あまのはらふりさけみれば・・・・

北京で単身赴任生活2年、帰国後も中国ネタを書き綴ります。

天津一人旅(その5-1)周恩来閣下ご夫婦の記念館

2014-12-18 20:21:55 | 旅行
 我们的好总理(我らが良い総理)とは、後にも先にも
故周恩来閣下おひとりである。

 天津に行こうと思い立ったのは、ただ単に近いからだけではない。
 この街には、
閣下御夫妻の記念館があり、このさい見学しておきたかった。
 また、ラストエンペラーこと、
溥儀さん御夫妻がしばらく隠遁されたお宅も見学できるというので、
こちらも見ておくことにした。

  閣下ご夫妻の記念館から記したい。


  入り口付近には、お決まりの「教育基地」のプレート。○○大学○○
教育基地といった風にあって、視察や見学の指定場所といった感じ。
 さすがにプレートの数は半端ではない。
 反対側にも掲示されているので、呆れるしかないわけだ。

 中国の博物館、大体が撮影OK、もしくはなし崩し的に放任である。
  なかにはこんなものも。

  閣下日本留学に際し、京都帝国大学法学部への願書、添付の履歴書
である。

  天津の名門南開学校(現 南開大学)を卒業後に日本へ。
 しかしながら日本留学は、大きな成果を得ることなく、のちに中国で
の復学やフランス留学を経験する。
 中国らしく、都合の悪いことは書いていないので、後に調べるまで、
京大OBなのかと思い込んでしまった。
 それにしては日本びいきなエピソードが多く、不思議な気がするが、
公平な方であったと理解するべきなのであろうと思う。

  レプリカであってもその旨の表記がないので、真偽がよくわからない
のだが、これ以外にもいろいろと珍しいものをみせてもらった。

 直筆の私信、なにもこんなものまでと思わなくもない。
  御自身がご覧になったら、苦笑されるか、烈火のごとく怒られるか、
どっちなのだろうかと、思いながら見た。


  1972年、日本、アメリカとの劇的な和解、国交正常化であった。
  写真の取り扱いは日本の方がアメリカよりも随分と大きい。

(5-2に続く)

天津ひとり旅(その4)一触即発?

2014-12-08 21:52:13 | 旅行
 楽しい天津旅行のはずが。。。。

 伊勢丹がある、日本といっしょと聞いて行ってみた。たしかに日本みたい
だった。
 近くにも古い建物が多いと聞き、あてもなくブラブラとしていると、活気
のある露天が立ち並ぶ横丁へと迷い込んだ。
 物珍しさに写真を撮っていると、視界に人の肩が入ったと思った途端に
ドン、とぶつかった。

 ヤバイ(元来の意味!)明らかにわざとだ、と思い、
「対不起。」(すみません)
と謝ったところ、小柄であるが、けっして柄のよさげではないオッサンの顔
が見て取れた。

(やっべー、これはやばいぞ。)と心臓が活発に動き始めるのを感じつつ、
「対不起」(すみません)
ともう一度謝ってみた。

天津のオッサン「啊,来吧。」
        (あー、ちょっと来い)
北京のおっさん「大哥,真对不起。」
        (兄貴、本当に悪かった)
天津     「你,干什么。」
        (テメー、何やっとんじゃい)
北京     「看不清楚的呀。」
        (よく見えなかったんだよー。)
天津     「我们刚刚做晚饭,吃的。」
        (わしら今から飯作って、食べるとこなんじゃ!)
       「你,不拍照片。」
        (写真なんか撮るんじゃねー!)
北京     「大哥,我说了3次,对不起的。」
       (兄貴、3回も御免なさいって言ったじゃないですかー。)
         「还要什么呀?」
         (ほかに何か要るんかー?)
         「拍不拍 、你没关系呀。」
         (撮る撮らんは、テメーと関係ないやろが!)
※ こっちも頭にきたのである。。。が、しかし、どうする?
天津     「我没那么意思的。」(そんなつもりじゃなくて・・・。)

