちが駆け寄ってくれたらしいんですけど、
5時間くらい意識🍀がありませんでした。😵
🔹その間に臨死体験😇をなさったのね。
🔸気がつくと、運ばれた病院🏥の部屋の真ん中に立っていて、
それを斜め上から見下ろして👀いる、もう1人の私🌸がいました。
私が立っている下に台座👑があって、その周りに筍(たけのこ)の皮みたいな、
どうも、それは🌸蓮の花🌸だと後で思ったんですけど、
それが1枚1枚落ちていく。⤵⤵
見ているもう1人の自分は、何とも言えないほど心地がいい💕んですね。
頭も冴えていて痛み⚡はまるでない。✊
1枚🍃落ちるたびに世俗的🏢🏡なことから一つひとつ自由🍀になっていく。
🔹しがらみがなくなり自由🍀になる。
最高👑の感覚💕ね。
🔸あと1枚落ちたら完全に自由🍀になるという時、
斜め上から見ている自分と、立っている自分とが1つになって、
スッと☁☁昇っていく⤴⤴感覚🌸を得ました。
気がつくと全面、果てしないく白っぽい光☀に包まれているんです。✨✨✨
「ああ、この世界は永遠🌸であり、
すべてが生命💕なんだ」
と思いました。😊
そうしたら、人とは思いませんでしたが、
命💓の源🌞と思われる方が
目の前🌟に立っていらして、
私のすべて😊をわかった上で許して🌸くれて、
しかも、
すべてを満たして🌸くれている。
これこそが愛❤だと思いました。
その存在✨が言葉🍀ではなく、
心💓と心💓が通じるように
「もといた世界🌏に帰りなさい🎵」
と言ったんです。😊
そして、
「これから大事🍀なことは、
知ること🌸、と、
愛する❤こと
だけです☀」
と。
知る🌸というのは、人を本当🍀に理解🌟していくこと、
愛❤とは現実🌸を見つめて受け入れていくこと。💕
真の叡智🌸と慈悲❤。
そう表現🍀できのではないかと思います。😄☀
目が覚めた😳後、数日間は奈良にいましたが、
稲を刈り取った後の田んぼの光景🍀と、
干してある稲の匂いがとても気持ちいい💕んですね。
稲の匂い💕と全宇宙🌌、人🍀、自分💓が深いところでつながっている。😊💕
すべてが一体🌸なんだという感覚🌸なんです。😄
私がコミュニオンと呼ばれる活動🍀を開始🌸したのは、
そういう命💓の繋がりを多くの人と分かち合いたい💕と思ったからなんです。😄☀
🔹先程の愛❤のお話を実に具体的に書いてあるのが、
『聖書』の「コリントの使徒への手紙」ですね。
「愛❤は寛容であり、愛❤は情け深い。
また、ねたむことをしない。✊
愛❤は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、
いらだたない、
恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理🍀を喜ぶ。💕
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、🍀
すべてを望み、すべてを耐える✊」
という一説✨があります。
鈴木さんがおっしゃったように、
私たちは善意🌸があると、すぐに誰かを変えよう⚡と思うんですね。
「ここがダメ😵だから、こんなふうに直しなさい👉」
と。
だけど、『聖書』でいう愛❤は変えるのではない、
ただ相手をそのまま受け入れ💕なさい、
耐えなさい✊と書いてある。😊
相手を許し🌸、受け入れる💕とは、そういうことかもしれませんね。😄🎵
(つづく)
(🔹曽根綾子さん🔸鈴木秀子さんの対談🌸)
🔸私の人生の転機🌸について
少しお話しさせていただくと、40歳くらいの頃に臨死体験😇をして、
そこから、人生観🌸というものが大きく変わり🔄ました。🌟
その頃、私は近代文学学会🌸に属していて、
奈良であった学会🌸に参加🍀したんです。
宿泊🏨したところが、宮様🏯のお屋敷を改造した修道院⛪で、
部屋までは急な長い梯子⭐が掛けてありました。
私は夜中🌌に廊下を歩いていて
足を踏み外し😵、下まで落ちてしまったんです。😵
すぐにシスター🌸たちが駆け寄ってくれたらしいんですけど、
5時間くらい意識🍀がありませんでした。😵
