人生には、前半と後半があるのであれば、私も後半にさしかかっております。本当は、この世は、諸行無常ですから、前半と後半なんてことは、仏教ではいいません。明日の保証がない、いのちですから、いつでも、今が臨終なのです。ですから、明日も生きていれば、有難いことなのです。私は、人生100年時代と言われる今日、人生の前半と後半でどちらが、幸せが良いのかと言えば、絶対、後半の方が良いと思います。「終わりよければすべて良し」という言葉があるとおりです。皆様の人生が、今までの苦労が、報われる人生の後半になってほしいと願います。その点、一般的に、男性よりも女性は、凄いと関心させられるのは、知らない方とも、すぐに、仲良くなれたりする能力があります。私は、小さい頃から、そういうのが大の苦手です。今も、知らない方に、話しかけるのは極めて、勇気がいります。人生の後半を楽しく生きるには、損得勘定抜きの友人は不可欠です。一人が好きな方も多いとは思いますが、それでも、誰かとインターネット繋がるだけでも良いのです、繋がっているだけで、幸せは倍増です。趣味も大事です、家庭菜園も楽しいです、山登りも楽しいです、バイクに乗り始めるのも良いです、お金に余裕がある方は、思い切って、高級スポーツカーを買うのも良いと思います。人生の後半を是非幸せに暮らして欲しいと思います。あの世には、お金は持っていけません、残せば、争いの元です。でも、そうは言っても、自分が後、何年生きるか分からないですから、施設に入るための資金のためとか考えると、無駄にお金は使えませんね。私もそのお気持ちは、大変よくわかります。でも、将来の心配するのが、一番、いのちを短くする元です。私も、自分で、何か、不安になったりするとき、急に、身体の痛みが出たり、お腹が痛くなったり、自分の体が収縮するような感じに見舞われます。不安は、身体に負荷をかけているんだと実感します。今までどんなに苦労が多くても、今からでも、人生の後半を楽しんで下さい。そして、読書も大事です。健康寿命を延ばすのは、運動よりも読書です。私の90歳の父は、毎日、新聞3紙すべてに目を通し、何か、勉強しています。だから、頭はしっかりしています。運動をやりすぎて体を壊す方はたくさんいらっしゃいます。読書をし過ぎて体を壊す方はいません、目には、負担があると思いますが。人生の最期に、もっと、はたらけばよかったと思う方は一人もいません。逆に、もっと、自分の限られた時間を楽しむべきだったと思う方が多いと思います。生涯、仕事が生きがいという生き方もあるとは思いますが、それでも、仕事と遊び、良いバランスが大事ではないでしょうか。私も、定年がないので、働く気と体が健康であれば、一生はたらけます。でも、私は、60歳過ぎたらさっさと、息子に住職を代わってもらおうと思っています。もう一つ、人生の後半は、孫と楽しもうと考えて、期待するのは止めておいたほうが良いです。孫は、自分の子供ではありません。孫を自分の子供と勘違いして、思い通りにしようなどと考えると不幸になります。子供さん夫婦には、子供さん夫婦なりの人生があります。自分の幸せを、他人に頼るのは止めた方が良いのです。そして、子供が出来れば、家庭の主導権は、奥様が握ります。特に、息子さんは、奥さんのご両親と仲良くする傾向があります。その方が上手くいくからです。息子さんは、婿に出したというくらいに思っておかないと腹が立つものです。自分の幸せは、自分でつかむしかありません。その為には、50代から準備を始める方が良いと思います。皆さん、人生の後半について、住職として申し上げたいのは、ここからが本番です。無宗教という方であっても、「死んだらどうなるんだろうか?」と、一度も考えたことはない、という方はいらっしゃらないと思います。でも、皆さん、なるべく、考えないようにしているのです、考えても、自分では、答えが出ないからです。多くの方が、「死んだら終わり」と思っているのかもしれませんが、世界宗教と呼ばれる多くの信者を持つ宗教では、そんなことを言う宗教はありません。その救われる方法は、さまざまですが、もっとも、確実なのは、阿弥陀如来の救いしかありません。なぜなら、既に、私を、浄土に救うと呼びかけて下さっているのです。私が、お願いする前に、既に、阿弥陀如来の方から救いを呼びかけてくださっています。しかし、勿体ないことに、阿弥陀如来のおはたらきの中にあることを、知らない方がほとんどです。人生の後半を、後悔なく生きるには、どうしても、この死んだらどうなるんだという、大問題を解決しないかぎりは、楽しむことは不可能です。どんなに、心の強い方でも、いざ、健康診断で重大な病気を宣告されたらどうでしょうか、医学が進歩している今、心配ないことの方が多いとは思いますが、それでも、その瞬間、人生は真っ暗闇に堕とされます。昨日まで、楽しい人生だったのに、それは、死に捕まったのです。何をしても楽しくありません。でも、阿弥陀如来に出会った方は、同じ、死に捕まっても、それまでの人生に感謝をし、そして、これからの人生を、ますます、お浄土にまいらせていただける人生と転換されるのです、人生に悔いなしと言えるのは、阿弥陀如来に出会うか、それとも、出会えないかで決まるのです。
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