退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#449:オスカー、人種問題、私感です。

2015-02-23 22:54:39 | アメリカ便り
今冬一番の寒さのミネアポリスから凍傷にも罹らず帰ってきました。
イヤー寒いのなんの。
マイナス20度です。
雪は去年よりずーと少なかったですが。
やはり、寒さというのは気持ちも寒くします。
それでも金曜日の夜は、ミネソタオーケストラを聴きに行きました。
ベルリオーツとシベリウスだったので、それほど行きたいとは思いませんでしたが、ホテルの真向かいがオーケストラホールだったので行ったといったところでしょう。
主人いわく、我がセントルイスオーケストラよりよかったとのこと。
私は、ちょっと寝ていたのであまりよくわかりません。

日曜日の娘のコンサートはアメリカのコンポーザーの曲。
2曲目はミネソタオーケストラからのトロンボーン奏者がゲスト出演。
トロンボーンのソロは初めて聞きましたがなかなかよかったです。
この曲のコンポーザー自身がトロンボーン奏者で、今も現役で教えているそうです。

コンサートが終わった後は、寒さのため何もする気になれず、ホテルの部屋でオスカー/アカデミー観賞。
オスカーこの6年で最低の視聴率(~25%)だったそうです。
今回のオスカー、人種差別、男女平等、ホモ、移民問題など、いろいろと発言がありました。
でもです、庶民から程遠いハリウッドの世界に住んでいる人達がいくら、このような発言をしてもその場限り、あまり意味がない感じがします。
社会の波で、このような発言をした感じ。

映画サルマ、ファーガソン、ニューヨーク、相変わらずの人種問題。
アメリカにおいて絶対なくはならない問題なのに、どうしてなくそうとするんでしょうか。
社会的には、Dr. キング以来黒人に対する差別というのはある程度なくなっていると思います。
“ある程度”といったのは、どの社会においても、いろいろな“パーセプション”(各自の頭の中で、すでに決定されている感覚とでも言うでしょうか)が事実の前にはだかっています。
たとえば、中国人は金のためならなんでもする、韓国人は自尊心の固まり、ユダヤ人は金儲けがうまい、イタリア人は女好きとかですね、人種でその人格というものの判断をつけられてしまう。
会社内でもそうです。
私が働いていた製薬会社の研究所も博士を持っていないと、上にはほとんど上がる見込みがない。
つまり、博士=頭がよいというパーセプションが働いているからです。
これは長年働いていると、まるっきり仮定にしか過ぎないということがわかることですが。
だから外国人で女、そして修士しか持っていない私みたいな研究員というのは、一番パーセプションによって影響されやすいものでした。
“人はどう思っていてもよい”とは思っていましたが、私と同じレベルの人達が昇進して行って私が取り残されたら、やはり意義申し立てをしました。
パーセプションを打ち破るには個人個人でそれだけの努力をしなければならないのです。

人種ごとのパーセプションを打ち破るには、何百年もかかるでしょう。
まあ何百年たって打ち破れればよいですが。
人種としての黒人のパーセプション(怠け者、教育度が低い、文句が多い、運動に適している/これはかの中曽根氏の名言ですが)はなくならない。
だから、個人が努力してなくしていくしかないのです。
オスカーのとき、名前は知りませんが映画“サルマ”の音楽担当者がオスカー受賞のとき言いました。
“現在、アメリカの監獄にいる黒人囚人の数は奴隷としてつれてこられた黒人の数より多い”。
このオスカー受賞者が意味することは、黒人が不正に監獄に入れられているということだと思います。
これなんです、黒人がいつまでも前に進まないのは。
常に、“誰かのせい”なのです。
アメリカのどの地域を見ても黒人の教育レベルの低さは目に見えています。
でもこれはもう国のせいにも、白人のせいにもできないのです。
個々の黒人家庭の価値観のせいと思います。
だから、黒人が大統領になっているアメリカ、黒人の今の立場というのは自分たちの価値観が生み出したものが大ということに気づいてほしいと思います。
そして個人で、パーセプションを打ち破る努力をしてほしいです。
とアメリカ人が言うと、めちゃくちゃ文句を言われるでしょうが、日本人の私はマイノリティー、何でも言えるのです。

今日のブログは4日分ぐらいありますね。

ハブグレジュンタのマミー。