あまのはらふりさけみれば・・・・

北京で単身赴任生活2年、帰国後も中国ネタを書き綴ります。

夏も近づく八十八夜

2014-04-30 01:06:59 | 旅行
 という出だしの歌と言えば、茶摘み。
 信陽旅行の2日目は茶摘み体験。

 人生五十年で初の茶摘み。
 ご承知の向きも多かろうが、新芽のみを摘むのだが、ここ信陽では、
「信陽毛尖茶」という有名なお茶の産地であり、何でも中国10大産地
の一つだそうだ。

 このブランド茶は、新芽のうち、開く前の細く丸まった状態のモノだ
けを摘むという気の遠くなるような作業、人手をかけて生産される高級
品。したがって、ブランド品でなく普通に新芽を摘んだものは50グラ
ム数円のなのだが、このブランド茶となれば、50グラム数万円のもの
もザラだそうで、気が遠くなる。

 さて、ホテルからまたもやガタガタの道路やデコボコの山道をまるで
ジェットコースターのように揺られながら、小一時間、目的の茶園に到着。
 

 トキのいる地区も商業作物として茶を導入できないかということらしい
が、まずは比較的成功している有機栽培の茶園を見せていただくこととな
った。もっとも有機と言っても中国も基準は厳しいようで、3年連続無農
薬で有機と認められるため、この茶園は晴れて有機と名乗れるのは来年か
らだそうな。
 

 葉っぱはこんな感じ。無農薬だけにしっかり害虫(カメムシ)も共存しています。


 十人以上で30分、山の斜面に貼り付いて摘みました。でもって、こんだけ~!


 とてもじゃないですが、製品としては50グラムが精一杯だそう。
 古来、お茶が高級品だったのも容易に頷けますな。

河南省信陽市 トキの自然放鳥

2014-04-29 02:00:07 | 旅行
 初めての中国国内旅行である。出張は幾度かあったものの、私的な旅は
これが初めて。まぁ北京市内をブラつくこと自体が海外旅行気分一杯なのだが、
やはり移動を伴う旅行は趣がまったく異なる。

 北京西駅から新幹線で4時間20分ほど、河南省の信陽東駅に到着。
 湖北省との省境の鶏公山を南に控えた風光明媚な街である。

 マイクロバスでガタガタの舗装道路とデコボコの山道を走ること約1時間、
トキの自然放鳥を進めている、日中協力事業のサイトに到着。

 まずは偉い人からご挨拶とご説明をいただく。
 絶滅した日本のトキは、中国から個体をいただいて、徐々に増やしてきた。
 何でもこの施設には、中国国内から4羽、そして日本から言わば里帰りした
17羽で始めて、既に昨年と今年で数十羽を放鳥したとか。ただし、昨年放鳥
したものの半数近くが姿が確認できず、絶望的とか。前途はまだまだなのだ。


 いよいよ放鳥前の飼育ゲージへ。施設の責任者の方のお話をうかがいながら、
繁殖期の鳥たちを刺激しないよう、小声で話すこととする。

 いた、いた。実物を見るのは初めてだが、綺麗な鳥である。 

 
 ご覧いただき難いと思うが、放鳥前の体験ゲージ。空を飛び、自力で餌を捕獲
する。
 とはいっても、餌となるカエル、ミミズ、エビなどは施設からの支給品。


 周囲には豊かな自然が残るが、田んぼに佇むのは水牛。この後、耕作に使役させ
られていた。
 周辺の農家の皆さんに減農薬や有機の農法への御理解をいただくのが、やはり大変
なのだとか。


 何とか生産物に付加価値をつけて、経済的にも持続可能にすることが、持続可能な
農業を正に可能にすることだと痛感した次第。

半世紀

2014-04-28 19:45:26 | 日記
 忘れとった訳やないんやけどね・・・。
 先日、50歳になりました。

 目出度さも 中くらい以下 誕生日 くまねこ(筆者、拙者ともいう)

