歴史好き歯医者のひとり言~ ヨーロッパの公園には、中心部にレストランがあります。 手探りで欧米文化を取り入れていた明治時代、日比谷公園の中に瀟洒な洋風レストランが誕生しました。 『 松本楼 』です。 現在、中国から国家主席、それに準ずるクラスの人物が来日する際、しばしば非公式の夕食会が、この松本楼で催されます。 何故、松本楼なのでしょう? 近代中国設立の父、孫文。 多額の資金援助により、彼の革命の後ろ盾となった人物が、このレストランに深く関わった方のようです。 中国では、「水を飲む人は、井戸を掘った人の恩を忘れない」 という諺があります。 田中角栄元首相同様、松本楼は中国にとって、偉大なる恩人なのです。 ちなみに『 松本楼 』で有名なのが、年1度の「10円カレー、チャリティー」。1971年、過激派の放火により、松本楼は炎上してしまいました。しかし、全国からの厚い支援のもと、チャリティーで再びオープンすることができます。この恩返しとして、「10円カレー」を催しているのです。 銀座界隈に出向いた際は、日比谷公園に立ち寄り、松本楼のカレーに舌鼓しながら、歴史を堪能するのも逸楽でしょう。 孫文と時を同じくして、革命運動に散った女性に、秋謹(しゅうきん)がいます。大地主の家に生まれ何ひとつ不自由なく暮らしていましたが、それを捨てて、単身、日本に留学し、その後半生を革命運動にささげます。 逮捕、処刑に臨み、「秋風秋雨、人を愁殺す」の一句を残しました。 時に、30歳余だったといいます。 初秋の候、窓を開けるとひんやりした外気に肌が包まれました。