あまのはらふりさけみれば・・・・

北京で単身赴任生活2年、帰国後も中国ネタを書き綴ります。

天府の国

2013-11-26 06:42:14 | 旅行
 天府の国、四川は、蜀の都だった成都に来ています。
 蜀と言えば、食。

 到着日の一昨日の夕食で前菜が辛くてどうなることかと思いきや、
昨日の朝から、まぁ朝は当たり前か、辛くなくて、昼も大したこと
なくて、夜も全然問題なく、って結局、この半年ほどで免疫がつい
たのでしょうか。

 5年前、初めて訪れた成都で食べたマーボー豆腐の山椒で口の中
が痺れるような感覚と唐辛子で頭から汗が噴き出る感覚が、なぜか
懐かしく思い出されるのでした。

「宮廷の諍い女」の真実

2013-11-22 05:05:09 | 日記
 こんな中国ドラマが少し本邦でも話題だったそうな。
 BSフジで9月末までやっていたようである。

 さて、10月には、2年ほど通った中国語教室で知り合ったお二人を
北京にお迎えした。

 2泊3日だったが、初日は夕刻着で、最終日はお昼出発と実質1日し
か観光の時間はなく、ゴールデンルートである南から北へ一直線の路を
ひたすら歩いた。
 かつての老舗が立ち並ぶ街並みを再現した前門大街から、かの天安門
広場、故宮と一直線に北上して、故宮を見下ろす人口の山(50Mほど)
景山公園へと朝から夕方まで時間を過ごした。

 この景山公園で故宮を見下ろしている途中、子供さんご夫婦(とはい
っても、もう60才前後)とおぼしき二人に両脇を抱えられるようにし
てこの小高い丘に登ってきたご高齢の女性に出会った。

 彼女は一人では満足に歩くことができない、それは一目瞭然である。
 それもそのはず、彼女は纏足を施されていたからである。

 甲が盛り上がって「く」の字になった15センチほどの足では体重を
ささえきれるはずもない。
 彼女が自由に歩けたのは何歳までだっただろうか。

 歩行の自由を失う代わりに、物質的には何不自由ないのない生活を
保障されていたはず、でもそんな生活はいつまで続いただろうか。
 清朝がすでに倒れた後に生まれたであろうから、豪商か軍閥の有力者
の庇護の下で育てられ、一時は寵愛を受けたかもしれないが、その後は
社会の変化、荒波の中で困難な生活を送っただろうことは想像に難くな
い。

 華やかなドラマの中では語られることはなかろうが、主人公クラス
の女性はおそらく、みな彼女と同じように纏足を施されていたはずであ
る。
 庇護があるうちはいいが、庇護者がいなくなったら過酷な運命が
待ち受けていたに違いない。

 そんなことを想いながら、諍い女たちの暮らした故宮の内宮を一望
したのであった。

たまらん、臭豆腐!

2013-11-19 09:20:40 | 偉大なる中華料理
 臭豆腐、お聞き及びの方もご存知の方もお召し上がりになった方も
いらっしゃるでしょう。

 でも言っておきます、台湾や上海の臭豆腐は北京のそれとは比べものになりません。
 南方のものは汁に漬けただけだそうですが、北京のそれは発酵させていますので、
中の方に強烈な匂いがあって、噛むと口の中で爆発する感じでした。

 先週金曜に、老北京人(北京っ子)の同僚に連れられて、北京南駅近くの刷肉
(しゃぶしゃぶ)のお店で、おつまみとして注文、決死の挑戦をしました。

 臭いのなんのって、便所の味、と評した同僚がいましたが、まさにそのとおり。
 お前ら、便所を食べたこのとがあるんか、と関西人のツッコミが聞こえてきそう
ですが、もう便所の味としか評せない、それも昭和40年代の田舎の便所の味と
言わねばならないくらい。

 これまでの人生で一番臭い食べ物でした。

 はたして、これを超えるものがこの世にあるのでしょうか。
 くさやは?、スウェーデンのイワシ缶詰は?、なんて、もう議論も詮索もしたく
ありません。

国家博物館 写真その2(文明の起こり)

2013-11-18 05:05:55 | 北京市内ぶらつき記

 いきなり、スケルトンです。
 土葬しとった、ちゅうことやね。

 偉い人には副葬品。なかなか立派です。


 なんだか土産物屋にもありそう、って不謹慎な。

 侮ることなかれ、すでに工芸品も。

 日本でいう環濠集落、高床式住居、農村社会が早くから成立していたんですね、さすがは
中国4千年の歴史。国家の歴史以前、今から5~6千年前には、内陸や長江流域にこうした
集落が成立していたそうで、空堀タイプと水堀タイプがあるそうな。


 でも、思い起こせば拙者が中高生のころは中国3千円、いや中国3千年って習ったけど。
 30年で千年伸びたってわけね、確かに新たな大発見もあったらしいけど。
 最終的にどこまで延びるんでしょうねぇ。
 それにしてもとにかく悠久。

(続く)