🍱弁当🍱
香川県内の小中学校🏫の元校長🌸で、今は全国で講演活動🎤されている竹下和男さんの話🎵を聞く機会がありました。
竹下さんは「弁当🍱の日」を提唱し、全国🗾に広める活動しています。
「弁当🍱の日」とは、食🍴の大切さに気づいてもらおうとする食育🍀活動の一環🌸で、
献立、買い出し、調理、弁当箱詰め、
そのすべてを子供たち👦👧が行う日です。
この「弁当🍱の日」の実践子校🏫は、今では全国で約1,800校に上るそうです。
竹下さんの話を聴きながら、弁当🍱の思い出が三つ頭に浮かんできました。☁️⛅️☀️
(その1)
高校時代🏫、同じ部活動🍀をしているWという友人🌸がいました。
彼は昼休みの時間に菓子パン🍞を食べていることが多かった気がします。
昼に姿が見えなくなることもありました。
ある日の昼休み、私が何かの用事で部室に行くと鍵が開いていました。
中を覗くと、Wが膝を折り曲げて、ぼーっ☁️☁️と座っていました。☁️☁️
Wの家は貧しく、お弁当🍱を作ってくれる母親🌸もいませんでした。
私は毎日お弁当🍱を食べられことを当たり前だと思っていた自分の傲慢さに気づきました。😰⚠️
(その2 )
建設現場🏢の車からお弁当🍱が盗まれることがあります。
当時50代後半だったとMさんがその被害😵にあいました。
Mさんには悪いですが、財布💰を盗まれるのと違って、
お弁当🍱を盗まれるというのは、ちょっと滑稽な感じ💓がします。
Mもみんなと一緒に笑って😄いましたが、
少し落ち込んでいるようにも見えました。⛅️
その日の夜🌌。
「弁当箱🍱だけでも返ってこないかな。
実はこの会社に就職🍀が決まった時、
娘🌸が買って👜くれたものだったんですよ」
みんな帰った静かな事務所🏠で、
Mさんはそう言って悲しそうに微笑みました。😀☁️
(その3)
私の妹🌸の結婚式💒で読み上げられた、両親への感謝の手紙✉️の一部です。
「恥ずかしい話ですが、
私は会社🏢に持っていくお弁当🍱を、
お母さん🌸に作ってもらっていました。
『マンネリでごめんね☁️』
と、いつもお母さん🌸は言っていたけど、
お母さんの弁当🍱の味は、一生🍀忘れません💓」
妹の涙声😭に私も思わず涙💧が出そうでした。😢
母🌸を見ると、意外にも母は毅然⚡️と立ち、じっと妹を見つめて👀🌟いました。
その姿が、なんだか かっこよく☀️見えました。😄💕
一方、母の隣にいた父👨は、
立っているのもやっとなくらい号泣😭していて、
とても恥ずかしかったです。😨
「弁当🍱」は、今では "bento" と英語にもなっています。🎵
"Lunchbox" (ランチボックス)と "bento" は違う、と知り合いのアメリカ人🇺🇸が言っていました。
お弁当🍱には愛❤️が詰まっているからだそうです。😄🎵
(「みやざき中央新聞」山本さんより)
私も、友達のきれいな盛り付けの弁当を見ると、羨ましかった思い出があります。😵
でも、作ってもらえるだけで、ありがたかったんですね。😄☀️