 一茶先生に怒られそうですが、まぁ著作権も切れとることやし。

 人生半世紀たちましたか、戦後しばらくまではこの年が平均寿命でした。
 子供のころ、この年は定年でした。そして中学のころに55歳定年になり、
大学生のころには60歳定年になっていたような気がします。
 今は実質65歳定年。辞めた後も働くのが当たり前の社会になりました。

 サラリーマン生活も残り10年、うち1年は確実に中国と正面から向き合
うと言いますか、四面楚歌な状態で取り囲まれて過ごすわけです。

明石の寿司

2014-04-27 15:25:16 | 日記
 昨年4月に日本を離れてからというものの、どうも寿司屋との相性が悪い。

 何と言っても最寄り駅の駅前にあったお寿司屋さんが廃業してしまった。
 大将(店主)は同級生が皆定年したことで、ご自身の営業意欲が薄れてきたことを口には
していたが、なくなると実に困る。美味しい地元の魚を、ほとんど儲けがないのではという
値段で提供してくれて、娘たちをつれていくと、刺身の盛り合わせの中にヒラメの縁側など
を値段そのままで入れてくれたりした。

 外国人の客を連れて行ったときは、いろいろと説明してくれたりもして、店主親子3代の
穏やかな人柄と相まって非常に居心地のよい店だっただけに惜しまれる。

 残るお気に入りは電車で1駅、明石駅前のとあるお店。年季の入った店主ご夫妻のお店は、
落ち着くし、奥さんが入れてくれるお茶がまたおいしいのだ。
 再開発区域に指定され、仮設店舗に移転していたことを知らなかったので、年末年始に帰
った際には、行きそびれてしまった。
 今度こそと、意気込んで行ったが、あいにくの定休(日曜昼)。

 仕方なく駅ビルの中の1軒に行くことに。
 明石で寿司と言えば、というくらいの有名店なのだが、恥ずかしながら、明石に住み始め
て二十数年、初めて暖簾をくぐった。

 これが、その上盛り。


 焼きアナゴが流石で、外のカリッとした歯触りと中のふんわりとした身は上質の材料と上級
の腕が組み合わさったものと、素人でもわかる。

 菊水鮓、テレビや雑誌の常連でもある。

AERA No.19号 14.4.28

2014-04-24 20:58:42 | 日記
 都道府県対抗歌合戦の記事の中に匿名ですが登場しています。

 アエラ4月28日号60ページの記事中「男性スタッフがハンカチで何度
も涙をぬぐった。」とあるのは何を隠そう、拙者のことです。
 広い会場で人目もはばからずに、泣いてたのは拙者一人なので。
 別に日中関係や大会運営の苦労に思いを馳せたわけじゃないんだけどね。
 なんか、皆さん、拙者の苦労が大変なんだろうと良いように解釈してくださっ
ていて、いささか困惑気味です。否定する必要もないし・・・。

 「兎追ひし彼の山」とは私にとっては、郷里の愛宕山のこと。
  山の上に造成された中学校に通いました。
 町で一つだけの学校の校庭に雪が積もっていたある冬の日。
 校庭に野うさぎが一匹。
 「ウサギだ、行くぞ!」という拙者の掛け声に同調した数名が校庭に飛
び出しわけです。もちろん逃げられました。脱兎のごとし、とはよく言っ
たものです。

 「いかにいます父母」と言われても父親は他界していますし、年老いた
母親をひとり田舎に残し、家業もつがず、親の跡目もつがず、都会での快
適な生活を享受している訳で、いろんな人に申し訳ないという自責の念は
片時も脳裏を離れたことが無いわけです。

 文部省唱歌「ふるさと」よりも犀星の抒情小曲集の中の一節にあるよう
に「ふるさとは遠きにありて思ふもの」であってやはり「そして悲しくうた
ふもの」であり「ひとり都のゆふぐれに」あって「ふるさとおもひ涙ぐむ」
というものなわけです、拙者にとって。

 田舎の長男で、家業を放棄して、離れて生活しているという境遇の人で
ないと分かってもらえないだろうなぁ。