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また新たな一週間が始まりました。
月曜日は横浜で会議があることが多く、今日も午後から横浜に出かけました。
帰りはいつも通り関内・馬車道のディスク・ユニオンに直行!!
【今日の収穫】
●THE CANNONBALL ADDERLEY QUINTET IN SAN FRANCISCO (写真)
1959年10月、サンフランシスコのクラブ「ジャズ・ワークショップ」でのライブ盤。
メンバーは、キャノンボール・アダレイ(as)、ナット・アダレイ(cor)、ポビー・ティモンズ(p)、サム・ジョーンズ(b)、ルイス・ヘイズ(ds)のクインテット編成です。
ナット・アダレイはキャノンボールの3歳年下の弟で、明るい音色のコルネットが特徴です。
ボビー・ティモンズはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズでの活躍で有名なピアニストで、あの「モーニン」の有名なゴスペル調のピアノ・リフもこの人です。さすが、このアルバムでもファンキーなピアノを聴かせてくれます。
キャノンボールは1958年にリバーサイドの専属ミュージシャンとなりましたが、当時彼はマイルス・デイビスのクインテットの一員でもあり、既に「マイルストーンズ」や「カインド・オブ・ブルー」といったジャズ史に残る名作に参加し名演を残していました。この作品は59年の9月にマイルスの下を離れ自己のレギュラー・クインテットを編成して間もなく実況録音されたもので、当時の彼の代表的なレパートリーが収められています。
チャーリー・パーカーの後継者として吹聴され注目を浴びた彼でしたが、その名と体格のとおりの「爆弾」のような力強く明るいサウンドとダイナミックでスピーディーなフレージングは実にエキサイティングで、クラブの聴衆達も一曲目から熱くなって盛んに声をかける様子が聞けます。
なお、このアルバムはリバーサイド・レーベルでも1・2を争うヒット作となり、キャノンボールの名を一躍有名にするとともに、リバーサイド・レーベルの飛躍をももたらした記念すべき作品です。
「国内盤・帯なし・20bitK2」妥当な1,050円でした。
月曜日は横浜で会議があることが多く、今日も午後から横浜に出かけました。
帰りはいつも通り関内・馬車道のディスク・ユニオンに直行!!
【今日の収穫】
●THE CANNONBALL ADDERLEY QUINTET IN SAN FRANCISCO (写真)
1959年10月、サンフランシスコのクラブ「ジャズ・ワークショップ」でのライブ盤。
メンバーは、キャノンボール・アダレイ(as)、ナット・アダレイ(cor)、ポビー・ティモンズ(p)、サム・ジョーンズ(b)、ルイス・ヘイズ(ds)のクインテット編成です。
ナット・アダレイはキャノンボールの3歳年下の弟で、明るい音色のコルネットが特徴です。
ボビー・ティモンズはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズでの活躍で有名なピアニストで、あの「モーニン」の有名なゴスペル調のピアノ・リフもこの人です。さすが、このアルバムでもファンキーなピアノを聴かせてくれます。
キャノンボールは1958年にリバーサイドの専属ミュージシャンとなりましたが、当時彼はマイルス・デイビスのクインテットの一員でもあり、既に「マイルストーンズ」や「カインド・オブ・ブルー」といったジャズ史に残る名作に参加し名演を残していました。この作品は59年の9月にマイルスの下を離れ自己のレギュラー・クインテットを編成して間もなく実況録音されたもので、当時の彼の代表的なレパートリーが収められています。
チャーリー・パーカーの後継者として吹聴され注目を浴びた彼でしたが、その名と体格のとおりの「爆弾」のような力強く明るいサウンドとダイナミックでスピーディーなフレージングは実にエキサイティングで、クラブの聴衆達も一曲目から熱くなって盛んに声をかける様子が聞けます。
なお、このアルバムはリバーサイド・レーベルでも1・2を争うヒット作となり、キャノンボールの名を一躍有名にするとともに、リバーサイド・レーベルの飛躍をももたらした記念すべき作品です。
「国内盤・帯なし・20bitK2」妥当な1,050円でした。
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