大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

『塩』は大事

2024年02月05日 11時10分15秒 | 日記

 

2/4 早立春!

晴天が続く。空気が澄んで空が青い。

木の枝々に雪の花が咲き、ため息が出るほど美しい。

すべてを拒絶するほどの吹雪きを起したかと思えば、何喰わぬ顔をでこんな表情をする冬に心を鷲掴みにされる。

 

大分赤峰農場の親方赤峰勝人氏が昨年11月亡くなられて、早三ヶ月が過ぎた。

30年も前に著書「人参から宇宙へ」に出会い、「塩」がどれだけ大事な物かを教えられた。

その後北海道なずなの会を仲間と立ち上げ、毎年札幌講演会を10年くらい続けただろうか、、、、

その度に繰返し繰返しさまざまな実例を通して「塩」の大切さを伝えてもらった。

2010年の講演を空知生命塾・塾長の東出隆さんが文字に起して講演録にしてくれたものから抜粋してみる。

 

『塩の大切さを知ったのは昭和37年農業高校を卒業し豚を飼い始めた時。

子豚が白っぽくなり咳をして痩せて次々に死に、原因が分からず必死にあちこち訪ね歩いた、

「それは塩切れじゃ」と長年豚を飼っていたお爺さんが教えてくれた。

すぐに塩を与えるようにすると1週間で真っ白だった子豚がピンク色になって元気に走り出した。

人間も同じ、例えば夏バテは汗で身体の塩分が失われ体内のミネラル分が不足しだるくなる。

このとき水をがぶ飲みするほど体内の塩分ミネラル濃度は薄まりますますバテてしまう。

『塩』という字は土偏で出来ている。

植物は光合成によってミネラルを作り出し、その植物が枯れてミミズや微生物が食べて分解した物が土。

ミネラル溢れる土が雨水により川から海に流れ込み、海水となり、それを煮詰めた物が『塩』

動物も人も植物も塩(ミネラル)が無ければ生きる事が出来ない。

※昭和46年(1971)塩田法(塩化ナトリウム99%の化学塩のみを食用と認めるというもの)施行。

じぶんが食べるために海水を一杯汲んできて塩をつくっても法にふれるという厳しいもの。

近代化促進という名の下に日本中の海岸から塩田が消え、臨海工業地帯に生まれ変わる。

ミネラル分の含まれていない化学塩を食べるようになると、さまざまな体調不良が起こり

難病奇病が発生し、それに対応するべく病院が増え新薬が開発されるも根本解決を見ることは出来ないまま病人が増え続ける現状、、。

平成9年(1997)ようやく塩の専売制度は廃止され、海水から自由に自然海塩を作れるようになる。

 

1999年5月赤峰さんの循環理念に共鳴した団塊世代の三名が名乗りを上げ、大分県佐伯市の間越ハザコ海岸で塩作りが始まりました。

なずなの塩の誕生です。

70年近い百姓人生を信念で生き通した赤峰親方の愛のミネラルは

弟子達に引継がれて全国に広がり

毎月開催されてきた百姓塾で学んだ人々の心の礎となり、

赤峰農場の野菜を食べる私たちの身体にも日々組み込まれていくのでしょう。

 

コメント

本日はぽかぽか陽気

2024年02月05日 10時25分52秒 | 日記

 

1/28 本日はぽかぽか陽気。秋に干した大根の葉がようやく茶色になってきて取り込む。

大根の干し葉は煮出して腰湯をすると新陳代謝を活発にし毒素を流し、身体が軽くなる。

 

除雪車が通った道の両脇が高い雪の壁をつくり、ようやく冬らしい冬の様子になってきた。

長沼町は南北に長いので天気予報は当てにしない。

岩見沢寄りの北長沼と千歳市に近い南長沼ではまったくちがう。

一件の家の屋根の北半分に雨が降り、南側の屋根は乾いている、という光景を一度見た。

嘘のような本当の話。

大きなかぶは南側なので札幌市内よりも雪は少なく道路状況は快適。

 

朝、日射しが降り注ぐ2階でゴロゴロしていると窓の外側にマルがいる。

玄関前のビニールハウスに爪を立てて登り、夜中に少し降った雪の上にちょんと乗って、、、

(あ、カアチャンやっと気づいた・・)と雪を漕いで窓辺に近寄ってきた。

「カーチャンご飯!」と窓に飛びつき自力で開けて入る気満々。(まずい、まずい、、)

急いで下に降りるとちゃんと分かっていてマルも下に降りて玄関のドアをガリガリしながら待っている。

昨日の夜に炊いておいた鍋を置くと、魚だけを拾い出して食べている。

マルは一見賢そうに見えるが、食事の仕方はガサツ。美しさがマルで無い。

クロはマルに魚をほとんどさらわれ、米と南瓜と菜っ葉の鍋を洗ったように綺麗に食べ尽くす。

いつの間にか両者は共存意識を育み、近づく度に険悪だった空気が今は無い。

 

コメント