浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

人生はあっと言う間です

2023-09-10 21:38:33 | 日記

今日のテーマは、幸せに生きることを、邪魔をしているのは、誰なのか?です。それは、自分の心です。多くの方は、自分が幸せに生きられないのを、周りのせい、他人のせいだと思っています。それは、私も完全に否定はしませんが、やはり、自分以外の何者でもありません。他人のせいにした方が楽です。あいつのせいだ、こいつのせいだと、勝手に妄想しているのが私たちの心です。ここでいう幸せに生きるとは、自分の思い描いたとおりの生き方、ストレスのない生き方です。でも、これも、妄想です。そんな人生などありません。でも、本当に辛いなら、試してみてください、よく、他人を変えることは出来ないと言われますが、争うことを覚悟で、自分の思いをぶつけてみると、案外、上手くいくこともあります。もちろん、相手を怒らせ、嫌われる可能性が高いですが、嫌な相手に気に入られたらそれこそ悲劇です。どんどん、相手のペースで生きなければならなくなります。相手の本心は、自分が思っていたのとはまったく違っていたりします。そもそも、相手の気持ちは、見えないのですから、自分の想像でしかありません。自分の人生を、他人との争いごとをさけ、周りに気をつかい、自分が我慢して生きるのは、もったいないです。私の人生には限りがあるのです。一秒たりとも、無駄には出来ません。自分の人生を生きましょう、他人に合わせる生き方は今すぐやめましょう。人生は短いものです、周りや他人に邪魔をされ、無駄な時間を過ごしている暇などないはずです。


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亡き方に同情はいらないです

2023-09-09 16:57:15 | 日記
本日も、コロナ禍前の土曜日に戻ったような、忙しい1日でした。最近は、金箔を貼った繰り出し位牌の需要は、かなり、減りました。昔は、多かったのですが。



亡き方に、同情はいらない、私はそう思っています。同情とは、辞書で調べてみると、「他人の気持ち、苦悩を自分のことのように親身になって共に感じること。可哀そうに思う事、あわれみ」とあります。亡き方を、可哀想だと思うかもしれませんが、浄土真宗の教えでは、亡き方は、可哀想な方ではありません。むしろ、仏様の世界からみれば、この世に生きる方を、同情するのではないかと思います。同情されるご気分はいかがですか、嬉しいですか?嬉しいはずがないのです。仏様も同じだと思います。昔、ベストセラーになった、『大往生』永六輔著の中に、「不思議なものだね、友達が死ぬと、どこか楽しいんだよね」「甲子園と同じなんだよ。生き残るということは勝ち残ることでもあるからね。俺は勝ったという気持ちで、それで楽しいんじゃないかな」ただ、高校野球と違って、このゲームに優勝ということはない。「同世代の仲間が亡くなる度に、残り時間を考えますね。そうするとどうしてもあせります」(岩波新書68・69P)に、出てくるんですが、永さんにしか書けない、人間の本音をズバリと書いております。もう本が世に出て30年以上が経ちます。友人が、死んで悲しい反面、俺はあいつより長生きした勝ったぞと心のどこかで思うのだけれども、いつか自分にもおとずれること、高校野球と違って優勝はない、勝ち続けることはないのです。私は、ラジオが好きなので、よく永さんの番組を聴いておりました。人の心をひきつける天才的な方でした。昔、一度だけ、伊東市の宝専寺さんで、生の永さんの法話をお聞きした時があったのですが、こんな、話しの面白い方が世の中にいるんだろうかと思いました。この本の最後の方に、永さんの書かれた詩が載っております。「世の中が平和でも 戦争がなくても 人は死にます 必ず死にます その時に、生まれてきてよかった 生きてきてよかったと思いながら死ぬことが出来るでしょうか そう思って死ぬことを大往生といいます」。往生とは、往き生まれるという意味の仏教語です。浄土真宗では、阿弥陀如来のおはたらきで、お浄土に世界に往き生まれさせていただける教えです。往生とは、とても、大切なお言葉です。『大往生』の本が、流行した時、往生には、大も小もないなどと、私は、ちょっとした批判を、法話でしてしまいました、今思えばお恥ずかしいかぎりです。寺院のお生まれであった永さんは、そんなこと百も承知で、わざと、「大往生」という言葉を使われて、今でいえば、バスらせようと(多くの人の注目を集めること)思われたのかと思います。せっかく、長生きして、幸せを感じず、不平不満ばかりを口にするなら、それは、大往生ではないと書かれています。亡き方に、同情するより、今までありがとうと感謝の気持ちを持ってあげて欲しいと思います。

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もう季節は秋か・・・

2023-09-07 20:51:30 | 日記
山には、トリカブトが咲いてました。

今日は、猛暑ではなく、涼しい一日でした。今日は、久しぶりに秋ミョウガをとりました。夏ミョウガに比べて、太いのが特徴です。でも、私的には、涼しくなるのはありがたいのですが、精神的には、夏の方が調子が良いのです。季節の変わり目は、どうも、精神的に不安定になるのです。特に、秋から冬へと変わる季節が一番苦手です。そんな時は、出来るだけ、身体を動かすことにしています。一番身近で、手軽なのが、掃除です。ほんとは、山に行くのが一番良いのですが、毎日、行くわけにはいきません。

