今朝は零下3度。
先週は半袖ショートパンツの日もあったんですが。
でも、もうそろそろ本格的な寒さが来年3月ぐらいまで居座るでしょう。
でもここは雪がほぼない冬なので楽です。
北海道出身の私は雪かきの大変さは良く知っているので。
アメリカは12月に入るとあちらこちらで、❝寄付❞、❝募金❞の広告をよく目にします。
私が27年務めた会社でも12月になると、❝United Way❞と言う大きな❝金集め団体❞への寄付がほぼ半強制的に行われます。
OOドル以上の給料をもらっているものは給料の1%以上、OOドル以上は2%ととか親切に寄付する金額まで支持してきます。
分割払いも可能で毎月の給料から自動的に引き出すことも可能です。
自分が寄付したい団体を支持することもできます。
でもそんなんだったら最初から直接その寄付したい組織へ送った方が、United Way が吸い取る分を無くすので良いと思いますが。
この団体、❝寄付組織❞のIOC(オリンピック組織)版とでも言いましょうか、非常に大きな組織で、裏では何をやっているかわからない組織。
❝義務❞、❝強制❞と言う言葉が嫌いな私は、勤め始めて最初のころは給料の何%とはいかないまでも1万円とか払っていましたが、10年もすると、無視。
直接支援組織へ寄付し始めました。
❝貧しい人❞を支援することは大事なことです、でもその❝貧しい人❞の定義が非常にあいまいになっているし、貧富の差がますます激しくなってきている環境でどのレベルから見て❝貧しい人❞が決定されるのかを、いったいどのくらいの人が考えたことがあるでしょうか。
私はこのこと、以前から気にしていましたが、ごく最近テレビで流し始めた国際的な寄付運動の広告を見て新たに考えさせられました。
❝集合給水施設から水を汲んで自宅へ運ぶ子供❞が、❝かわいそうな子❞となって寄付を募っていました。
どうして水汲み場から水を汲んで家に運ぶことで、❝貧しい❞、❝子供がかわいそう❞となるんだろうか。
❝蛇口をひねれば水は出るわ、お湯は出るわ❞、の国から見ればそんな国は貧しいし、そんな国に住む子はかわいそうとなるんだろうけど。
しかしそんな国に住んでいる子供たちは、発展国に住む私たちが思うほどに自分たちのことをかわいそうと思っているんだろうか。
私は小さい時は貧しかった。
父親は仕事についていたけど、アル中だったため給料は酒代に消えていくことがしばしば。
住んでいた家は❝官舎❞だったけど、どこかの会社の払い下げと言うことで隙間風、戸はまともに閉まらない掘っ立て小屋と言うに等しい家。
水道はついていなかったので、15軒ぐらいの官舎に一つあった集合水道から水を汲んで家の中にあるカメに水をためておいた。
冬はそりで運んだもんだった。
勿論、風呂なんてついていないから銭湯通い。
でも私達はそんな環境が決して貧乏とも恥ずかしいとも思っていなかったし、当り前のことと思っていた。
ぐでんぐでんに酔っぱらって騒いでる親父はいつも恥ずかしいと思っていたけど。
❝貧しい❞の定義って何なんだろうか?
続きは次回に。
ハブグレジュンタのマミー