おはようございます。
あっちっちの毎日が続いております。
私が育った札幌では、本州で言う❞夏の日❞というものがせいぜい2週間あったかなかったか。
海で泳げるなんてことは10日間ぐらいだったと思う。
暑くなったな~、さあ、泳ごう‼、と思っているとすぐに、❞地獄の釜の蓋が開くからもう泳いだらダメ‼❞、となる。
日本海が目と鼻の先に広がっているのに泳げる日は限られている。
❝穏やかな海❞、という日もそれほどないんです。
それでも目の前の海に行って、当時はそれほどうるさくなかった、というかそんな法律あったんだかなかったんだか忘れましたが、堂々と❝蜜業❞をやってました。
といっても海にポチョンとはいって足でウニの感触を確かめ、2,3個取ってくるというもんで、今の日本在住のC国人たちがやってるような本格的蜜業とは違います。
50歩歩百歩と言われればそれまでですが。
でも当時は海辺の元網元の家に住んでいて、周りは漁師ばかりだったんです。
というのもケイサツをやっていたおやじ、官舎の空きがなくてたまたま開いていたその家に入れられた、という感じでした。
だだっ広くて暗くて寒い、という感覚しかなかった家でした。
漁船、といっても1,2人で漁をするという小さな船が海辺に帰ってくると、海辺に行って母と一緒に魚を網から外すのを手伝い、売り物にならないような魚をもらってくる、というのが楽しみでした。
でもある日、隣に住んでいたおじさんが漁に行ってそのまま帰っては来ませんでした。
家族で仲良くしていたんですが。
酒が大好きな大柄な人で、その日も酒を飲んで漁に出たそうな。
家族は止めたそうですが。
以前も書きましたが高校の時はヨット部に入っていました。
といえば、❝金持ち❞という感じがしますが、私が通っていた高校は普通の公立高校でヨットといったって、二人乗りの修理ばかり必要としていたちゃっちいーものでした。
練習は5月から始まりますが、その寒いこと。
おまけに1年生はほとんど船には乗せてもらえず、岸壁でただひたすら沖から戻ってくる上級生が乗った船を待っているだけ。
つまり、❝ロープ持ち❞。
たまに乗せてもらうと、ひっくり返って冷たい海にどぼーん。
といった生活も成績が急降下となったため、母から❝ストップ❞がかかり1年もせず終わりを告げました。
でも楽しかったですね。
合宿があると朝早くに起きて上級生が乗る船の準備をし、2時間ぐらいでバスに乗って学校。
若かったですね。
いろいろやりましたね。
今日はこれからいつも姉代わりとなってお世話になっているレイちゃんを連れ立って、洞爺湖温泉一泊に行ってきます。
涼しい部屋でゆったりとした時間を過ごしてきます。
ハブグレジュンタのマミー