食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

三島由紀夫 Vs 東大全共闘、50年目の真実

2020-06-02 19:08:18 | 日記
入間市の「ユナイテッドシネマ」に、「三島由紀夫 Vs 東大全共闘、50年目の真実」がやってきていたので、観に行った。 綺麗で広々とした場内に、僕を含めて観客は4人 or 5人。 超疎!! 僕が生まれたころの話であって、もう、そこから、何か学ぼうとか、掘り出せる、というたぐいのものではないのだが、スクリーンが汗をかいているかの如く、情熱、熱意、という今では、死語になりそうな、魂の塊が伝わってきた。 また、その当時、学生だった70歳前後の方へのレクイエムのような感じでもある。 おそらく、ありとあらゆる表現が洪水のように押し寄せていた1960年代、そのピークであり、最後であった時期の、1969年5月、東大教養学部駒場講堂で、三島と東大全共闘とが討論会を行った。 劇中でもナレーションが入ったが、1969年は、大学闘争の噴出に代表されるように、日本の文化状況が大いなる転換期に突入した年であり、三島が自決する1年前でもある。 確かに、討論中、三島は自身の死を予言するような発言をしていた。 戻って、転換期を討論で盛んに取り上げられていた時間認識で、時系列上で表現するなら、これも、今は死語になりつつある、戦後社会が、1960年という屈曲点を経て、高度経済成長の勢いのもと、総体として煮詰まってきたことの表れのような気がする。劇中、作家・平野啓一郎氏のコメントが強く響いたのだが、戦後という虚構の中を生きてしまった三島と、戦後を変えようともがいた学生、どちらからも相いれない立場ではあるが、戦後へのこだわりが、生み出した産物が、この討論会だったのかもしれない。 東大生といえども、所詮、東大生であって、三島とは次元が違う。そんな中、三島は、東大生を論破しよう、彼らの論理的矛盾点をつこう、という話し方はなく、聞かれたことに、会場1000人を納得させようと論じていた。 不世出の天才を体感でき、すばらしい経験を得た。



また、観てしまった。

2020-06-02 08:01:13 | 日記
昨晩、BS、太田和彦の「新居酒屋巡礼」を観終え、通常なら、吉田類の「酒場放浪記」に移るのだが、たまたま、BS-NHKにまわしたら、映画「恋人たちの予感」が始まっており、もう、この映画は何度も観ているのだが、また入り込んでしまった。 メグライアンとビリークリスタルが、男女の
間に友情は成り立つのか、という理屈っぽいテーマを延々と問いかけ合う単調な内容だけれど、彼女らのキャラたちが、最初から最後まで飽きさせない。 結局、ニューヨークのレストランで、「女はいつでもオーガズムのふりができる」ことを証明するため、大勢が見ている前で、メグライアンが演技してみせるシーン、だけが頭に焼き付いて他の場面は消えてします。いつ観ても、このシーンだけしか残らない。 彼女が食べていた、パストラミサンド、久しぶりに食べてみたくなった。