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ときには嘘が宝になることもあります

2017-11-13 15:55:22 | ひとりさん
🌸🌸ときには嘘が宝になることもあります🌸🌸


この間、「一人さん会」(全国の銀座まるかん共通の勉強会です)をやっていたときのことです。

隣の会場では、どこかの商工会議所の方たちが会議を開いていたようでした。

私が部屋の外に出ると、その団体から怒った顔の1人の男性が近づいてきて、こう話かけられました。

「おたく、斎藤一人さんのところだよね? あのさ、笑顔がない人に『素敵な笑顔ですね』とか、

おいしくもないラーメンを『おいしい』って言うのは、うそだよね」

内心、「これは面倒だぞ」って思いました(笑)。

最初から、けんか腰でかかってくる人に懇切丁寧にお話ししても、

お互いの花が疲れてしおれるだけです。

だから、できれば、それはしたくないのです。

でも、その時は、なぜか頭にポンと、ある考えが浮かんだので、

男性にこう返してみました。

「小さいころ、うそをついて親にこっぴどく叱られたことがあるんですね?」

すると、その男性が、一瞬、「うっ?」と、うろたえたのがわかったんです。

「大昔にも、うそをついた人がいたんですよ」

そう言ってから、私は一人さんに聞いたお釈迦様の話をしました。


ある長者の屋敷が火事になりましたが、

3人の子供たちには火事の恐ろしさがわからないので、

いくら「火事だ!」と叫んでも、家の中で遊びふけっています。

そこで、父親である長者は、3人がとても欲しがっている「羊の車と鹿の車と牛車が、門の外にあるぞ」

と呼びかけたのです。

すると、子供たちは、おもちゃを放り投げて外に出てきました。

これは、お釈迦様がした「三車火宅」と呼ばれるたとえ話です。

「人が本当のことを言って、人が不幸になるなら、

その本当は、本当にあらず。

そういうときには、うそをつけ。

うそも方便、ところによって、宝になる」

一人さんはそう教えてくれました。

私が話し終わると、男性は最初にやってきた時よりも、もっとこわい顔をして帰って行きました(苦笑)。

きっと、あの男性の中には、

「いかなる場合も、うそをついてはいけない」

という「恥の縛り」があるのだろうと思います。

多くの人は、「箸を正しく持てないと恥ずかしい」「靴をそろえないのは恥ずかしい」など、いろいろなことを「恥」という縛りにしています。

うそもそうなのでしょう。

がんじがらめなんです。

しかし、この世には
「真っ白なうそ」と「真っ赤なうそ」があります。

真っ白なうそとは、相手の心を和ませて、お互いを豊かにするものです。

私たちが、笑顔がない人に「素敵な笑顔ですね」って言ったり、

普通の味のラーメンに「おいしかったですよ」って言ったりするのは、

言われた人を幸せにするからです。

言われて笑顔になる相手を見たら、言った人も幸せになります。

お互いに花を咲かせるというのは、そういうことなんですね。


それに対して真っ赤なうそは、

自分の利益を守るためだけにつくもので、

「周りがどうなろうと知らないよ」という身勝手さに満ちています。

真っ白なうそと真っ赤なうそは、まったく似て非なるものだと、私は思います。

私たちは、周りの空気を読むのが上手になりすぎているのかもしれません。

コンサート会場で、ものすごく感動しても、周りの人に合わせて、声援を送るのをためらってしまった経験がある人もいるのではないでしょうか。

そんなふうに、一つひとつ、自分で手を縛り、足を縛る、肩に荷物を背負うと、

好きなように歩けなくなってしまいます。

まず、「うそも使い方によって、宝になる」と知ってもらえると、

縛りをほどく役に立つのではないでしょうか。


(「斎藤一人 成功の花を咲かせなさい」斎藤一人、宇野信行さんより)