旧石川組製糸西洋館 (国登録有形文化財)
大正12年(1923)、石川製糸の迎賓館として建てられた西洋館。煉瓦で造られている外壁は、眺めていると、現代から大正時代にタイムスリップして様な感覚に陥るほど、威風堂々としています。 (説明文より)
石川組製糸と西洋館
石川組製糸は、黒須出身の実業家・石川幾太郎が明治26年(1893)に起こした製糸会社です。創業当初は手工業でしたが、すぐに蒸気力を利用した機械を導入し、好景気にも支えられて、瞬く間に経営を拡大しました。昭和の始めには県内外を合わせると9つの工場を持つ、全国有数の会社に成長しています。
石川組製糸では、石川一族がキリスト教の信者であったことから、経営方針だけでなく従業員の教育にもその影響を見ることができます。たとえば工女のために家庭夜学校や日曜学校を開設しています。また、旧豊岡小学校の雨天体操場や日本キリスト教団武蔵豊岡協会の教会堂の建設に当っても建設費等を寄付するなど、地域の文化の振興にも貢献していました。
石川組製糸は、主に外国と取引していたため、商談で外国人商人を招く機会がありました。このため幾太郎は、外国人が来訪したときの迎賓館として西洋館を建設することにしました。
西洋館は、設計を東京帝国大学(現在の東京大学)で西洋建築を学んだ室岡惣七が、建築を川越まつりの山車を製作したことのある宮大工の関根平蔵が、それぞれ担当しています。
建物の構造は、本館・別館とも木造で、外観を化粧煉瓦(タイル)貼で統一しています。その一方で屋根は本館が複合ヒップゲーブル(半切妻造)で洋瓦葺、別館は寄棟造の桟瓦葺として変化をつけています。
建築学的には、外観より内部が優れていると言われています。戦後に進駐軍に接取された際に大きく改造を受けていますが、全体的に当時の様子を今に残しています。館内の特徴としては、天井や床周りの寄木、照明器具が部屋ごとに違った意匠を持つことにあります。また、玄関ホールの大理石製暖炉、一木で作られた階段の手すり、絹を使った壁紙などは製糸業で蓄財した富の大きさを物語っています。
石川組製糸は、関東大震災や昭和恐慌の影響等により経営不振に陥って、昭和12年に解散しました。 (説明文より)
この本棚の右側の文字は、中国の歴史書『書経』から取られています。右から『八音克諧 夢想奪倫 神人以和(はちおんこくかい むそうだつりん しんじんいわ)』と読み、『物事がよく調和し、互いに関係を乱さなければ、自然と人は一つになれる。』という意味があります。
また、左側には本棚の由来が記されています。これによると、本棚は大正15年11月下旬、69歳の記念に製作されたもので、文字は東京の儒家・亀田英(かめだ あずさ)の筆になります。
堅固な作りでありながら、桐の板材に文字を彫り残す(陽刻)などの精緻さも見られます。 (説明文より)
設計・建築 室岡惣七 ・ 関根平蔵
建築年月日 大正10年7月7日(上棟) ・大正11年~12年(竣工)
昨年の公開日に行って来ました。年に何回かの公開日があり今年の公開日はまだ決まっていないようですが入間市のHPに→