大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

愉快に楽しく面白く

2024年07月15日 15時40分31秒 | 日記

畑に行く小道の草を刈っていたら
桑の木の枝に小さな鳥の巣を見付けた。 
中を覗くとこれまたちいさーい卵が三個。 
巣の周りの草を刈ってしまったのであわてて背の高い草を 
     桑の木にそわせて巣を隠した。
それから気になって毎日見に行く。そーっとのぞき込む。     
母鳥が温めているような気配が全く無いので心配になる。 
雨も降って巣は濡れて外側に傾き三個あったと思った卵が二個になった。
母鳥はニンゲンに見つかってしまい危険を感じて巣を放棄したのか、、、と思っていたら
先週ヒナが孵った。小さくて薄い皮の表面にほにゃほにゃと黒い毛が一丁前に生えている。
そうして自身の身体を飲み込める位大きな口をパッカーーーーンと開けて餌を待つ態勢。
ということは、、母鳥は隙間を縫ってちゃんと卵を温め孵ったヒナに餌を運んでいるようだ。
で、、警戒している母鳥を刺激しないように(見ない、見ない、、)と心に誓う。
が、、、、見たくなる。 我慢できなくて見に行く。
最初見たときの三-四倍の大きさに丸々と成長して、手羽先が毛で黒々としている。
2日ぶりに今朝小滝君を誘って見に行く。二羽は仰向けに並んで無防備にグースカ眠っていた。
ったく、、、、他人事ながら心配してバカみたいだ。
巣の周りを母鳥らしき一羽がそれとなくこちらに存在を知らせるように木から木に飛んでいる。
その飛び方が〈いつも気に掛けて頂きうれしゅうございます〉という波に変化したように感じた。
ニヤニヤしながらその先の田んぼに稲の様子を見に行く。
「川の水が少なくて田にも水が入っていない」と小滝君が心配していたが、元気だった。
シーンとしている稲にパンパンと拍手を打って挨拶すると一斉にそよそよと揺れて応える。
それだけで何かしら通じ合っていることを確信できる。
生きて良し。干からびて良し。死ぬまで生きる。愉快に楽しく面白く。


任せて安心

2024年07月08日 12時41分30秒 | 日記

木曜日札幌野菜売りの帰り道、
半日立ちっぱなしで喋っているからくたくた、、、 
ふと、あの人のあの歌が無性に聴きたくなって イヤホンを探すが、、無い、、。「ああ、、」と落胆。 
夫が車を路肩に止めた。運転席を降りて後ろのドアを開け
じぶんのアイパッドを出してピコピコして。。。      
その歌をかけた。(!!!なんでわかったか??)    ※その歌は沢知恵:夕暮れ
じいさんやるな、と思ったが口には出さずただただその人のその歌声に身を任せて癒された。
これ見よがしに俺は気づいた、というふうで無く、夫は時々こういう力を発揮する。


土曜朝8時「おい、江別に燃料入れに行くぞ」

「はあ?なんでわざわざ江別よ」

「3円安い」

「・・・」

誘って来たのはイオンの3階の珈琲館が目的だろう。「ひとりで行ってきてー」
3円安いが長沼江別往復して、二人で珈琲飲めば本末転倒大赤字だ。何考えてるか?
いつもは千歳で燃料入れて千歳イオンの珈琲館でまったりする。
25年通っているがずっと変わらず美味しいコーヒーを淹れてくれるパートの女性がいる。
江別店は女性店長の淹れてくれるコーヒーが美味い。映画を見に行けば必ず立ち寄る。
が、店内を覗いて彼女たちが居なければ残念だがパスだ。
で、だから、「江別にコーヒー飲みに行こう」と言えばいいのに「3円安」と言った。
微細な一瞬のかみ合わせで次の世界線が変わる。あえて深堀してみると、
じぶんの選んだ「なんでわざわざ」の一言が「3円安」」を引き出した、と気づいた。
夫は一人で出かけた。まもなく小滝夫妻が本州の仲間を連れてやってきた。 ああそうだった。
うっかり二人で江別に行ったら、彼らをずっと待たせることになった。。。
約束してもすぐ忘れる。しかし身体がどこかに保存してある情報をすみやかに処理し管理し必要な現実に導いてくれる。

任せて安心。

 


