これは温泉水の自販機の横にいる掲示板に張っている説明書の一つです。
帆柱石郷土研究家で校長先生であった筒井氏が書いた古門の歴史書によると、熊井温泉近辺(古門)に神功皇后の軍艦の帆柱が石になった帆柱石というのがあったらしい。おおよそ10メーターなのでかなりでかい船だったことが分かります。後で述べるが神功皇后は石に関する話がとても多い。あるとき自販機の温泉水を汲みに来たお客がお腹にラジウム石らしきものを巻いていて、腕にも石のリングがあり、彼がこの文章を読んで「ラドン温泉なら神功皇后が出てきても可笑しくない」と家内に言ったとの事であります。私は神功皇后については良く知っているつもりでしたが、鎮懐石については恥ずかしくも知りませんでした。早速インターネットで神功皇后と石についてググリました。鎮懐石は月延石とも言って神功皇后が三韓征伐のときに石を腹に巻いて出産を遅らせ、勝利して韓国から帰り15ヵ月後に応神天皇を生んだという話です。首輪や腕輪は分かりますが、妊婦が何キロかの石を腹にまいて戦うことは考えられません。しかし身の回りか船室に石を置いていたことは十分考えられます。また神功皇后が神との交信にその石が必要だったからかもしれません。また妊婦である自分の精神的なイライラ等の体調を整えるために、自販機を汲みに来たお客が腹に巻いているような石を使っていたのかもしれません。彼はそのことを想像し、ここにはラドン温泉があるからラジウム石もあると考えたのでしょう。
脅威なる洞窟の石の力丁度その頃、長崎から漢方治療のためある患者さんが来ました。洞窟浴に泊まりたいと言うので、ムカデに噛まれても知りませんよというと「自分はテント一つで世界を回った」というので許可しました。「明朝色々検査しますが、あなた相当悪いと思いますよ」と予言して明日の朝診療することにしました。プライバシーのため詳しく書けませんが、何んと早朝の診察では、彼の症状および理学検査がすでに治っていたのです。これには患者も私も驚いたというところで取り合えず終わります。
全身性尋常性乾癬そんなことで、温泉水を汲みに来た鎮懐石の男性と、他県からの患者さんの件と、インターネットの検索で、99才の母親の部屋に洞窟の石を3個持って行きました。と言うのは母親の足にあった尋常性乾癬が全身性となり、痒くてたまらず大学病院の皮膚科に入院させることにしていました。皮膚科学会で受診できず1週間後に受診の予定でしたが、石の効果を期待してラジウム放射線のできるだけ強いのを選りすぐり母親の周りに置きました。そしたら何んとか、ゆいかゆいと裸にまでなって訴えていた症状が消えたのです。1週間後には実際にかゆみも皮疹も改善しました。今では足に少し残して毎日の軟膏塗りも終了しました。
入院予定前に、全身に広がった尋常性乾癬、下の写真は1週間後
まず主病変の炎症が鎮火
せなかの赤みも取れる
ラドン洞窟の石を3個置いた1週間後の様子
なるべくラジウム放射線の強いのを選んで母親のベットの下におきました。
この強烈そうな石を部屋の真ん中に置きました。母親はこれを「お石様」と呼んでいます。>
お石(医師)様皮膚科医も専門医もダメ、もちろん私にも治せない。ステロイドも漢方もダメ。結局お石様が治してくれました。今でも主病変の足の皮膚炎はありますが、もはや全身にかゆみはありません。神功皇后は鎮懐石を身につけました。彼女の髪につけている櫛は石櫛です。薬石無効という言葉がありますが、それはクスリや石が効かないということです。この場合の石は石針です。古代医学では針灸の針は石針だったのです。要するに石には人間の気の流れを調節する力があるのです。薬と言えば皆さん飲みたがりますが、服薬という意味は薬を飲むことではありません。それは本来、薬を服につけるもしくは身に付けるという事なのです。漢字は紀元前に作られました。ですから紀元前の古代医学では薬石を身につけたり身の回りにおいて治療していたことから、服薬という言葉が生まれたと考えるのは不自然ではありません。
それでは次回最終章でグローバルな女王、神医、神功皇后が4世紀に滋賀、北部九州を中心に東は関東、西は帯方郡までを何故制覇することが出来たかを日本の古代医学の観点から述べてゆきたいと思います。