🔹その間に臨死体験😇をなさったのね。
🔸気がつくと、運ばれた病院🏥の部屋の真ん中に立っていて、
それを斜め上から見下ろして👀いる、もう1人の私🌸がいました。
私が立っている下に台座👑があって、その周りに筍(たけのこ)の皮みたいな、
どうも、それは🌸蓮の花🌸だと後で思ったんですけど、
それが1枚1枚落ちていく。⤵⤵
見ているもう1人の自分は、何とも言えないほど心地がいい💕んですね。
頭も冴えていて痛み⚡はまるでない。✊
1枚🍃落ちるたびに世俗的🏢🏡なことから一つひとつ自由🍀になっていく。
🔹しがらみがなくなり自由🍀になる。
最高👑の感覚💕ね。
🔸あと1枚落ちたら完全に自由🍀になるという時、
斜め上から見ている自分と、立っている自分とが1つになって、
スッと☁☁昇っていく⤴⤴感覚🌸を得ました。
気がつくと全面、果てしないく白っぽい光☀に包まれているんです。✨✨✨
「ああ、この世界は永遠🌸であり、
すべてが生命💕なんだ」
と思いました。😊
そうしたら、人とは思いませんでしたが、
命💓の源🌞と思われる方が
目の前🌟に立っていらして、
私のすべて😊をわかった上で許して🌸くれて、
しかも、
すべてを満たして🌸くれている。
これこそが愛❤だと思いました。
その存在✨が言葉🍀ではなく、
心💓と心💓が通じるように
「もといた世界🌏に帰りなさい🎵」
と言ったんです。😊
そして、
「これから大事🍀なことは、
知ること🌸、と、
愛する❤こと
だけです☀」
と。
知る🌸というのは、人を本当🍀に理解🌟していくこと、
愛❤とは現実🌸を見つめて受け入れていくこと。💕
真の叡智🌸と慈悲❤。
そう表現🍀できのではないかと思います。😄☀
目が覚めた😳後、数日間は奈良にいましたが、
稲を刈り取った後の田んぼの光景🍀と、
干してある稲の匂いがとても気持ちいい💕んですね。
稲の匂い💕と全宇宙🌌、人🍀、自分💓が深いところでつながっている。😊💕
すべてが一体🌸なんだという感覚🌸なんです。😄
私がコミュニオンと呼ばれる活動🍀を開始🌸したのは、
そういう命💓の繋がりを多くの人と分かち合いたい💕と思ったからなんです。😄☀
🔹先程の愛❤のお話を実に具体的に書いてあるのが、
『聖書』の「コリントの使徒への手紙」ですね。
「愛❤は寛容であり、愛❤は情け深い。
また、ねたむことをしない。✊
愛❤は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、
いらだたない、
恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理🍀を喜ぶ。💕
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、🍀
すべてを望み、すべてを耐える✊」
という一説✨があります。
鈴木さんがおっしゃったように、
私たちは善意🌸があると、すぐに誰かを変えよう⚡と思うんですね。
「ここがダメ😵だから、こんなふうに直しなさい👉」
と。
だけど、『聖書』でいう愛❤は変えるのではない、
ただ相手をそのまま受け入れ💕なさい、
耐えなさい✊と書いてある。😊
相手を許し🌸、受け入れる💕とは、そういうことかもしれませんね。😄🎵
(つづく)
🌸🌸叱らない子育て方法🌸🌸
今日は子育て🍀の話をします。
子供たち👦👧が親👨👩の言うことを何でも聞き、
言ったことを受け入れて💕くれるのであれば、
子育ては難しくありません。😄☀️
しかし、そうではないから子育て🍀は難しいのです。😵
ですから、まずは親🌸が子供たちの行動🚶を理解☀️し、
どのように対処🌸していけばいいかを知ること🍀が大切です。
昔、息子が通っていた保育園🏡で、こう言われたことがあります。
「お宅の子供さん👦のことで困っています。😵
私が話を始めたら🎵壁のほう向いてしまう。😵
話を聞いてくれない👂から協力🌸してほしい」
と。
この問題行動🌸は保育園🏡と言う場所で、
保育士さんを相手🍀に起きている問題です。
