連休の頭、数年ぶりに実家に帰省した。
途中、今は合併で同じ町内になったかつての隣町にある母の実家、
私にとっては生家である祖父母(双方とも他界)の家に立ち寄った。
叔父夫婦と話し込んだ中で、向かいのお宅のお嫁さんが中国人という
ことを聞き、こんな辺鄙なところまでというべきか、こんな辺鄙なとこ
ろだから、というべきか、中国人が普通に暮らしていることに驚いた
のであった。
東京ではコンビニの店員さんの多くが、中国人であり、神戸の街中でも
中国語の会話が聞こえてくるのは珍しいことではない。
がしかし、兵庫県と鳥取県の県境の山陰の辺鄙な町までとは・・・。
そのうちに日本各地に中華街ができるかもしれない。
途中、今は合併で同じ町内になったかつての隣町にある母の実家、
私にとっては生家である祖父母(双方とも他界)の家に立ち寄った。
叔父夫婦と話し込んだ中で、向かいのお宅のお嫁さんが中国人という
ことを聞き、こんな辺鄙なところまでというべきか、こんな辺鄙なとこ
ろだから、というべきか、中国人が普通に暮らしていることに驚いた
のであった。
東京ではコンビニの店員さんの多くが、中国人であり、神戸の街中でも
中国語の会話が聞こえてくるのは珍しいことではない。
がしかし、兵庫県と鳥取県の県境の山陰の辺鄙な町までとは・・・。
そのうちに日本各地に中華街ができるかもしれない。