風が強く非常に冷たいこの2,3日。
空は快晴なんですが。
昨日たまたま見かけた動画について考えさせるものがあったのでちょっとお伝えします。
人さまざまなんで、別に私に賛同してもらいたくて書くわけではないので。
昨日見た動画と言うのは、ある家族のことです。
夫婦は両方とも重度の脳性麻痺を患っています。
奥さんの方は四肢はまるっきり使えず、電動車いすの操作も口にコントローラーを加えてやらなければいけない。
座ることができないから家の中では床の上に寝ていることしかできない。
脳の機能は一般人の生活を送るぐらいは発達しているから話すことはできるが、聞く身としてはなれないと理解するには苦労する。
字を習いたいと言うことで夜間中学に行き始めた。
ご主人は左手がある程度使えるがそのほかの手足は動かせない、何とか自分で家の中を動き回ったり車いすに乗ったりできる。
奥さんと違って座ることもできる。
更には自分でタイプをして文書を書くことができ、奥さんとは違う中学校にも通っている。
この夫婦の望みは❝普通に暮らすこと❞だそうで、そのために両親に反対されながらも結婚したそうな。
そしてさらには❝普通に暮らすこと❞のために子供を作ったのである。
私の見た時点で男の子は6歳になっていた。
子供は生まれたけど、もちろん世話が何もできないから生まれたその時からすべて他人の世話になるしかならない。
生活保護と身障者手当で公団住宅に住み、寝ているとき以外は朝早くから夜寝るまでボランティアーとか介護士がチームとなりほぼすべての世話をしている。
関係ないけど、私は、❝わー、日本って生き届いているね、アメリカじゃありえないことですよ❞、と思いました。
そしてここから私の感想です。
❝普通の生活❞の定義とは何ぞや。
私は❝普通の生活❞とは人それぞれ、その定義が違うと思う。
食うものに事欠くような貧しい家にとっては、毎日1食でもいいから腹いっぱいご飯を食べることが夢に描いた普通の生活なんだろうし、毎日が銃弾飛び交うようなイラクのような国に住む人たちにとっては、銃に撃たれる心配なく、屋根の下で寝ることができると言うことが夢に描いた普通の生活なんだし、DVで毎日親兄弟から暴力を振るわれけがが絶えない子供たちにとっては暴力を振るわれることなく、おびえることなく暮らすことがこれまた夢に家がいた普通の生活なのであると思う。
ちなみにアル中に近い親父を持った私としての:❝普通の生活❞とは、夜中2時3時にたたき起こされることなく、そして酔っぱらって帰ってきた親父をなだめすかして何とか寝かしつけることを考えなくても良いことである。
更に料理掃除が嫌いな母親に育てられた私にとっては、美味しい手料理を食べ掃除された家の中で暮らすことが夢に絵がいた普通の生活でした。
私がまず、この夫婦に対して❝おかしい❞と思ったのは子供を産んだことに対してである。
身障者同士が結婚することに対し、私は素直に祝福できる、と言うのも当事者同士だから。
苦も楽も結婚を選んだ二人だけの問題である。
しかし、親(母親が強く望んだと思う)の望み(私はあえて身勝手と言わせてもらう)で子供を産んだと言うことに対して私はいきどおりを感じるのである。
この親、生まれる子供のこと、そして重度身障者の親をもって子供が生きると言うことを、子供の身になって考えたことがあるんかいな、と思いました。
子供は選択してこの世に、そしてこの環境に、そしてこの親に生まれてきたのではない。
だから親にはそれだけ、子供を産むと言うことに責任があると思う。
重度身障者か健康者かにかかわらず、❝普通の生活がしたい❞と望む親の身勝手さで子供を産んでいいものだろうか。
更にこの動画の後、私はヤングケアラーと言う動画も偶然見てしまった。
名前の通り、祖父母親兄弟のケアーを任される子供たち(19歳以下)のことである。
大阪府では5000人の高校生を対象にアンケートを取ったところ、20人に1人がこのヤングケアラーであったそうです。
必然的にこの子たちは学校に行かなくなったり、人とのかかわり方にも問題が生じてきたりするため、将来に不安が出てくる。
動画で紹介していたある50歳近い男の人は小さい時から心臓の悪い母親を介護していたそうで、母親が亡くなった今、社会との関係に問題がある中、何とか暮らしていこうとしています。
親の姿を見て子供は学ぶ、と言ってしまえばそれまでだけど、これからも将来もずーと❝ヤングケアラー❞として生きなければいけないと言う宿命を、親の❝普通の生活がしたい❞と言う身勝手な気持ちで子供に課していいものなのであろうか。
私は❝謙虚、感謝、思いやり❞と言う3つを人生の3大要素としているが、こういうことを言っては❝健常者が何を言うんかい❞と、たたかれるかもしれないが、今回紹介した重度身障者はこの3つどれも持っていないと思った。
私はこの夫婦、特に奥さんの人間性が気になった。
私は気が弱いので(誰も信じませんが本当です)反対意見がある人は、ただ心にとめておいてください。
ハブグレジュンタのマミー
実は近所の低空しか飛べない爺さん鳥の当方もそんな感じで、新聞・テレビなるべく見ないようにしていても腹の立つことばかりです。これって、自由を制限されているストレスから来るのでしょうね。集金野郎が1日も早く失脚しますように今日は誰も来ない名刹に行ってきます。
この年になって 息子を作って しっかり育て上げる事出来るのか??
結果として 息子を不幸にしてしまうのではないか??
カミさんにも大きな負担がかかって今うのではないか??