それなのに、親👨である僕が
保育園🏡での子供👦の行動について何ができるのだろうか☁️☁️と思いました。
「僕にできることがありますか?😄」
と聞いてみると、
「家で抱きしめて🌸あげてください」
と言われました。✨
つまり問題行動の原因🍀は、親の愛情💓不足だと言われたのです。😵
ただ私は、これは愛情💓不足🍀の問題ではないと思いました。☁️
今、愛情💓不足の子供たち🌸がいるとは思えません。
親の愛情過多😵だったり、愛情過多であるのに、
子供が「もっと愛してほしい✊」と願う愛情💓飢餓の状態です。
ですから愛情不足が問題🍀ではないのです。
それから、この問題の行動が向けられている相手🌸は、
他の誰でもない保育士🌟さんです。
つまり、結局は保育士🌟さんの問題なのです。
それを親🌸の問題🍀にしてしまうのは、おかしな話です。
子供を愛さない親はいませんから、😄
「愛情💓不足」だと言われても親は困ってしまうのです。😄☀️
ただ、愛💓だけの子育てではいけませんので、
親🌸は子育ての「方法🍀」を学ばなんてはいけません。😄☀️
子供が問題行動🌀を起こしたら親は何をするか。
きっと「叱る⚡️」という行動🌸に出ると思います。
ところが、叱っているにもかかわらず、
子供は行動を改善しません。✊
毎日☀️毎日☀️、同じように子供は問題🌸を起こして、親は叱り⚡️ます。
このとき、何度叱っても子供が行動を改善👑しないのであれば、
それは、叱り方の程度🌸が足りないのではなくて、
「叱る⚡️」という方法🍀そのものを改善🌸したほうがいいと考えてください。😄💕
なぜ叱っているのに子供たちが言うことを聞かないのかというと、😄
子供たちは、自分の行動🚶を完璧🌸に理解🌟しているからです。
いわば確信犯⚡️なのです。
ですから、子供を叱っても問題🍀は解決しないということです。⚡️✨
「叱る⚡️」という行為には、2つの問題点🌸があります。
1つは、親🌸と子供👦👧の関係が遠く☁️☁️なってしまうことです。
関係🌸が遠く☁️☁️なると、子供はもっと言うことを聞いてくれません。😵
もう一つは、子供が親の顔色🌊🌁☁️☔️を伺うようになることです。😵
親の顔色🌸を見て自分が行動するかどうかを決めるようになります。⚡️
自分から進んで🏃🏃何かをしたり、
独創的🍀なことをしたりするような子供にはなりません。😵
叱られる⚡️か叱られない✊かで行動🍀するのを決める💓のではなくて、
自分で自分の行動🍀の適否⭕️❌を判断🌟して行動できる子供🌸になってほしいです。💕
これら2つの問題🍀があるので、
親🌸は子供を叱っても意味🍀がないと言うわけです。😄🎵
では、叱らないのであれば、親🌸は何をすればいいのでしょうか。☁️☁️
息子が2歳の時、ミルク🍼の入ったマグカップ☕️を持って歩き👟👟ながら飲もう👄としていました。
次の瞬間⚡️に何が起こるか予想🌸できますかね。🎵
多くの親🌸は、何も起こらない段階でその行動を止めよう✋💢とします。
もちろん、このミルク🍼がとても熱く♨️て火傷💢をすることがわかっているときや、
それがガラスのコップ🍷であれば
止めないといけないと思います。😄
そういった危険⚠️はなかったので、
僕が何も言わず見て👀いると、
息子はミルク🍼をこぼしてしまいました。💨
この時、僕は叱らずに
「どうしたらいいと思う?」
と聞きました。😄☀️
息子は
「わかってる。雑巾で拭く🌟」
と言って、雑巾で床を拭き始めました。😄💕
このような時、親🌸が子供の代わりに雑巾で拭くことがありますが、
そうすると子供は
「自分が何をしても、親🌸が尻拭いをしてくれる」
ということを学んでしまいます。😵
そして僕は、同じ失敗を何回も繰り返されては困るので、息子🌸に、
「次から、こぼさないようにするにはどうしたらいいと思う?😄」
と聞きました。🎵
息子🌸はしばらく考えて
「座って飲む🌟」
と答えました。😄
そこで僕は
「じゃあ、これからは座って飲んでね🎵」
と言いました。💕
これで一件落着🌟🌟🌟です。
この間、全く叱っていませんし、