母の旅支度

2024年07月01日 13時38分55秒 | 日記

母(94歳)に会いに行く。

家で弟家族が世話をしていたが、転んで足を骨折し、手術をしたが結局思うようには回復しきれず、

春先に介護施設に入所した。

6月初旬、そろそろ寿命が来ているようだと弟から連絡が来た。

母が最後に過ごした場所をこの目でみておこう、、、、

先週末新潟に行く。

一人でそっと行ってこようと思っていたが、弟が越後湯沢まで迎えに来てくれ妹も施設に合流した。

父が早くに逝き、ついこの間まで母は常に家の中心で堂々と君臨している存在だった。

もうまったく君臨するのにも飽きて、ただただ眠りこけていた。やっと肩の荷おろしたか。。。

すでに目を開ける力はなく、口をもごもごと動かすが感情の表現とは違うような気がした。。。。

弟や妹が「母さんネーちゃんがホッカイドーから来たよーー」と耳元で大きな声を出すが無反応。

母の傍らで久しぶりに姉弟三人水入らずの時間を子供の頃の思い出話に花を咲かす。

4-5歳のころ、

ブレーキのない三輪車でどこにでも行った。

親たちが田畑に行く近道にしている階段状の急斜面をフルスピードの三輪車で降り、下の田んぼに三輪車ごと頭から落ちた。

ある時はつづら折りの山道を三輪車でツーリング。

登りはこがずに押して行く。

帰りの下り坂の急カーブを回り切れず直線のドン詰まりに何度も何度も体当たりしながら降りるのが面白くて仕方がなかった。

春先は山遊び。雪解け水どうどう流れる川を見下ろしながら滑り落ちないように

忍者のように山肌にへばりつきながら生えている草や木の枝に命を預け一歩ずつカニ歩きで進む。

つかんだ草が抜けたり枝が折れれば川に真っ逆さま。

瞬時の判断の連続で生きて家に帰りつく。4-5歳のチビの日常。

9歳違いの弟も大体同じような事をしていたことを初めて聞いた。

母は知っていたのか、子供たちが命がけで遊んでいたこと。

三人でゲラゲラ笑いながら「自分の孫には絶対させられない!」と思うのが可笑しい。

聴こえているのかいないのか母は最後まで目を閉じたまま、15分の面会時間はあっという間に過ぎた。

「この家(一応本家だ)には自分が居なければ」と持ち前の正義感と意地で生きてきたように見えたが。。

母には長いこと口うるさく言われ続けたであろう弟の連れ合いの真奈美さんがここ10年そんな母を赦し、愛し、献身的に寄り添ってくれた。

弟が心から感謝していると言った。

母とはそりが合わず避け続けてきた身では感謝しかない。全く頭上がらず。

すっかりこの世のしがらみから抜け出した母は子供たち三人の笑い声を冥途の土産に旅支度を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


シラサギとカッコウ

2024年06月25日 05時14分06秒 | 日記

早朝、二階の窓の外を眺めていると
正面の木のてっぺんにシラサギがスーッと降り立った。 
え? あそこはいつもトンビなどの猛禽類が止まる場所。 
シラサギは長い首をぐるんと回し四方をしばらく眺めていた。
そしてサッと国道の方に飛び立っていった。
夫に伝えると「おれはカッコーがてっぺんにいるのを見た」 
「えーーー!」かっこーは鳴き声は毎日聴いているが 姿を見たことは無い。
お互いその写真を見せ合って納得した。本物のカッコーの姿は初めて見た。太ってる。。。。

 

 


2024田植え

2024年06月18日 21時48分30秒 | 日記

今年は家の前の畑をもう少し田んぼに戻してみるかとなった。
4年ほど前に最初に作った小さな田で充分遊んで、 
そこに真菰(マコモ)を少し植えたら株が大きくなり 
稲を植える場所が無くなってきた。 
「ここに大豆を蒔けば転作奨励金が30万、田にすれば無し」
どうするか、と春先の栽培計画書を提出する時期に 
夫と小滝君が話し合っていた。 
それをうっかり聴いてしまった。
「30万なんか温泉行ってドンチャンやって、あっという間に無駄遣い。田んぼだ」
と、神のお告げが妻の口を借りて降りてきた。。。。。
「じゃあ水田ってことで」となる。
それから夫は全力で田んぼ作りに没頭する。リースのユンボで畦を作り、トラクターで中を起こし
川の水が田に必要な時に必要なだけ常に速やかに供給されるように細工し、
水が入って代掻きの段階では小滝君とヨーコ・けんご・ちーちゃんチームが奮闘しみごと整う。
後は苗だけ、、、、頼みの綱の齊藤農場の苗は無い。。となり。。。どうなる。。。。。
毎週原木椎茸を仕入れる中道さんが「余ったから」と思いがけず助け船。アリガタヤアリガタヤ
常に危ない橋を渡る自転車操業の大きなかぶらしい流れがドウドウと流れ込んで二枚の田が完成。
土曜日に10人、日曜日に10人、皆怪我などせず楽しんで帰れたのが一番の幸い。
日曜は午後から雨がザンザン降りとなるが、思ったより暖かい雨で植えていても苦にならず。
にわか作りの新しい田は、ある場所はズボーンと深くなったり大小の石が足の裏に当たったりする。
裸足になって感覚を研ぎ澄まし一足一足を真剣に運びながら植えていく。
大人でさえうっかりするとバランスが崩れて転びそうになる。
皆、特に子どもたちは本気のやる気が漲って思い切り潜在能力を開花させた。

     

空になった苗のポットでサーフィンする男子たち。あ、ぜ、ん