今日も猛暑の一日でした。お盆が終わっても、ご法事や葬儀が続き、まだ、何となくお盆が続いているような感じでございます、今日も有難いことに、法事が四件ございました、終わった後は、まだまだ、終わらないお盆の事務仕事です。疲れたので、夕方にはやめて、明日の午前中で終わらそうと思います。夕方、何気なく、本願寺新報8月1日号に目を通しておりましたら、とあるお寺に訪ねてくる高齢のご門徒さんたちが、老僧(ご院主さん)にぽろりとこぼした老いの悩みや死の不安をつづった文章が紹介されていました。
某月某日「ご院主さん、今日は、嫁はんの七回忌のおつとめ、お願いにあがりました。嫁はんがおらんようになって六年、まだそこいらにおるような気がします。廊下のすみっこにきちんと並べてある一輪ざしを目にするたんびに、ああ、もうおれへんのやなぁ、と涙がでます。嫁はんは花が大好きでした。それも、そこらの道端に生えてるような、名前も知らんような花を・・・。摘んできた花に、なんや話しかけながら、一輪ざしに生けとりました。わたしは、知らん顔しとりましたが、あの時、一緒に花に向きおうておったら、もうちょっと嫁はんの心のうちに寄りそえてやれたのにと思います。先に死んだらあかんぞ、と言いましたら、”あんなみたいな偏屈残して、先に往けますかいな”と笑うとりましたが、世の中、思い通りにいきませんな。ほかのひとのことは知りませんが、85歳になって、男がひとり残されたら、どうもなりません、ほんま」
もうすぐ、七回忌、六年の歳月が流れても、今も奥様が大切にしていた一輪ざしを見るたびに、「ああしてあげればよかった、こうしてあげれな良かった」と思う、心情がつづられていました。夫婦は、お互い、元気でいるときは、一緒にいることが当たり前、特に、感謝することもなく過ごしています。逆に、つい、喧嘩してしまうことの方が多いのかもしれません。昔、ご主人を亡くされた奥様から、街を、夫婦仲良く歩く他人の姿を見ると、とても、寂しい気持ちになり、うらやましくなると言われました。主人が元気でいるときは、特に、仲が良くもなかったのに、どうしてなのでしょうかと言われました。今思えば、あの時、もっと、出かけたり、旅行に行ったりすれば良かったと思うそうです。人生は思い通りいきません。家族がお互い元気で暮らし、一緒に笑ったり、泣いたり、喧嘩をしたり出来る日常は有難い日々なのですねぇ。大切なものを失ってみたいと分からないのが人間の悲しさですねぇ。私も他人事ではありません。