背中に火傷終了後しばらくは信次先生と話ましたが、君は近年ドイツとオランダで医師として転生しているので、自信を持って医療にに従事するようにと、もっぱら私に自身を付けさせるような事を言ってくれました。48歳で自分は死ぬと昔から公言していたが、彼は今48歳。しかし彼の顔の肌は光り輝いて綺麗で、とても死をまじかにした皮膚ではありませんでした。私はそのときすでに川崎の百合丘の救急病院で診療していた経験から、一番に患者の顔色すなわちその顔の皮膚を見ればその患者さんがいつ死にそうか分かるようになっていました。その皮膚を一番に見て病状を判断する癖が付いていたのです。その後事務局の友人と喫茶店に行きその感動をお互いしばし話した後、私は夕方巣鴨のカイロで電気治療を予約していたので、山手線です巣鴨に向かいました。
そこの治療所では結構効果があったので、私は電気治療の脊髄通電を時々受けていたのですが、いつもの電圧なのに背中が熱く痛く担当者に電流が強いようなので、電圧を落とすように頼みました。それでも熱いので、「もっと電流落として!」と怒ったように言うと相手も「いや!これで最低です。これ以上下げられません。」とぶっきらぼうに答えました。その後ホテルに帰って、風呂上りに何かまた背中がヒリヒリするので鏡で見てみると、私の背中全体が真っ赤になっていました。信次先生のパワーですでに治り、身体は赤ちゃんのように健康だったのです。
身体の病と憑依(魂身一体)心療内科では心身一如(しんしんいちじょ)と言う言葉があります。それは心と身体は二つで一つ分けがたいと言うことです。あるいは西洋医学的には心身相関と言います。心と身体は相互関係の下に流動的であるということです。心療内科での治療では、自分の症状が肉体の病気ではなく、心が原因で起こっていることがあると言うことに気が付けば、半分は治療できたようなものです。しかしそれは誰でも分かるのですが、自分のこととなると結構難しいことなのです。しかしそれができると病気の真の原因の精神療法が功を奏して病気が治ってくるのです。薬も検査も良いのですが、心の治療ができない限り根本的には病気は治らないと言うことです。もちろん心療内科や精神科ではそこまで立ち入りませんが、肉体に弱点が生じるとそこに憑依が起こりやすくなります。目に見える肉体以外に、ヨガで言うところのエーテル体やアストラル体といった量子力学的な肉体があってそこを通して憑依されます。もちろん精神のバランスがよくこれらの第二次三次肉体が健全であれば、肉体の局所が病んでいても憑依ができなくなりますが、逆に精神いや魂と言ったほうが良いかもしれませんが、魂に不調和があれば局所の憑依が起こりやすくなり、肉体的症状はますます悪くなってきます。逆に環境汚染などにより肉体全体が悪くなっても魂が病むということが起こってきます。ですから本当は「魂身一体]というのが真実なのです。
自宅のイチジク。
自宅のびわも豊作です。
庭に植えたクコも勢いが良い
ニュウドウ草も花も咲き取り時です。
農園の梅も収穫時期です。
桑の実も沢山なっています。クワの葉はαグルコシダーゼを阻害し糖の吸収を防ぎ糖尿病のクスリとなる。根には血圧効果作用があります。枇杷の種や梅の種はビタミン17があり、アミグダリンはアメリカではガンのレトリール治療で使われます。ニュウドウ草はご存知のように毒消し毒だしです。でも漢方では中薬なので長く多量には飲まないほうが良いでしょう。クコは実も葉も根も薬効がありますが、上薬で滋養強壮としても長く飲めます。
信次先生との2日目信次先生に会うことができた喜びの反面、私は自分が憑依されていたことにガッカリしましたが、しかしそのときすでに先に述べたように理解していたので、たとえ信次先生が憑依を取ってくれたとしても、まだ心根が変わっていないのでまた憑いてくるだろうし、自分で法を実践し精神がバランスを取り戻せば自分でとることが可能だし、それが自力信仰というものだと考え、あまり動揺はしませんでした。
次の帰る日にまた八起ビルに行きました。講演テープでも買って帰ろうと思っていたのです。事務所に上がると友人はいませんでしたが、何んとまた信次先生が来ていました。私はもうこれ以上貴重な信次先生の時間をととってはいけないと思い、なぜか上の階への階段を一人で上って行きました。そうしたら何んと今度は信次先生のほうが私を追いかけて階段を上ってきました。私は信次先生に誘われるままソファーに二人で対座して座りました。