自分の失敗😵の責任🍀は自分できちんと取れるというわけです。☀️
また、経験🌸された方が、たくさんいると思いますが、☁️☁️☁️
子供が、おもちゃ売り場🚂🎮や、お菓子🍫🍪売り場の前で、泣き出す😂ことがあります。
親は
「あんたなんかもう捨てて帰るから⚡️」
と言って、その場を立ち去ろう🏃☁️☁️としますが、
結局10分🕑くらいしたらその場に戻り、
ずっと泣き続けている子供😂を見て👀💢、
結局、買ってあげます。😵💕
それなら最初から買えよ😳、という話です(笑)。
同じことを僕も体験🌸しました。
僕は、息子👦に対してこう言いました。😄☀️
「泣かなくても😂いいから、言葉🍀でお願い🌸してくれませんか☁️☁️」
と。🍀
息子が3歳の時🌟でした。
すると息子は泣き止んで😳
「あの、お菓子🍪を買ってくれたらとても嬉しい💕んだけど」
と言いました。🎵
親🌸は子供の要求内容🎵が嫌なのではなくて、
要求の仕方🍀は嫌😵なのです。
ですから、親が子供🌸に教えなければならないのは
適切🌟な要求の仕方🍀なのです。
と、いうことは、
親🌸が子供👦👧に対しても同じことをしてはいけません。✊
感情的⚡️に子供を叱る⚡️と、子供も同じようなことをします。🎵
親🌸がまずモデル🎵になりましょう。
親🌸が叱らずに言葉🍀でお願い💕することをやっていけば、
子供たち👦👧もやがて学んで✊くれるはずです。😄💕☀️
(「みやざき中央新聞」ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者 岸見一郎さんより)
教えるって、大切ですね!(^_^)
今日は子育て🍀の話をします。
子供たち👦👧が親👨👩の言うことを何でも聞き、
言ったことを受け入れて💕くれるのであれば、
子育ては難しくありません。😄☀️
しかし、そうではないから子育て🍀は難しいのです。😵
ですから、まずは親🌸が子供たちの行動🚶を理解☀️し、
どのように対処🌸していけばいいかを知ること🍀が大切です。
昔、息子が通っていた保育園🏡で、こう言われたことがあります。
「お宅の子供さん👦のことで困っています。😵
私が話を始めたら🎵壁のほう向いてしまう。😵
話を聞いてくれない👂から協力🌸してほしい」
と。
この問題行動🌸は保育園🏡と言う場所で、
保育士さんを相手🍀に起きている問題です。
それなのに、親👨である僕が
保育園🏡での子供👦の行動について何ができるのだろうか☁️☁️と思いました。
「僕にできることがありますか?😄」
と聞いてみると、
「家で抱きしめて🌸あげてください」
と言われました。✨
つまり問題行動の原因🍀は、親の愛情💓不足だと言われたのです。😵
ただ私は、これは愛情💓不足🍀の問題ではないと思いました。☁️
今、愛情💓不足の子供たち🌸がいるとは思えません。
親の愛情過多😵だったり、愛情過多であるのに、
子供が「もっと愛してほしい✊」と願う愛情💓飢餓の状態です。
ですから愛情不足が問題🍀ではないのです。
それから、この問題の行動が向けられている相手🌸は、
他の誰でもない保育士🌟さんです。
つまり、結局は保育士🌟さんの問題なのです。
それを親🌸の問題🍀にしてしまうのは、おかしな話です。
子供を愛さない親はいませんから、😄
「愛情💓不足」だと言われても親は困ってしまうのです。😄☀️
ただ、愛💓だけの子育てではいけませんので、
親🌸は子育ての「方法🍀」を学ばなんてはいけません。😄☀️
子供が問題行動🌀を起こしたら親は何をするか。
きっと「叱る⚡️」という行動🌸に出ると思います。
ところが、叱っているにもかかわらず、
子供は行動を改善しません。✊
毎日☀️毎日☀️、同じように子供は問題🌸を起こして、親は叱り⚡️ます。
このとき、何度叱っても子供が行動を改善👑しないのであれば、
それは、叱り方の程度🌸が足りないのではなくて、
「叱る⚡️」という方法🍀そのものを改善🌸したほうがいいと考えてください。😄💕
なぜ叱っているのに子供たちが言うことを聞かないのかというと、😄