そんな不安がいっぱいでした。
子供に負担をかけずに 人並に育て上げるとしたら・・・
70過ぎまで、安定した所得が無いと・・・
この先の事考えると 凄い怖いです。
色素性乾皮症の子供を持った家族の話
人は基本、身勝手デス(^^)/
この度のお母さんも、身勝手なのかもしれません…。
一方、生まれてきた子が、「どうして私を産んだのっ!」と恨むのか…。
感謝するのも恨むのもひっくるめて、チームを組み、その人や家族を支える。
それが、社会福祉専門職です(^^)/
~すべての人に、健康で文化的な生活を営む権利がある~
僕は、日本国憲法第25条が好きです。
両親がちゃんと揃っている家ではなく、片親でいやな思いをした。無責任ではないかと。
当時は片親になる計画はなかったので、それを言われても・・と思いますが、でも確かにまだ若くて、計画も自信もないまま、ただ夢見る夢子で息子を産んでいたような気がします。
人生いろいろあるけれど、要するにマミーさんが思うのは、「最初から人の手をたくさん借りなければ育てられないのが分かっているのに、どうして産んだんだ?」って言うことですよね?
そして恐らくここのお子さんはヤングケアラーになる可能性が大ではないかと。。。
ごもっともな話だと思いました。
子供は親を選べませんからね・・
また大阪府の高校生50000人の内、20人ひとりがヤングケアラーというのは初耳でした。
でも最後の>私は気が弱いので(誰も信じませんが本当です)は、私の笑いのツボにはまりました。特に>誰も信じませんがというところ(ごめんなさい)
私は過去というものが好きです。10歳まで大阪の下町に住んでいましたが、周りの大人たち、こどもたちがそれぞれ個性的で印象に残っています。
その多くは私の家を含めて貧しかったのですが、中にはバイオリンを習っている保険会社に勤めている父を持つ私と同じトシの女の子もいました。(今にして思えば転勤族の保険会社の支店長だったのかと想像します。)
バイオリンやピアノを習っている女の子、そういう女の子の家庭というのは憧れでした。
でも不思議ですね。70歳近くになってモーツァルトのピアノソナタを下手ながら家で弾いている自分がいるのです。マミー様も昔憧れていた美味しい手作りの食事をご自身でお作りになり、お家もほぼご自分の理想に近いように整えておられるのでは?
ところで昔から、私の理想の女性像は、チロリン村とくるみの木のくるこちゃんです。文化的な家庭に育つ上品で優しくてピアノをひく女の子、
子どもにとってその頃はテレビの影響は大きかったですよね?
テレビの送り手が普通の家庭として描いている家庭像は、見ている子どもたちにとっては自分たちのリアルな環境よりひとつ、二つレベルの高い憧れの家庭像でした。
只今アメリカ時間6日の夜8時35分です。外は深々と雪が降っています。積もるでしょうかね。
ストレスはそれほど感じないのですが。でもいつも好きな時に言っている日本に行けないと言うのがストレスと言えばストレスでしょうか。1年以上家を空けることはないので心配です。鳥と言えば、カラスのキュウ―ちゃんはどうしていますか? 本当にこの年になったら、1年2年が大切なんですが。世界中からC国に損害賠償を要求してくれればいいですが。リーダー寅さんが売電となってこの先C国はのさばるでしょう。アメリカも心配だけど、日本は一体どうなるか。外相があのニタニタ茂木ジャーね。ニタニタカマラと良いせん行くかも。
でも紹介した夫婦、特に奥さんは私には身勝手としか言いようがない。身障者がどうのこうの言う前に私はこの奥さんを人間的に好きにはなれない。健常者の私(ボケを除いて)がこういうのも悪いとは思いますが、この奥さん、あまりにも人にやってもらうことに慣れ過ぎている。だから子供を産むなんてことも考えついた気がする。この子がもう少し成長してヤングケアラーとなってどのような生き方をするか気になります。
アホウドリさんも暇な時間、ユーチューブやらテレビにはまっているようですね。四肢欠損症の母親につぃおての動画も見ました。この人は生まれながらに両腕が方からなく、足の右足は付け根からなく、左足は付け根からすぐに足が出ている状態でした。でも高校ではチアリーダーチームでメンバーとして、できることをやってチームをサポートしたそうです。そして結婚し子供も産みました。ご主人は普通に働いているようで、日中は1人で子育てをやっています。おしめを変えたり、服を着せたり、料理をしたり。本当に自分一人でできることは何でもやって子育てをしているんです。偉いです。こういう人にはこのブログで書いたようなことを書こうなんては露ほどにも思いませんから。決してひとの気持ちもわからない意地悪ばあさんじゃありませんよ。ただ人を頼って、やってもらうことを当たり前と思うことがいやなだけです。
コメントありがとうございます。
私は日本の福祉には感謝しています。両親が介護でいろいろお世話になったので。私ももっと年を取ったら日本で介護を受けたい気がします。ちなみに健康保険も介護保険も利用したことがないですが、毎月払ていますよ。
私は今回のブログ、書こうか書かまいか迷ったんですが、問題点を定義する気で書きました。きっと私は意地悪ばあさんに思われるだろうけどとも感じましたが。
ダーティー・ハリーが言いました、❝人間たるもの、己の限界を知らなくっちゃ❞。私の好きな言葉の一つです。私は身障者は身障者らしく生きれとは絶対言いません。ただ己の限界を知らないと自分自身にも周りの人間にも迷惑が掛かると言っているだけなのです。でもこれは健常者に対しても言えることですが。❝生まれてきてよかったか、悪かったか❞、、はちょっと次元がずれている気がするのでコメントはやめておきます。私があえて言えば、自分の限界を知り、それを考慮し、健康で文化的な生活を営む権利を楽しもう!!、でしょうか。
これからもコメントお願いします。
ちなみに私のバックグラウンドはサイエンティストなので、ちょっと冷たい気がしたらお詫びします。