長岡京産の竹を使ったイルミネーションが今年も駅前広場に輝く。
点灯時間
12月10日~令和4年1月10日迄
PM5:00~PM11:00
ふるさと納税でいただいた寄付を活用されている。
JR駅から長岡天満宮に一直線に通じる道路も拡張整備中であるが
其の道路脇の街路樹にも点灯、クリスマスムードを醸し出している。
(昼間の竹のオブジェ)
長岡京産の竹を使ったイルミネーションが今年も駅前広場に輝く。
点灯時間
12月10日~令和4年1月10日迄
PM5:00~PM11:00
ふるさと納税でいただいた寄付を活用されている。
JR駅から長岡天満宮に一直線に通じる道路も拡張整備中であるが
其の道路脇の街路樹にも点灯、クリスマスムードを醸し出している。
(昼間の竹のオブジェ)
国の重要文化財に登録されている戦前の代表的木造建築物。
夏でもエアコン不要な木造平屋の住宅で
風の気流や太陽の採光など自然の力を生かせるよう、
床下に埋めた土管に庭の快適な外気を取り込み室内に送り込むなど
環境工学に配慮した設計がなされている。
和風の集大成といえる戦前の代表的木造建築物である。
通常は予約性で見学できるが【紅葉をめでる会】当日は予約なしで
庭園は見学できる。
室内見学は時間制で少人数での順番制。
紅葉した木々の葉と赤く染まったドウダンツツジの美しさ!
山崎聖天さん(観音寺)から大山崎山荘までの竹林のこみちを歩いてみた。
先人の姿が見えたので山道でも女性一人大丈夫だろうと思いつつ・・・
先人は若者、いつの間にか姿は見えなくなっていた。
猪が出たらどうしよう・・・鹿が出て来たらどうしようと思いつつ
この歳まで生きたからまぁいいか!!
色々な発見があった。
珍しい植物、切り開いた前方に見える風景、落ち葉の
ふかふか土、春になると足元には筍がニョキニョキと首を出す。
大山崎山荘までの近道でもある。
例年、絵の様な風景を見せてくれる9号線に抜ける洛西の大通りの街路樹
欅の葉は緑から赤へ織りなす色のグラデーションは期待ほどなく、
一気に枯れ葉の色になってしまった。
ここにきて両脇の銀杏の木が黄色に染まり落葉している。
12月も近い日々、これでも十分秋色は楽しめたかなぁと思う・・・
完全に、とまではいかないけど京都市内にも日常が戻ってきた様子・・・
秋の観光シーズンでいずこも紅葉を求めて大勢の人であった。
川端通り、四条通りは青信号でもタクシーが進まない。
有名なキャッチコピー・・・「そうだ!京都へ行こう!」
安心して京都が楽しめる時が早く来るように願う。
琵琶湖畔のイングリッシュガーデン
秋薔薇が見頃!とあって近場のお出かけに相成った。
湖・湖西の山々に囲まれた地は絶好の癒しの場所でもある。
周りのロケーションの素晴らしさ、ホッコリできる時間。
全く予定していなかったのに、ミシガンがやってきた・・・
好奇心のみで身が動く!
走ってホテルフロント迄いって予約を入れて飛び乗る!(^^)!
広大な湖を再確認!
日本で二つしかないと言われる外輪で動く舟、
船内では食事もできるし(要予約)、ショータイムもあり
楽しめる時間であった。
コロナ禍で出歩くこともままならぬ日々、みんなが我慢の日々である。
以前の写真などを整理する日々。
秋の修学院の画像を見て、こんなに素晴らしい京都の風景、
皆に見てほしい、知ってほしいと思う気持ちが湧いてくるが
今の現状では観光もできない、会食も出来ない・・・
とにかく早く現状が収まってほしいまたあの賑やかな街に、という気持ちでいっぱい。
どうしたらいいのだろう・・・
https://openmatome.net/matome/view.php?q=16288546855008
↑(晩秋の修学院)
「そうだ!京都へ行こう!」のキャッチフレーズの旅物語・・・
コロナ禍にあって旅も観光も自粛時代。
そんな中、今、京都は「水と花」のテーマで確実に京都の風情の美しさを
発信されている。安心して旅が出来る日々到来を望むところである。
東山の奥座敷、泉涌寺と雲龍院から。
”雲龍院の悟りの窓”
*新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、京都旅行をご検討の際は政府、お住まいの都道府県と京都府の要請をご確認ください
菅原道真の所領であったとされ、学問の神様として親しまれている天満宮。
道真が在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだ縁深いところであると言われている。
八条ヶ池には、檜で作られた水上橋があり、
そこからは池を中心として境内を一望できる。
ツツジの季節が終わり、菖蒲が咲き出した。
天王山の登り口
小さな町の小さ名所
新緑の美しさとつつじの花の鮮やかさ・・・ホッコリする場所である。
円明教寺
文化財 木造薬師如来坐像〔平安時代〕
木造毘沙門天立像・ 木造地蔵菩薩立像〔鎌倉〕
平安時代後期、西園寺公経に譲り渡 され、その手によって山荘が経営された。
鎌倉時代の中ごろ九条道家の所有となり、別 荘の建物も多く建てられるに至り
池庭も立派に整 備されていったが 山荘も応仁の乱に衰微し、
江戸時代には薬師堂を僅 かに残し無住となり、往時の姿を忍ぶすべもなくな ってしまった。
現在、円明寺は円明教寺と名を変え、 平安時代の伝統を守り続けている。
東方にある お茶屋池は山荘の庭池であったと言われている。