ということで、事態は急遽、収束に向かい、お互いに握手、ハグをして別れた
のであったが、内心は、ドキドキもんであった。

 何だか、両国の航空機の急接近みたいな感じであった。
やれやれ。

天津一人旅(その3)

2014-11-28 20:00:44 | 旅行
 北京南駅の中をご覧いただこう。
 
 列車の案内表示、結構たくさんあるが近くにいかないと見えにくい。
 親切といえば、結構親切。


 各種の表示も多く、ピクトグラムも多用されていて言葉がわからなくてもイメージで理解できる
ような工夫もみられる。


 しかしながら人の圧力は甚大。切符売り場から、安全検査(手荷物及び身体検査:日本の空港並み)、改札
と「我先」の中国人との壮絶な戦いを経て、乗り込むことができるのだ。


 エスカレーターの上からみてみたが、スゴイ行列。

 安全検査場は撮影禁止のため、飛ばします、あしからず。


 改札口は各ホームごとにある。ちなみに自動改札。
 おもしろいのは出るときに切符は自動回収されず、持ち帰ることができる。みんなどうしているのだろう???

(続く というか旅は始まったばかり。)

天津一人旅(その1)

2014-11-25 20:32:16 | 旅行
 恥ずかしながら、恥のカキっぱなしのような駐在生活。
 お恥ずかしい限りだが、先日、駐在1年7ケ月にして、初めて自分一人で新幹線
の切符を買って、フラリと天津まで行ってきた。
 北京と天津は非常に近く、車なら高速道路で1時間強、新幹線なら30分ほどで
いける。

 毎度のことながら、この国はスゴイ。
 たった片道30分のために1本の路線を作り、そこに毎時数本出ている新幹線が
超満員、立席特急券まで売れている始末である。

 土曜の朝早く、北京南駅に行き、当日午前の切符を買って日帰りしようと思いきや、
「没有(ありません)」の一言、売り切れだと言う。
「最早?(一番早いのは)」と聞くと
「下午1点半(午後一時半)」だとさ。

 諦めて翌日曜の朝の切符を買い求め、帰宅することに。

 翌日、波乱万丈(?)の旅をすること(羽目?)になる。
(続く) 

雲南省麗江(ナシ族の音楽)

2014-08-25 22:32:20 | 旅行
 済みません、投稿漏れでした。
 ナシ族は、雲南省を中心に比較的高地に住む少数民族で、ナシとは彼らの
言葉で「黒い人」のことだそうで、確かに日焼けした浅黒い人が多い。

 麗江観光の定番(かつては何も観光資源がなく、これでも貴重だったと言
うべきか。)として、ナシ族の音楽コンサートには、夕食後に多くの観光客
が訪れていた、と過去形にしてしまったが、今では、街中をブラブラしたり、
バーで飲食を楽しむ人の方が圧倒的に多い。
 
 実際に、週末にもかかわらず、観客席は5分の1も入っていないなか、延
々とコンサートが始まった。
 ほとんどの観客がゆったりとしたリズムに眠りこける中、最初から最後ま
で堪能、いや眠気と闘いながら聞くともなく聞いていた。


 何でも2千年ほどまえのインドの音楽が伝わって、ほぼそのまま残って
いるとか。

 80歳以上のメンバーが一人ずつ紹介されたが、見渡すと、拙者と同等以下
(50歳以下)は数人しか見当たらない。おそらく、この楽団は10年後には
消滅しているであろうと思われた。そう思うと、このひとときが妙に貴重に
思えてくるから不思議である。


 司会の女性は、綺麗な英語と普通語(標準中国語)で楽団や、曲目の紹介を
する。


 ときどき、ソロなどもある。(シンバルはソロって言わねーか。)


 最後に出てきたジイさんも80過ぎ。指揮者であったが、文化大革命で弾圧
され、相当苦労したとか。今は大変な資産家だそうだ。

 と、ここまではよかったが、最後にレコードの宣伝が延々と始まり、続いて
レコードが鳴り響き、終わる気配もないので、途中で切り上げてしまった。

 なんとも後味の悪いコンサートであった。