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人間、誰しも褒められれば嬉しいし、悪口をいられれば腹が立ちます。私たちは、言葉の世界に生きていますから、言葉によって毎日、翻弄されています。しかし、言葉、全てを受け止めていたら、心が持ちません。時には聞き流す、すべを身に付けたいものであります。浄土真宗では、阿弥陀如来の救いを聞くことを、とても大切にしています。私は、一生懸命聞かなければ救われない、何度も聞かなければ救われない。ちゃんと、救いを記憶しなければだめだ。有り難いという気持ちを持ち続けなければダメだ。そう思い、法話を聞く時は、一生懸命メモをとっていました。ですが、そうではなかったのであります。阿弥陀如来の救いは、聞くことが条件では無いのです。聞くより、お助けが先であります。私が一生懸命、聞かなければ救われないという事は無いのです。聞き流していれば良いのであります。しっかり聞いて、しっかり受け止めなければならないのではありません。阿弥陀如来の救いは、既に完成されているのを聞かせていただくのですから、聞く事は条件ではありません。しかし、聞かなければ、救われたことをわかりませんから、法話を聞くことは大事であります。他人からの言葉も、全部受け止めず、聞き流していればそれで良いのです。他人から、どう思われようが関係ない位に思ってて、ちょうど良いのです。私は、仏教から、それを学ばせていただいています。すべての相手の言葉を受け止めすぎなのです。だから、喧嘩にもなるし、メンタルもおかしくなるのは当たり前であります。いい加減でよく、聞いているふりする
のも、自分を守るためには必要であります。もちろん、時と場合によりますが。