雨が降る毎に山の緑がもこもこムクムク、道端も畑も草がざわざわ。
今年は庭のスズランを草が覆い隠す前に救出した。ホッタラカシだったツツジも根元の草をとる。
10年も放置していた庭は我が物顔でミントが根を張り巡らしていた。
昔は放っておけば牧草やイネ科の草がはびこって、近所の人に見られるとズボラで怠け者の正体がバレ恥ずかしい思いをしたが、
いつの間にかミントが勢いを増し家の周りを包囲し、その香りと様は街から来る人には喜ばれるのでミントの思うがままにしていた。
それを思う存分味わったら満足し、ちょっと飽きてきた。要所要所をミントから解き放し別なものを植えようという気が起きる。
地べたにぺたんと座り込み、鎌の先を土の中にグッと差し込んでミントの根を切る。手応えを感じながら何回も何回もザクザク切る。
そうして土の中から根を引き抜いて引き抜いて、、、根が取れた場所は10㎝も低くなった。
10年の歳月を淡々と少しづつ少しずつ土の中を進み陣地を拡げ地上の美しいミントを支えてきた真相を目撃した気がした。
春先は新芽をお茶で味わい、夏の盛りはザクザク刈り採って土間に敷き詰め、秋には入浴剤用に刈って刈って干して干して、、、、、
ヨモギもスギナもイタドリも、、どれだけ採っても採っても無尽蔵に出てくる。その生命の強さに見守られ恩恵を受けて暮らしているのだ。
先週夫の父の13回忌の法要が町田の弟宅で行われた。
3回忌と7回忌の時まではお坊さんが来てお経を上げてくれた。今回お経はインターネットでダウンロードだった。あら、これでいいのだ。
他県から来てもらっていたお坊さんとの縁も深くはないし、この時世だし、、、弟の英断だった。
7回忌の時、「次はこの中の誰かが逝ってるかもね?」なんて皆で半ば本気で言って別れたが、、、だれも欠けておらず。
学生だった妹の娘が結婚して婿殿がプラス。弟の娘のお腹に3人目が宿りプラス。 1.5のプラス。まだ御家は上り坂だったか。。。
長い間ハワイ在住だった下の弟が20代の長男を初めて法事に連れて来た。ハワイで産まれた彼は「まいけるです」と挨拶した。
「?まいける?どんな字書くの?」と聞いたら「カタカナです」と言われて大爆笑。父は町田うまれ、母は大阪うまれ、でも、それもアリなんだな。。。
日本名は「湧貴」と名付けられいているそうだが日常は職場でも家の中でもどこでもマイケルで生きている。
法事を取り仕切る弟は今回の件で、父方母方の家系図を江戸時代まで遡って調べたと満足そうに話した。
こんな時でなければ開くことはないだろう、仕舞い込まれていた分厚い古いアルバムを、この日のために用意してくれて、
皆で顔つき合わせ「あー!」「えー!?」と大盛り上がりだった。
夫は産まれて間もなく父と別れ釧路で母に育てられ、東京で父の新しい家族の前に登場したのは大学生の頃「親戚のお兄ちゃん」として兄妹に紹介されていたらしい。
その頃の一枚もアルバムに残っていた。
会ったこともない先祖の時代からの家族の歴史の詰まったアルバムを眺めながら自分の実家にあるアルバムを見ているような錯覚を感じた。
全く別の家族なのに、そこに写る一枚一枚は見覚えがある定番の構図、、家族の記録。
おじいさんおばあさんが青春だったとき、、やがて自分が産まれて兄妹が産まれて、、、各々新しい家族が出来て、、、、
結婚式の場面や観光名所での集合写真。生れた子どもの成長の記録。どれもこれも実によく似ている。登場人物のちがいだけ。
めぐりめぐって、めぐりあって、まじわりあって、、縁と縁を紡ぎあって、ひとは生きているのだとしみじみ感じた。