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カンボジアを旅行中です。
年に1回、カンボジアの貧しい子どもたちを集めて英語を教育する授業料無料の学校を訪れています。
学校を訪問する毎にアンコールワットを見学、すでに4回きていますが、今回は、カンボジアの秘境、タイとの国境近く、紛争の地「プレアビフィア寺院」まで足を伸ばしました。
アンコールワットのあるシェムリアップから車で3時間です。
プレアビフィア寺院は9世紀末にクメール人が断崖絶壁の上に作ったヒンズー教の寺院です。
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ここは歴史的にタイとカンボジアの国境に位置する微妙な場所です。
この地域の歴史を辿ってみましょう。
1431年、タイは強大な力を誇ったクメール帝国を撃破、陥落させ、この地をタイ領としました。
1860年代、カンボジアはフランス領となり、1904年にシャム王国(現在のタイ)はフランスにこの地一帯を割譲しました。
その後、
1940年にフランスとタイの間にインドシナ紛争が起きます。
ここに日本も一枚かんで、1941年東京条約により、停戦。プレアビフィビア寺院周辺はタイに帰属することになります。
第2次世界大戦後は、この寺院は続けてタイに所属、しかし、カンボジアは1959年、タイとの国交を断絶、国際司法裁判所に寺院の帰属を提訴します。
1962年国際司法裁判所はこの地をカンボジアの領土と認めますが、その後もタイとカンボジアの間では領土をめぐり、トラブルが続出します。
2008年、寺院は世界遺産に登録されますが、その後2011年、タイとカンボジアの軍隊が衝突、多くの死傷者を出します。
2013年、改めて国際司法裁判所はこの地をカンボジアのものと認め、領有権問題はひとまず決着となり、
ここ数年で、やっと観光客が入れるようになったということです。
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カンボジア軍の塹壕跡 ↑
カンボジアの兵士の暮らした小屋 ↓
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すぐ先は地雷いっぱいの国境。今でも近寄ることはできません。
そしてその向こうがタイです。
戦争を身近に感じます。
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長い長い参道。
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寺院
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行き詰まりは断崖絶壁です。
確かにここは「世界遺産」だなあ、とその作りと壮大さに圧倒されます。
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国際司法裁判所の判断
世界遺産への登録、
600年にわたる戦争はやっと終わりを告げました。
ここには観光客が年々やってくるようになり、地元もだんだんと活気がついてきたような気がします。
崖っぷち、おっかなびっくりの私。
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