退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#2085: スチワーデスがCAとなり、、、、、

2024-07-08 04:45:31 | アメリカ便り
私がはじめてアメリカにやってきたのは1977年の5月、私が23歳になって間もなく。
1年ほど働いた地方公務員と言う職を辞めてからである。
当時は成田空港はオープンしていなくて、羽田空港から両親と友達3人ほどに見送られての出発。
今はもうなくなってしまった、❝兼高かおる世界を回る❞のPan Americanでの旅でした。
まずはハワイにちょこっとストップし、それからロサンジェルス。
アメリカ本土についたら、今度はセントルイスに飛び最終はセントルイスから小さいプロペラ機で40分ほどの旅でした。
50年ほど前はこのように実に長い旅でした。
そんな旅を❝ビールを頼んだらミルクが来た!!❞、と言うひどい英語で私はやってきたんです。
昨日書いたブログで結婚生活は❝開き直り❞云々て書きましたが、改めて振り返ると私は若い時から開き直りの人生を送ってきた感じですね。
❝なんとかなるさ‼❞と言う、良く言えば❝天真爛漫❞、悪く言えば❝向こう見ず❞の考え方で、アメリカ50年近くを乗り切ってきた感じがします。
さて、今日のブログは私の飛行機体験とでも言いましょうか、なんせアメリカと日本を47年間で70回近くは行ったり来たりしていたので、この体験をちょっと書かにゃもったいないと言うことで。
まずはCAさんについて。
一言でいうと❝昔は良かった❞。
CA、いやスチワーデスって選り抜きの洗練された女子と言う感じがしたし、スチワーデスさんたちもそういった庶民の期待を、裏切らないぞ!!、と言う意気込みで働いていたと思う。
だから本当にきめの細かいサービスをしていてくれた、勿論エコノミーでですよ。
私が飛行機に乗り始めたころの飛行機は、一応禁煙席喫煙席とは別れていたけど、機内は煙草の匂いがきつかった。
おまけに日本人も今ほどマナーが良くない時代だったので(当時はまだ農協軍団が存在していた時代だったので)酔った人も結構いたし、スチワーデスにいろいろ因縁をつける人もいた。
❝C国は日本より50年遅れている❞と言われていますが、そうですね、今のC国人たちのようだと思います。
若い頃は安けりゃなんでもいいと言うことで、学生だった頃はチャイナエアーライン、デルタ、ノースウエストとかの雑多な人種が集まる航空会社も利用していましたが、この40年ほどは日本の航空会社ばかりなので、私個人がC国人の機内態度を確認したわけではないですが、CAのユーチューブなんかを見ると予想がつきます。
酒臭いタバコ臭いあほな学生やらおっさん、団体のうるさいおばさんおじさん相手に当時のスチワーデスはうわべではなく心のこもったサービスをやってくれました。
私は子供が10か月から毎年必ず日本に帰っていましたが、泣き叫ぶ赤子をいやな顔もせずなだめたりミルクを温めてくれたり、時には疲れた顔の母親に変わって抱っこをしてくれることもありました。赤子が2歳ぐらいになって飛行機の中を騒がしく駆け回ったこともありましたが、そういう時には怒らず少しの間話しかけてくれたりもしました。
そんなときのスチワーデスは本当に天使でした。
スチワーデスと言う名前がいつの間にかCAと言うグローバル化得意のアルファベットの名前になってしまい、それに伴って日本人の良き民度もグローバル化されてしまった気がします。
続きは次回にします。
今日はこれから週一でやってくる息子一家のために夕食を作らなければいけないので。
今日のメニューは餃子、ホットアンドサワースープその他もろもろです。

ハブグレジュンタのマミー