「今どこで泊まっているの」
[浅草です」
「それなら、ここで泊まんなよ。寝るところは一杯あるからどこでも良いよ」と言いながら彼の視線が私の後ろに動いた。
そのフロワーは書斎のようで会議室のようで、奥行きがあり広々としていたが誰も人がいなかった。
そんな気さくな会話から始まり緊張感も無く、いまや50万人の信者を持つ教祖と言う感じも無く、イエス釈迦モーゼの上のエルランティとはとても感じられなかった。
「今度3月の研修会に出ませんか」
「大学から公立病に出向することになってるので参加できません」と残念そうに言うと、
「そうですか、今ここのビルの2Fにテナントでおじいちゃん先生が開業していますが、その後是非ここに入ってくれませんか」
信次先生が今年48歳で自分が死ぬと予言されていたが、そんな会話の内容で、あたかもそれは悪い冗談だったという思いでした。
「今すぐという分けに行かないなら、私の知っている病院に紹介するから、それまでそこにいて下さい」
私はそれに答える間もなくはやる心で信次先生に問いかけた。
「私はどれくらい修行をしたら先生のように病気を霊視して治すことが出来るようになりますか」ときいた。
「あと6年。胃カメラしなくてもカラーで胃の中が見れるようになるよ」と微笑みながら答えた。
「出向から帰ってきましたら、また上京します」と私も答えた。
そんな冗談のような話が続いた後私は信次先生と分かれて事務局に戻り予定の講演テープを買いかえろうとしました。
帰りに出口でまた信次先生に会ったので、
「今日は有難うございました」と会釈すると
「うん、遠慮しないでね」と言う一言が返ってきただけであった。
しかしそれも私には画期的な一言でした。私が長い間信次先生に会う事を遠慮して迷っていたからです。彼はその心を私の守護霊に聞いていたか、見通していたのです。私にはその思いやり言葉のほうが信次先生の病気を治したり金を吐き出したり台風を動かしたりするような数々の奇跡より優れた奇跡の力と感動しました。ほんとの奇跡は愛の力が無ければならないのだと悟りました。
話は少しそれますが、信次先生の神戸市での講演会の日、瀬戸内海を通って大きな台風が神戸を直撃してきました。こんな場合は台風を信次先生が吹き飛ばすと聞いていたので、興味を持ってみていました。まさか大きな自然現象を変える力までは無いだろうと追っていましたが、何んと神戸市の手前で中国地方に逆戻りしてしまいました。その代わり中国地方で6人の死者が出て複雑な気持ちにはなりましたが、
つづく
そこの治療所では結構効果があったので、私は電気治療の脊髄通電を時々受けていたのですが、いつもの電圧なのに背中が熱く痛く担当者に電流が強いようなので、電圧を落とすように頼みました。それでも熱いので、「もっと電流落として!」と怒ったように言うと相手も「いや!これで最低です。これ以上下げられません。」とぶっきらぼうに答えました。その後ホテルに帰って、風呂上りに何かまた背中がヒリヒリするので鏡で見てみると、私の背中全体が真っ赤になっていました。信次先生のパワーですでに治り、身体は赤ちゃんのように健康だったのです。
身体の病と憑依(魂身一体)心療内科では心身一如(しんしんいちじょ)と言う言葉があります。それは心と身体は二つで一つ分けがたいと言うことです。あるいは西洋医学的には心身相関と言います。心と身体は相互関係の下に流動的であるということです。心療内科での治療では、自分の症状が肉体の病気ではなく、心が原因で起こっていることがあると言うことに気が付けば、半分は治療できたようなものです。しかしそれは誰でも分かるのですが、自分のこととなると結構難しいことなのです。しかしそれができると病気の真の原因の精神療法が功を奏して病気が治ってくるのです。薬も検査も良いのですが、心の治療ができない限り根本的には病気は治らないと言うことです。もちろん心療内科や精神科ではそこまで立ち入りませんが、肉体に弱点が生じるとそこに憑依が起こりやすくなります。目に見える肉体以外に、ヨガで言うところのエーテル体やアストラル体といった量子力学的な肉体があってそこを通して憑依されます。もちろん精神のバランスがよくこれらの第二次三次肉体が健全であれば、肉体の局所が病んでいても憑依ができなくなりますが、逆に精神いや魂と言ったほうが良いかもしれませんが、魂に不調和があれば局所の憑依が起こりやすくなり、肉体的症状はますます悪くなってきます。逆に環境汚染などにより肉体全体が悪くなっても魂が病むということが起こってきます。ですから本当は「魂身一体]というのが真実なのです。
