🌸🌸遊ぶ🌸🌸
遊。遊ぶ。古くは「游」とも書いた。
漢字の大家、白川静氏によれば、遊は神遊びが原義で、神とともにする状態のことだという。
遊は暇つぶしではない。
また何かのためにするのでもない。
子供の遊ぶ姿に、それは如実である。
遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。
夢中である。無心である。
先日、百寿を全うされた伊與田覺(いよた さとる)氏は、7歳から最晩年まで、93年にわたり、
毎日『論語』を一章ずつ素読することを日課にされていた。
氏にとって『論語』に登場する人たちは旧知の友人のように感じられていたのではないか。
その伊與田氏がある時、『論語』雍也(ようや)第六篇の中にある一節について、こんな話をされた。
之(これ)を知るものは 之(これ)を好む者に如(し)かず、
之(これ)を好む者は 之(これ)を楽しむものに如(し)かず
知る者は好んでやる者には及ばない。
好んでやる者は楽しんでやる者に及ばない。
古来、多くの人が愛誦した一節だが、
氏はこの上にもう一つの境地があるという。
それが「遊」である。
知には無知、好きには嫌い、楽しい人には苦しみというように、
知好楽には相対する世界がある。
しかし、遊には相対するものがない。
絶対の境地である。
ここに至ることが尊いというのである。
天命を知ったあとの孔子の境地は、この遊に近いものがあると思う、とも話されていた。
『礼記』の一篇「学記」には、
学問には蔵学(ぞうがく)、修学(しゅうがく)、息学(そくがく)、遊学(ゆうがく)の4つの段階があると記されている。
もっぱら本を読み、知識を蔵にしまい込むように学ぶ。
蔵学である。
次に集めた知識を整理し、自分のものにする。
修学である。
この段階を経ると、呼吸をするのと同じように学問が自然になる。
息学である。
そして、さらに学問が体に溶け込み、自分と学問が一体になる。
遊学である。
伊與田氏も白川氏もともに息学を超えて、
遊学の域に達している趣を体全体から発していた。
お二人に限らない。
『致知』にご登場いただいた方々を思い浮かべると、
その道を極められた達人たちは、画家であれ書家あれ経営者であれ、
一様にその仕事を遊んでいる風情があった。
長年にわたる真剣と必死の反復が、そういう人格体を生んだのだろうと推測される。
とりわけ明治に生を受けた大人たちは、人生そのものを遊んでいたかのような人が多い。
100歳のときに30年分の仕事の材料を買い込んでいたという彫刻家の平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は、その典型である。
その言葉がある。
「六十 七十 はなたれこぞう おとこざかりは百から 百から」
どなたの言葉が不明だが、こういう言葉もある。
「五十 六十鼻たれ小僧 七十八十働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」
本誌になじみの深い平澤興先生も人生を楽しみ遊んだ人である。
その言葉。
「五十六十花盛り、七十八十実が成って、九十百歳 熟(う)れ盛り」
こういう境地を目指して、私たちも前進したい。
(「致知」12月号 より)
遊。遊ぶ。古くは「游」とも書いた。
漢字の大家、白川静氏によれば、遊は神遊びが原義で、神とともにする状態のことだという。
遊は暇つぶしではない。
また何かのためにするのでもない。
子供の遊ぶ姿に、それは如実である。
遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。
夢中である。無心である。
先日、百寿を全うされた伊與田覺(いよた さとる)氏は、7歳から最晩年まで、93年にわたり、
毎日『論語』を一章ずつ素読することを日課にされていた。
氏にとって『論語』に登場する人たちは旧知の友人のように感じられていたのではないか。
その伊與田氏がある時、『論語』雍也(ようや)第六篇の中にある一節について、こんな話をされた。
之(これ)を知るものは 之(これ)を好む者に如(し)かず、
之(これ)を好む者は 之(これ)を楽しむものに如(し)かず
知る者は好んでやる者には及ばない。
好んでやる者は楽しんでやる者に及ばない。
古来、多くの人が愛誦した一節だが、
氏はこの上にもう一つの境地があるという。
それが「遊」である。
知には無知、好きには嫌い、楽しい人には苦しみというように、
知好楽には相対する世界がある。
しかし、遊には相対するものがない。
絶対の境地である。
ここに至ることが尊いというのである。
天命を知ったあとの孔子の境地は、この遊に近いものがあると思う、とも話されていた。
『礼記』の一篇「学記」には、
学問には蔵学(ぞうがく)、修学(しゅうがく)、息学(そくがく)、遊学(ゆうがく)の4つの段階があると記されている。
もっぱら本を読み、知識を蔵にしまい込むように学ぶ。
蔵学である。
次に集めた知識を整理し、自分のものにする。
修学である。
この段階を経ると、呼吸をするのと同じように学問が自然になる。
息学である。
そして、さらに学問が体に溶け込み、自分と学問が一体になる。
遊学である。
伊與田氏も白川氏もともに息学を超えて、
遊学の域に達している趣を体全体から発していた。
お二人に限らない。
『致知』にご登場いただいた方々を思い浮かべると、
その道を極められた達人たちは、画家であれ書家あれ経営者であれ、
一様にその仕事を遊んでいる風情があった。
長年にわたる真剣と必死の反復が、そういう人格体を生んだのだろうと推測される。
とりわけ明治に生を受けた大人たちは、人生そのものを遊んでいたかのような人が多い。
100歳のときに30年分の仕事の材料を買い込んでいたという彫刻家の平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は、その典型である。
その言葉がある。
「六十 七十 はなたれこぞう おとこざかりは百から 百から」
どなたの言葉が不明だが、こういう言葉もある。
「五十 六十鼻たれ小僧 七十八十働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」
本誌になじみの深い平澤興先生も人生を楽しみ遊んだ人である。
その言葉。
「五十六十花盛り、七十八十実が成って、九十百歳 熟(う)れ盛り」
こういう境地を目指して、私たちも前進したい。
(「致知」12月号 より)