🎵💕アメイジング・グレイス💕🎵
「アメイジング・グレイス」
という、私たちが大きな愛に包まれて生きていることを感じさせてくれる歌があります。
コンサートでこの歌を聴いている聴衆の様子を見ると、
涙を流す方がいたり、
恋人と抱き合って「一緒に頑張ろう」と約束しあったり、
いろいろな思い出や共感がわき、
生きる力をいただいていることが伝わってきます。
私は、最初この歌を聴いて、心を揺さぶられたとき、
「この歌は、一体どんな背景があるのだろう」
と思いました。
調べてみると、この歌はイギリス国教会の司祭ジョン・ニュートンが書いたものでした。
しかも、彼は、司祭になる以前は
奴隷船の船長していたことも分かりました。
そこで私は、イギリスに渡り、ロンドンやリバプールやオルニーの教会などを取材し、
その後、黒人の側からも見てみようと西アフリカを訪ねました。
セネガルの首都ダカールの沖合3キロにあるゴレ島に、奴隷収容所が残っていました。
そこには、「no return gate(二度とアフリカに帰ってこれない門)」がありました。
その門をくぐって船に積み込まれた黒人たちは、
そのままアメリカに奴隷として連れていかれます。
ですから、船に乗せられまいと必死に抵抗しました。
その通路の壁は、つかむところのない壁にも関わらず、必死にしがみついたのでしょう、
壁の表面が、血糊でツルツルになっていました。
海に飛び込んで逃れようとした人もいました。
しかし、はめられている鉄の手錠の重さで沈みます。
しかも、海にはサメがウヨウヨしていて、
その犠牲になった人も多かったそうです。
そもそも、こうした黒人の奴隷が生まれたのは、
白人によって起こされた部族間の争いが原因でした。
イギリスやフランスから運ばれてくる
毛織物や綿織物を欲しがる部族の人たちに、
白人の奴隷商人たちは、
戦いに負けた部族を奴隷として差し出すよう提案したのです。
🔹🔹🔹
ジョン・ニュートンは若い時、イギリスとアフリカ、アメリカを行き来しながら黒人奴隷貿易を行っていました。
そんなの1748年のある日のこと、
イギリスに帰る途中、彼の乗った船が嵐に遭遇しました。
生きるか死ぬかの絶体絶命の状況に追い込まれ、
必死になって祈りました。
「神よ、どうか助けてください。
もう一度、生きる機会を与えてくださったならば、
私は人々の魂の生活に寄与する人生を生きます」
と。
すると、その願いが届いたのか、
4週間漂流したのち、船は奇跡的に北アイルランドに漂着し、
一命を取り留めることができたのです。
「もう金輪際、奴隷貿易には携わらない」
と誓った彼は、
子供の頃からの念願だった聖職者になる道を進み始めます。
そして、大変な努力を積み重ね、イギリス国教会の聖職者になりました。
最初に赴任したのは、オルニーという小さな村の教会でした。
彼がそこで司祭をしながら書き上げたのが
「アメイジング・グレイス」
だったのです。
「かつて、道を踏み外し、目が見えなかった私のような恥ずべき人間でさえも救われた。
ああ、アメイジング・グレイス
(驚くほどの神の恵み)
神の恵みは、なんと偉大であることだろう」
それは、どんな人間でも
立ち直ることができるという喜びの詩でした。
この歌は、多くの人々の共感を得て、イギリス全土へと広がり、
さらに当時イギリスの植民地であったアメリカにも、移民とともに渡っていきました。
今から250年ほど前の話です。
そして、この歌は、アフリカから強制的に連れてこられた黒人たちにも共感され、彼らの間にも広がっていきました。
すべての権利を剥奪され、炎天下での綿花畑で重労働を課せられていた奴隷たち。
この過酷な運命の黒人たちもこの歌に共感し、
いろいろな節をつけながら歌うようになりました。
「神は私を見捨ててはいらっしゃらない。
自暴自棄にならず、着実に道を歩んでいけば、
いつか、きっと、私にも自由な日がやってくる」
と、黒人たちは自分たちを励ましたのです。
この歌が、さらに白人の間にまで広がっていくようになったのは、
ベトナム戦争終結ののちでした。
歴史上初めてアメリカが対外戦争で敗れた。
しかも、アジアの小さな国に。
そのショックはアメリカ国民に深刻な精神的荒廃をもたらしました。
「軍もマスコミも信じられない」。
そんな不信感が国中を覆い、国として危機的な状況がやってきたのです。
その時、1人の歌手が静かに
「アメイジング・グレイス」
を歌い始めました。
ジュディ・コリンズという女性歌手でした。
しかも、アカペラで。
すると、この歌はアメリカ国民一人ひとりの心に染み入り、
「もう一度、本来の自分を取り戻そう」
と、人々に信じる心を取り戻させていき、
その感動は、燎原の火のように全土へと広がっていったのでした。
もしも、貧困と差別によって虐げられていたアメリカの黒人たちが、
自暴自棄になり、中東で見られるような自爆テロのように、
暴力で自分の意見を通そうとしていたならば、
アメリカは根底から覆され、体をなしていかなかったかもしれません。
そして四分五裂して混乱し、
きっと世界にまで悪影響及ぼしていたことでしょう。
しかし、この歌が
「私は神の大きな見守りの中にあり、
決して見捨てられてはいない」
と、人々の心を癒したことにより、
その後もアメリカは、落ち着いた国としてその使命を果たすことができたのでした。
(「みやざき中央新聞」神渡良平さんより)
大いなる神の恵みは、いつの時代にもあるんですね。(^_^)