自宅のイチジク。
自宅のびわも豊作です。
庭に植えたクコも勢いが良い
ニュウドウ草も花も咲き取り時です。
農園の梅も収穫時期です。
桑の実も沢山なっています。クワの葉はαグルコシダーゼを阻害し糖の吸収を防ぎ糖尿病のクスリとなる。根には血圧効果作用があります。枇杷の種や梅の種はビタミン17があり、アミグダリンはアメリカではガンのレトリール治療で使われます。ニュウドウ草はご存知のように毒消し毒だしです。でも漢方では中薬なので長く多量には飲まないほうが良いでしょう。クコは実も葉も根も薬効がありますが、上薬で滋養強壮としても長く飲めます。
信次先生との2日目信次先生に会うことができた喜びの反面、私は自分が憑依されていたことにガッカリしましたが、しかしそのときすでに先に述べたように理解していたので、たとえ信次先生が憑依を取ってくれたとしても、まだ心根が変わっていないのでまた憑いてくるだろうし、自分で法を実践し精神がバランスを取り戻せば自分でとることが可能だし、それが自力信仰というものだと考え、あまり動揺はしませんでした。
次の帰る日にまた八起ビルに行きました。講演テープでも買って帰ろうと思っていたのです。事務所に上がると友人はいませんでしたが、何んとまた信次先生が来ていました。私はもうこれ以上貴重な信次先生の時間をととってはいけないと思い、なぜか上の階への階段を一人で上って行きました。そうしたら何んと今度は信次先生のほうが私を追いかけて階段を上ってきました。私は信次先生に誘われるままソファーに二人で対座して座りました。
「今どこで泊まっているの」
[浅草です」
「それなら、ここで泊まんなよ。寝るところは一杯あるからどこでも良いよ」と言いながら彼の視線が私の後ろに動いた。
そのフロワーは書斎のようで会議室のようで、奥行きがあり広々としていたが誰も人がいなかった。
そんな気さくな会話から始まり緊張感も無く、いまや50万人の信者を持つ教祖と言う感じも無く、イエス釈迦モーゼの上のエルランティとはとても感じられなかった。
「今度3月の研修会に出ませんか」
「大学から公立病に出向することになってるので参加できません」と残念そうに言うと、
「そうですか、今ここのビルの2Fにテナントでおじいちゃん先生が開業していますが、その後是非ここに入ってくれませんか」
信次先生が今年48歳で自分が死ぬと予言されていたが、そんな会話の内容で、あたかもそれは悪い冗談だったという思いでした。
「今すぐという分けに行かないなら、私の知っている病院に紹介するから、それまでそこにいて下さい」
私はそれに答える間もなくはやる心で信次先生に問いかけた。
「私はどれくらい修行をしたら先生のように病気を霊視して治すことが出来るようになりますか」ときいた。
「あと6年。胃カメラしなくてもカラーで胃の中が見れるようになるよ」と微笑みながら答えた。
「出向から帰ってきましたら、また上京します」と私も答えた。
そんな冗談のような話が続いた後私は信次先生と分かれて事務局に戻り予定の講演テープを買いかえろうとしました。
帰りに出口でまた信次先生に会ったので、
「今日は有難うございました」と会釈すると
「うん、遠慮しないでね」と言う一言が返ってきただけであった。
しかしそれも私には画期的な一言でした。私が長い間信次先生に会う事を遠慮して迷っていたからです。彼はその心を私の守護霊に聞いていたか、見通していたのです。私にはその思いやり言葉のほうが信次先生の病気を治したり金を吐き出したり台風を動かしたりするような数々の奇跡より優れた奇跡の力と感動しました。ほんとの奇跡は愛の力が無ければならないのだと悟りました。
話は少しそれますが、信次先生の神戸市での講演会の日、瀬戸内海を通って大きな台風が神戸を直撃してきました。こんな場合は台風を信次先生が吹き飛ばすと聞いていたので、興味を持ってみていました。まさか大きな自然現象を変える力までは無いだろうと追っていましたが、何んと神戸市の手前で中国地方に逆戻りしてしまいました。その代わり中国地方で6人の死者が出て複雑な気持ちにはなりましたが、
つづく