月曜日の夜、翻訳にせいをだしていると、電話が鳴りました。
“誰だ、こんな遅く”。
娘でした。
マミーコールです。
今すぐきて!!!
だって。
3週間ごとにあるテストが今週末あって、もう不安発作もあって苦しいとのこと。
“お母さん8日に日本に帰るの”、無理でしょう。
でも、電話を切った後、日本行きの飛行機の切符を1週間伸ばしに変更し、次の日にピッツバーグに立つ飛行機とレンタカーの手配をしました。
娘は少しのことでも気になる子、おまけにずぼらな私とは性格がまったく反対の、完璧主義者。
なんとも疲れる性格です。
今回はモルモットの病気も重なっていろいろ大変だったというか、なんでもないことまで大変に考えちゃったんでしょう。
息子の膝の手術が11日に伸びたので、まあ、ちょうどいいでしょう。
“俺の面倒誰が見るんだ”ですから。
私は小さいころから親にはほっとかれて育ちました。
いつも、“両親みたいな親にはなりたくない”と思いながら大きくなり、本当に両親みたいな親にはなっていないと自負していますが、その分子供たちがいつまでも私を頼っているのが見え見えです。
結果的にはよかったのかどうかわかりませんが。
以前書きましたが、子育ては親の自己満足です。
親が勝手によいと思ったことを子供に押し付けたりしているのです。
でも、子供の行く末は育った環境に影響されるは本当だと思います。
娘も息子も5歳から私の好みでチェロを習わせました。
スズキメソッドです。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが松本のスズキ先生が始めたもので、子供たちが習っていた先生は鈴木先生がじかに教え、アメリカに送り込んだというご夫婦でした。
スズキメソッドといえば昔テレビで、何千人という数の子供たちが一緒に何かを弾いていたのを覚えているくらいでした。
“え~、これって宗教団体みたい”ぐらいにしか思っていませんでした。
スズキメソッド、よいか悪いか、“そんなの自分たちで勝手に決めて”と思いますが、私はよいところだけを信じて子供たちに続けさせました。
よいところとは、“子供は環境の子”という教えでした。
私の子供たち、ぬくぬくとした環境に育って、、、、、
まだ翻訳が終わりません。
やりたくない、娘は勉強したくない。
ハブグレジュンタのマミー
“誰だ、こんな遅く”。
娘でした。
マミーコールです。
今すぐきて!!!
だって。
3週間ごとにあるテストが今週末あって、もう不安発作もあって苦しいとのこと。
“お母さん8日に日本に帰るの”、無理でしょう。
でも、電話を切った後、日本行きの飛行機の切符を1週間伸ばしに変更し、次の日にピッツバーグに立つ飛行機とレンタカーの手配をしました。
娘は少しのことでも気になる子、おまけにずぼらな私とは性格がまったく反対の、完璧主義者。
なんとも疲れる性格です。
今回はモルモットの病気も重なっていろいろ大変だったというか、なんでもないことまで大変に考えちゃったんでしょう。
息子の膝の手術が11日に伸びたので、まあ、ちょうどいいでしょう。
“俺の面倒誰が見るんだ”ですから。
私は小さいころから親にはほっとかれて育ちました。
いつも、“両親みたいな親にはなりたくない”と思いながら大きくなり、本当に両親みたいな親にはなっていないと自負していますが、その分子供たちがいつまでも私を頼っているのが見え見えです。
結果的にはよかったのかどうかわかりませんが。
以前書きましたが、子育ては親の自己満足です。
親が勝手によいと思ったことを子供に押し付けたりしているのです。
でも、子供の行く末は育った環境に影響されるは本当だと思います。
娘も息子も5歳から私の好みでチェロを習わせました。
スズキメソッドです。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが松本のスズキ先生が始めたもので、子供たちが習っていた先生は鈴木先生がじかに教え、アメリカに送り込んだというご夫婦でした。
スズキメソッドといえば昔テレビで、何千人という数の子供たちが一緒に何かを弾いていたのを覚えているくらいでした。
“え~、これって宗教団体みたい”ぐらいにしか思っていませんでした。
スズキメソッド、よいか悪いか、“そんなの自分たちで勝手に決めて”と思いますが、私はよいところだけを信じて子供たちに続けさせました。
よいところとは、“子供は環境の子”という教えでした。
私の子供たち、ぬくぬくとした環境に育って、、、、、
まだ翻訳が終わりません。
やりたくない、娘は勉強したくない。
ハブグレジュンタのマミー