大学当時、第2外国語はドイツ語、法学部においてはそれが当たり前だった。
希望していたスペイン語が履修科目になく、地方大学の悲哀を感じた。(学生数の少ない国立は
ほぼすべてそうかもしれないが)
さて、中国ブログなので、話を戻しましょう。
当時、私の大学で中国語をご担当なさっていたのは、井波助教授であった。
知る由もなかったが、のちに国内では相当著名な研究者になられ、90年代から
一般向けの著作も数多く出されている、三国志や怪談研究の重鎮でもいらっしゃる。
先を読む目が無い私は、履修票の提出にあたり、多数に流されてドイツ語を学んだ訳だが、
ドイツ語を話したのは、日数的には、卒業後の30年で20日もない。
中国語にしておれば、良かったと後悔しても何も始まらないのだが。