退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#2013: アメリカ留学

2023-08-22 04:14:08 | アメリカ便り

おはようございます。

昨日、日曜日は息子一家と他市からきていた息子の友達のために海苔巻きと鯖寿司を作りました。

海苔巻きと言うと手がかかる感じなんですが、かんぴょう、シイタケを煮ちゃうと簡単にできる。

我が家も2,3日は海苔巻きを食べ続けることになるでしょう、ということで今夜の夕食は手抜きで行ける。

さて、今朝ネットを見ているとあるアメリカ留学生の動画に偶然ヒット。

アメリカの4年生の大学に留学しているとのこと。

日本の大学で1年間学生をやって編入。

如何に日本の大学生は勉強しなくてもいいか、と話していました。

思い出しますね、46年前の1977年5月、1年間の公務員生活をやめ、赤土舞うイリノイ州のある大学にやってきた日を。

小さなプロペラ機に乗って舞い降りた、トウモロコシ畑の中にある小さな飛行場。

ちなみにこの小さな航空会社は、のちに死者8名を出す航空機事故を起こしつぶれてしまいました。

降り立った途端、❝なんで私はこんな羽目になってしまったんだろう❞、と心底後悔しました。

何もない、私の大好きなデパートもない。

ま~、ニューヨークやらロスみたいな大都市だったら金もかかるし勉強もしないだろうな~、と思って究極の田舎を選んだのは私なんですが。

そこで、学生時代成績表では3(5評価で)しかとったことのない英語音痴の私がまず入ったのは、大学付属の人種のるつぼの英語学校。

イラン人やらの中近東人が多く、その次がどういうわけかマレーシア人が多かったですね。

メキシコ人、中国人、そしてノーと言えない静かな日本人がそこにひっそりと混じってました。

そこに私は6か月もいました。

まるで幼稚園児の英語学校、秩序も糞もあったもんじゃない。

なんでこんなところにいなくちゃいけないんだ、と腹が立ちました。

最も私の英語能力がなかったことが問題なんですが。

私は英語を勉強するためにアメリカに来たんではない、と英語ができない理由を目の前にぶら下げ、とにかくここを終えなければ前に進めない。

ようやく試験に受かって無事大学へ。

一応州立大学だったのですが、州外からきているということで学費は州内からきている学生よりは割高。

一学期フルの単位(12単位以上)で当時の値段で1000ドルぐらい取られました。

1ドル290円ぐらいだったので、1年間の公務員で貯めた100万円はすぐなくなり、あとは親任せ。

おまけに寮にも入っていたので、そのお金も結構かかりました。

この寮部屋にはルームメイトで優しい金髪長身美人の1年生が割り当てられましたが、時々男の子を連れ込んできたので、私は遠慮して図書館行ったり他の日本人のところに行ったりしていました。

でもこの美人、家が恋しくなったとかで1か月ぐらいで学校をやめて帰っていきました。

寮に入るとまず慣れなくてはいけないのは食事でしょうね。

アメリカの料理って、タダでもまずいのに寮飯と言うと予想を超えてまずい。

若い学生相手なので、質より量って感じ。

日本の学食や社員食堂なんかとは雲泥の差。

優しいばちゃんがのれんの反対側から顔を出してくれるなんてこともないし、いるとしたら黒人の不愛想な輩。

食えるもんなら食ってみろ、と言った感じでスプーンですくった正体不明の原形をとどめていな脂っこい食い物をプラスチックの皿の上にゴテっと乗せてくる。

それでも最初は物珍しさも手伝って食べましたよ、おかげで体重が3キロ増えました。

これではいけないと思って、3か月の夏学期が終わったらアパートを見つけ引っ越ししました。

しかしながら、寮生活は日本人にとってはカルチャーショックでした。

毎夜、どこからとも漂ってくるタイマの香り。

これが週末ともなるとその匂いに加えて騒々しさが増してくる。

何とも言えない経験を味わいました。

もう二度とアメリカの寮には住みたくないですね、と言うか、70歳まじかなのでそんな心配はないけど。

私の二人の子供は1年間で寮を出ました。

あそこは勉強しにやってくる日本人が住むところではない、とはっきり言えますね。

続きは次回。

ハブグレジュンタのマミー