「アメイジング・グレイス」
という、私たちが大きな愛に包まれて生きていることを感じさせてくれる歌があります。
コンサートでこの歌を聴いている聴衆の様子を見ると、
涙を流す方がいたり、
恋人と抱き合って「一緒に頑張ろう」と約束しあったり、
いろいろな思い出や共感がわき、
生きる力をいただいていることが伝わってきます。
私は、最初この歌を聴いて、心を揺さぶられたとき、
「この歌は、一体どんな背景があるのだろう」
と思いました。
調べてみると、この歌はイギリス国教会の司祭ジョン・ニュートンが書いたものでした。
しかも、彼は、司祭になる以前は
奴隷船の船長していたことも分かりました。
そこで私は、イギリスに渡り、ロンドンやリバプールやオルニーの教会などを取材し、
その後、黒人の側からも見てみようと西アフリカを訪ねました。
セネガルの首都ダカールの沖合3キロにあるゴレ島に、奴隷収容所が残っていました。
そこには、「no return gate(二度とアフリカに帰ってこれない門)」がありました。
その門をくぐって船に積み込まれた黒人たちは、
そのままアメリカに奴隷として連れていかれます。
ですから、船に乗せられまいと必死に抵抗しました。
その通路の壁は、つかむところのない壁にも関わらず、必死にしがみついたのでしょう、
壁の表面が、血糊でツルツルになっていました。
海に飛び込んで逃れようとした人もいました。
しかし、はめられている鉄の手錠の重さで沈みます。
しかも、海にはサメがウヨウヨしていて、
その犠牲になった人も多かったそうです。
そもそも、こうした黒人の奴隷が生まれたのは、
白人によって起こされた部族間の争いが原因でした。
イギリスやフランスから運ばれてくる
毛織物や綿織物を欲しがる部族の人たちに、
白人の奴隷商人たちは、
戦いに負けた部族を奴隷として差し出すよう提案したのです。
🔹🔹🔹
ジョン・ニュートンは若い時、イギリスとアフリカ、アメリカを行き来しながら黒人奴隷貿易を行っていました。
そんなの1748年のある日のこと、
イギリスに帰る途中、彼の乗った船が嵐に遭遇しました。
生きるか死ぬかの絶体絶命の状況に追い込まれ、
必死になって祈りました。
「神よ、どうか助けてください。
もう一度、生きる機会を与えてくださったならば、
私は人々の魂の生活に寄与する人生を生きます」
と。
すると、その願いが届いたのか、
4週間漂流したのち、船は奇跡的に北アイルランドに漂着し、
一命を取り留めることができたのです。
「もう金輪際、奴隷貿易には携わらない」
と誓った彼は、
子供の頃からの念願だった聖職者になる道を進み始めます。
そして、大変な努力を積み重ね、イギリス国教会の聖職者になりました。
最初に赴任したのは、オルニーという小さな村の教会でした。
彼がそこで司祭をしながら書き上げたのが
「アメイジング・グレイス」
だったのです。
「かつて、道を踏み外し、目が見えなかった私のような恥ずべき人間でさえも救われた。
ああ、アメイジング・グレイス
(驚くほどの神の恵み)
神の恵みは、なんと偉大であることだろう」
それは、どんな人間でも
立ち直ることができるという喜びの詩でした。
この歌は、多くの人々の共感を得て、イギリス全土へと広がり、
さらに当時イギリスの植民地であったアメリカにも、移民とともに渡っていきました。
今から250年ほど前の話です。
そして、この歌は、アフリカから強制的に連れてこられた黒人たちにも共感され、彼らの間にも広がっていきました。
すべての権利を剥奪され、炎天下での綿花畑で重労働を課せられていた奴隷たち。
この過酷な運命の黒人たちもこの歌に共感し、
いろいろな節をつけながら歌うようになりました。
「神は私を見捨ててはいらっしゃらない。
自暴自棄にならず、着実に道を歩んでいけば、
いつか、きっと、私にも自由な日がやってくる」
と、黒人たちは自分たちを励ましたのです。
この歌が、さらに白人の間にまで広がっていくようになったのは、
ベトナム戦争終結ののちでした。
歴史上初めてアメリカが対外戦争で敗れた。
しかも、アジアの小さな国に。
そのショックはアメリカ国民に深刻な精神的荒廃をもたらしました。
「軍もマスコミも信じられない」。
そんな不信感が国中を覆い、国として危機的な状況がやってきたのです。
その時、1人の歌手が静かに
「アメイジング・グレイス」
を歌い始めました。
ジュディ・コリンズという女性歌手でした。
しかも、アカペラで。
すると、この歌はアメリカ国民一人ひとりの心に染み入り、
「もう一度、本来の自分を取り戻そう」
と、人々に信じる心を取り戻させていき、
その感動は、燎原の火のように全土へと広がっていったのでした。
もしも、貧困と差別によって虐げられていたアメリカの黒人たちが、
自暴自棄になり、中東で見られるような自爆テロのように、
暴力で自分の意見を通そうとしていたならば、
アメリカは根底から覆され、体をなしていかなかったかもしれません。
そして四分五裂して混乱し、
きっと世界にまで悪影響及ぼしていたことでしょう。
しかし、この歌が
「私は神の大きな見守りの中にあり、
決して見捨てられてはいない」
と、人々の心を癒したことにより、
その後もアメリカは、落ち着いた国としてその使命を果たすことができたのでした。
(「みやざき中央新聞」神渡良平さんより)
大いなる神の恵みは、いつの時代にもあるんですね。(^_^)