浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

永代供養墓への誤解

2015-12-01 17:24:09 | お知らせ

永代供養墓に関して、このお墓は、身寄りのない方や、後継者のいない方のためのお墓ですよね?

とご質問をお受けします。

私は、けっして、そうは思っておりませんし、実際、男のお子さん、男のお孫さんがいらっしゃる方でも

選んで頂いております。

法徳寺の永代供養墓の扉には、倶会一処(くえいっしょ)と記されております。

阿弥陀経というお経に出てくるお言葉で、阿弥陀如来様のお浄土で、共に一つ処で出会うという

意味です。阿弥陀様は、全ての生きとし生けるものを、お浄土へお救い下さいます。

家族単位ではなく、永代供養墓に納骨されているすべての方が、同じお浄土に出会い、仲良く暮らしています。

永代供養墓は、浄土真宗の教えに、まさに、ぴったりなのです。

また、墓石に刻む文字は、●●家先祖代々倶会一処 ●●年●月●日 納骨(最初に納骨した日時) と刻みことが出来ます。

それは、法徳寺永代供養墓が、 ●●年●月●日に●●家お墓に成りましたという意味で刻みます。以後、●●家の皆さんは誰でも

入れますよということです。

浄土真宗の教えに、賛同してくださる方には、是非、ご検討頂きたいと思います。


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ふる里

2015-12-01 17:17:57 | 日記



今日は、静岡の裾野市にあります。
手作りまんじゅう ふる里さんに行きました。本当に美味しいですよ。
亡くなった母が好きで、買って帰ると喜んでくれたのを思い出します。
父が、母のご仏前に供えてくれました。

昔読んだ、北原照久さんの書かれた新聞記事に

お母様が亡くなり、大変な悲しみであったが、なぜか、葬儀でも泣けなかった。

ある時、仕事で、お店の前を通りかかった時、ふと、いつも、このお店の商品をお土産に

買っていくと、母が喜んでくれたことを、思い出し、もう、あの母の笑顔を見ることが出来ないのかと

思うと、店先で、人目もはばからず号泣してしまったということが書かれてあり、私も思い出しました。


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12月の法話

2015-12-01 09:12:18 | 法話
心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり 

                        (蓮如聖人御一代記聞書) 

蓮如上人肖像画 

  

 私は趣味でスポーツ自転車に乗っており、始めてからかれこれ22年になります。

何とか大きな事故もなくこの年まで走ってきましたが、まだまだ走り方や漕ぎ方、

カーブの曲がり方など分からない事や、初めて発見することが多くあります。 

 仏教の勉強も同じです。若い時勉強をしていたころは、大体のことはつかめたと

思っていましたが、今となっては自分の知識の少なさに恥ずかしくなるばかりです。

浄土真宗の知識もさることながら、特に他宗派や他宗教についての知識の少なさ

には本当に困っています。 

 浄土真宗でいう信心についても、同じようなことが言えるのではないかと思います。

阿弥陀さまの教えを疑いなく信じることを信心というのだから、私はもう信心を得た

のだ。と思うのは浅はかな考えに思えます。信仰が深まれば深まるほど、自分の

心の愚かさ(煩悩)を自覚して、揺るぎない信心が疑われてくるのではないで

しょうか。聞法や読経を繰り返していても、時と場合によっては悪事を働いてしまう。

そんな愚かな人間であっても、必ず救うと誓ってくださっている方が阿弥陀さまです。

信仰と挫折を繰り返しながらも、ただただ仏の教えを聞き、時には周りの方や

ご先祖に感謝をして暮らしている。それだけでいいのだと阿弥陀さまはおっしゃって

います。 

 親鸞聖人自身も自らを「愚禿」(頭を剃った愚か者の意)と称し、見た目は

僧侶であっても肉食妻帯などををする、煩悩具足の凡夫であると自覚していました。

蓮如上人は、そのような崇高な精神の持ち主である親鸞を尊敬していたからこそ、

冒頭の言葉を残したのではないでしょうか。 
12月2日 13時半より
今年最後の法話会がございます。
法話は、住職 伊東英幸が担当します。
どなたでもご参加出来ます。
参加費等は、特にございません。
  

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