子供たちは、自分の行動🚶を完璧🌸に理解🌟しているからです。
いわば確信犯⚡️なのです。
ですから、子供を叱っても問題🍀は解決しないということです。⚡️✨
「叱る⚡️」という行為には、2つの問題点🌸があります。
1つは、親🌸と子供👦👧の関係が遠く☁️☁️なってしまうことです。
関係🌸が遠く☁️☁️なると、子供はもっと言うことを聞いてくれません。😵
もう一つは、子供が親の顔色🌊🌁☁️☔️を伺うようになることです。😵
親の顔色🌸を見て自分が行動するかどうかを決めるようになります。⚡️
自分から進んで🏃🏃何かをしたり、
独創的🍀なことをしたりするような子供にはなりません。😵
叱られる⚡️か叱られない✊かで行動🍀するのを決める💓のではなくて、
自分で自分の行動🍀の適否⭕️❌を判断🌟して行動できる子供🌸になってほしいです。💕
これら2つの問題🍀があるので、
親🌸は子供を叱っても意味🍀がないと言うわけです。😄🎵
では、叱らないのであれば、親🌸は何をすればいいのでしょうか。☁️☁️
息子が2歳の時、ミルク🍼の入ったマグカップ☕️を持って歩き👟👟ながら飲もう👄としていました。
次の瞬間⚡️に何が起こるか予想🌸できますかね。🎵
多くの親🌸は、何も起こらない段階でその行動を止めよう✋💢とします。
もちろん、このミルク🍼がとても熱く♨️て火傷💢をすることがわかっているときや、
それがガラスのコップ🍷であれば
止めないといけないと思います。😄
そういった危険⚠️はなかったので、
僕が何も言わず見て👀いると、
息子はミルク🍼をこぼしてしまいました。💨
この時、僕は叱らずに
「どうしたらいいと思う?」
と聞きました。😄☀️
息子は
「わかってる。雑巾で拭く🌟」
と言って、雑巾で床を拭き始めました。😄💕
このような時、親🌸が子供の代わりに雑巾で拭くことがありますが、
そうすると子供は
「自分が何をしても、親🌸が尻拭いをしてくれる」
ということを学んでしまいます。😵
そして僕は、同じ失敗を何回も繰り返されては困るので、息子🌸に、
「次から、こぼさないようにするにはどうしたらいいと思う?😄」
と聞きました。🎵
息子🌸はしばらく考えて
「座って飲む🌟」
と答えました。😄
そこで僕は
「じゃあ、これからは座って飲んでね🎵」
と言いました。💕
これで一件落着🌟🌟🌟です。
この間、全く叱っていませんし、
自分の失敗😵の責任🍀は自分できちんと取れるというわけです。☀️
また、経験🌸された方が、たくさんいると思いますが、☁️☁️☁️
子供が、おもちゃ売り場🚂🎮や、お菓子🍫🍪売り場の前で、泣き出す😂ことがあります。
親は
「あんたなんかもう捨てて帰るから⚡️」
と言って、その場を立ち去ろう🏃☁️☁️としますが、
結局10分🕑くらいしたらその場に戻り、
ずっと泣き続けている子供😂を見て👀💢、
結局、買ってあげます。😵💕
それなら最初から買えよ😳、という話です(笑)。
同じことを僕も体験🌸しました。
僕は、息子👦に対してこう言いました。😄☀️
「泣かなくても😂いいから、言葉🍀でお願い🌸してくれませんか☁️☁️」
と。🍀
息子が3歳の時🌟でした。
すると息子は泣き止んで😳
「あの、お菓子🍪を買ってくれたらとても嬉しい💕んだけど」
と言いました。🎵
親🌸は子供の要求内容🎵が嫌なのではなくて、
要求の仕方🍀は嫌😵なのです。
ですから、親が子供🌸に教えなければならないのは
適切🌟な要求の仕方🍀なのです。
と、いうことは、
親🌸が子供👦👧に対しても同じことをしてはいけません。✊
感情的⚡️に子供を叱る⚡️と、子供も同じようなことをします。🎵
親🌸がまずモデル🎵になりましょう。
親🌸が叱らずに言葉🍀でお願い💕することをやっていけば、
子供たち👦👧もやがて学んで✊くれるはずです。😄💕☀️
(「みやざき中央新聞」ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者 岸見一郎さんより)
教えるって、大切ですね!(^_^)