さて、誠実な人、真面目な人、優しい人、仏様のような人と言われる方は、世の中にはたくさんいらっしゃいます。日本人は、特に多いのです。私は、ご葬儀をご依頼をされた際、ご法名の字を選ぶ際、ご家族にお聞きしますと、誠実な方、真面目な方、家族想いの方、自分を犠牲にしてまでも、家族に尽くしてくれた、大事にしてくれた、そういうお人柄をお聞きします。そういうお人柄だったからこそ、今の時代、葬儀をされない方が多い中でも、通夜・葬儀を勤めてあげたいと家族は思うと思います。浄土真宗では、救われる条件はありません、生き方は問われません。誠実な人になるべき、真面目にはたらくべき、親孝行すべき、良いことをすべき、悪いことはしてはいけない、嘘をついてはいけない。この〇〇すべきという事を、守れる方は救うという教えではないのです。真面目に生きたいけれど、出来ない、誠実に生きたいけど、出来ない。良いことをして、悪いことをしたくないけど出来ない。親孝行したいけど、出来ない。世の為、人の為に、役に立つ人間になりたいけどなれない。人に迷惑かけたくないけど、かけてしまう。そんな人間を、救いの目当てとしているのが、阿弥陀如来です。私は、昨日が誕生日でしたので、55歳になりました。私は、若いころ、思っていました。大人というのは、立派で誠実で、なんでも知っていている、わがままを言ったりしない。ところが、自分が、大人に成ってみたら、まったく、そうなっていないのです。相変わらず、思い通りにならないと腹が立ち、思いがけないことが起こると、あたふたして、冷静でいられない。プライドばかりは高いのに、少しのことで、悩み不安になり、心療内科に通う。こんなんで、よく、僧侶がつとまるなと思うのですが、何故か、つとまっています。たぶん、この先、60代、70代になっても、成長していない可能性が高いです。阿弥陀如来の前では、大人も子供も僧侶も同じ、救いたい、幸せになって欲しいと願われている存在です。日本人は、幸せを感じていない方が多いそうです。日本という国は、住みやすいし、誠に有難い国です。でも、何故か、幸福度は低いとの調査がよく紹介されています。皆さん、忘れないでください、私たちは、限りある時間を生きていることを、明日も生きている保証はないのです。思い出してください、今、この時も、愛する方とお別れをしている方が世の中には、たくさんいらっしゃいます。当たり前の反対は有難いです。今日も一日、感謝してお休みになってください。その積み重ねが、幸せな人生へと繋がっていくと思います。

皆さまの心❤️震える毎日を願っております。


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お寺とお布施

2023-09-05 20:30:00 | 日記

昨日、毎月の税理士さんと会計担当の妻との打ち合わせが、法話会の後、ありました。私は、会計は妻に任せているので、立ち合いませんでしたが、今年の8月は、法徳寺では、過去最高益を更新したそうで、大変、有難いことです。私としては、どうりで、忙しい訳だと思いました。ここで、住職としては、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、悩むところでもあります。お寺が忙しいということは、葬儀が多かった、亡くなった方が多かったということです。だから、私は、忙しいことは、嬉しいことではないのです。嬉しいよりも、自分の体調を万全にし、しっかりと勤めないといけないと緊張するのです。お布施を頂くのは、お寺を維持し、良い環境を整えるために使わせて頂いております。お盆が終わった後も、お寺の塀の耐震工事を頂いた浄財で出来ました。本当に、有難いことです。もし、歩行者や近隣の方々にケガをさせてしまったら、大変なことになるため、工事を行いました。私が住職になるとき、今後一切の寄付金は求めない経営をすると決めています。お布施は、宗教法人への収入いわば、会社のお金です。住職のポケットマネーではありませんので、どうか、お間違いのないようにしてください。頂いたお布施は、私のお金ではないのです。お預かりしたお布施を、私が自分のポケットマネーにしたら、横領になります。お布施は、すべて、お寺の為に使わせて頂いております。私の給料は、お寺から、毎月、一定額、頂いております、そこから、ちゃんと納税義務もはたしております。お寺の住職は、経営者でもあります。お寺をどう経営していくか、それは、住職が全責任を負っています。住職になって12年、私は、いつも、考えています。どうしたら、必要とされるお寺になれるかです。でも、思い出しました、私の先生から、「住職として頑張るのはいいが、阿弥陀如来様の邪魔はするなよ」と言われたのを思い出しました。経営者の前に宗教者でなくてはいけない、阿弥陀如来の救いを正確にお伝えすれば、お金は自然とついてくるものです。しかし、もう一人のご住職が発言されたのは、門信徒の方々が一番、知りたがっているのは、浄土真宗の教義よりも、お寺とお付き合いするといくらかかるかです。これを、明瞭にしないといくら素晴らしい教義でも、門信徒さんは、増えません。例えば、皆さん、いくらかかるか、分からない、工事をお願い出来ますか?と、どんな工事でも、見積もりをみないことには、不安でお願いなど出来ません。私は、その発言を聞いて、目が覚める思いが致しました。多くの僧侶が出席されていた会議の中での発言でした。私は、その住職に、拍手を送りたかったのですが、みんな、その後、口にを閉ざしたままでした。


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本日はありがとうございました

2023-09-04 21:05:00 | 日記
本日の法話会、ご参加いただきありがとうございました。今日は、久しぶりに、副住職が法話を勤めさせていただきましたが、目の前に、私の父、前住職が座っているので、やりにくそうでした。私もいまだに、同じです。
後から、ああした方が良い、こうした方が良いと言われると辛い。父の法話の感想は、的確で🎯を得ていて腹が立つのです。だったら、自分でやってみろ!と言いたくなるのですが、そこは、グッと堪えて、分かりましたと聞く事にしています、下手に反論すると大変な事になります。元高校の校長先生だけに、いまだに、口では勝てません。人の話しには、何故か、注文付けたくなるものです。自分の事は、棚に上げて。皆さまもそうでないですか?人前で、話しをするのは、難しいです。もう、僧侶歴30年以上なのに、いまだに苦手です。












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