Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2007年10月大分の旅

2011-05-09 21:24:38 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

その年の5月、体調の良くない母に代わりお墓参りに九州へ行った。その時、本家の伯父と一番下の叔父が湯布院に案内してくれた。

もう名前は忘れてしまったが、中心部から離れた静かな場所で一見した所普通の洋風の家で60歳前後の品の良い婦人が一人でされていた。居間にピアノが置いてあり、心地よいクラッシクが流れていた。その日はお庭に手を入れるとの事で閉められていたのだが、開けていただいたので客は私達だけだった。上記の写真はその庭から由布岳を映したものである。珍しい雲だったのでで撮った。

その時、「もし、今由布岳が噴火したら、此処は一発で駄目になるわね」と言ったら、伯父が昔別府湾に瓜生島という名前の島があり、地震で沈んでしまったと言う話しをしてくれた。

慶長元年1596年に直下型の地震があったという。

その話をノワタリさんに話すと、「行きます。秋10月に」と言われた。早速、幾つかの神社を選ばれ、その計画を立てた。その時点では分からなかったが、ノワタリさんがその時期に別府に行った事で二人の命が助けられた。決して大げさな話でなく。今気付いたのだが先祖のお蔭だ。墓参り行く事で助けられた事を。

さすが、宇佐八幡の在る所、八幡様を祀っている神社が多かった。若宮八幡社、宇佐八幡宮、宇奈岐日女神社、西寒田神社、雄城神社、天満鬼神社の予定である。

10月の20日今回は上天気、別府で妹と会い、大分空港でノワタリさんとウチダさんと合流してレンタカーで出発した。しかし、ウチダさんが「ナビの音声が出ない」とぼやいた。しかし、今回は土地勘が少しあるのでどうにかなると思った。

まず最初に杵築市の若宮八幡社、集落の中を走っていくとその神社はあった。鳥居の前にを置いてお清めしてお参りした。屋根の上の龍も立派であったが、とてものどかで穏やか空気であった。境内には私達だけだったのでゆっくり周った。

のどかな田園風景の中を宇佐神宮に向かった。

前回訪れた時は、蓮の花の季節で上宮は囲いがしてあり改装中だった。今回はとても鮮やかな姿であった。参拝者も多く、宗教団体のような集団も幾つか出合った。リーダーに従い同じ作法でお参りされていた。本宮の八幡様、神功皇后、宗像三女神だけでなく、住吉さん、大山積命、そのほか八幡様にゆかりのある神様達と、お社は多かった。

境内の東の端に弓削道鏡事件で有名な和気清麻呂が祀られている護皇神社、その上にその時御神託を伺った大尾神社があったが、私達は護皇神社を御神託を受けた神社と間違えて奥まで行かなかった。しかし、其処も草も伸びひっそりしていた。

護皇神社

そこで表参道にある食堂で遅い昼食をとり、湯布院の宇奈岐日女神社へ向かった。

宇奈岐日女神社

湯布院の町の中は何処も湧いた様に若い観光客が多く、間違って入ってしまい動きが取れなくなり、運転していたウチダさんは弱っていた。

やっとの事で神社に着くともう日は傾きかけていた。うなひめぎと言いそうだたが、かって湖だった湯布院を盆地に変えた女神でうなぎの化身とも、景行天皇の寵愛を受けた巫女だとも、高貴な巫女のうなじに飾った勾玉の名称とも言われると調べたら書いてあった。

夕方でも人が疎らにお参りされていた。ご祭神様は国常立命、クニサツチノミコト、ヒコホホデノミコト、ウガヤフキアエズノミコト、神武天皇、綏靖天皇で六宮神社とも言われるとの事であった。社務所に朱印を頂きに行くと、お留守でしばらく待った。

その日の宿は海岸近くの花菱ホテルでバイキング料理と冷たい、屋上の露天風呂と部屋からの別府の夜景を楽しんだ。その晩ホールで地元の人のジャズコンサートが在るとの事で聞きに行くと缶ビール付であった。

 


2007年7月白山登山と白山七社参りⅡ

2011-05-07 22:21:55 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌朝は日の出前に起床してご来光を待ったが、残念ながら曇っていてはっきり見ることは出来なかった。その間珍しい草花の写真を撮った。朝露に濡れて小さな花が清楚でかわいらしく足元に咲いていた。黒百合は以外に小さかった。

下山しようと外へ出ると、多くの人達がラジオ体操をしていた。駆け足で下り道を降りた。中飯場まで降りると、ボツボツと合羽を着たり、傘をさして登山してくるグループと出合った。どのグループも年配者ばかりであった。

別当出合いセンターでバスを待つ間、店屋で休み、先日の宿の永井旅館でゆっくり温泉に浸かった後、出発した。その頃には昨晩の暴風雨が嘘のように上天気であった。

途中手取り川沿いにある食堂に入ると、何か様子が変?テレビで新潟中越沖地震の被災状況を映していた。小松駅まで柏崎であるコンサートのチケットを持って前に座っていた女の子の事を思い出した。2日前の事なのでもう帰宅しているかもしれない。私達も食い入るようにニュースを見た。たぶん紅鱒?料理を食べたと思うが店内の様子とに気きを取られておぼろげである。

その後行き残した佐羅早松神社は国道脇の上にあった。そこを清めお参りしてから、本宮公園へ向かった。

駅近くの公園内を探して歩き、清めた。北陸鉄道石川線の駅の前を通ると、入り口に「自爆テロ注意!」と大きな看板が立ててあった。無人駅で人通りも無い所で自爆テロするバカはいないだろうとみんなで大笑いした。この線路は何処まで続くのだろうと思ったら、ウチダさんが以前、この電車に乗って御参りに来た事があるらしく教えてくれたが、JRと繋がってなく不便であった聞いた。

白山比神社に今度は駐車場のほうから今度は入り、ご挨拶をして出た。これで終了である。時間があるので近くの甘味処で一休みして出た。小松市内に入ってもまだ時間があるので周辺をで周っていると、この地方のお寺さんはたいそう立派で総本山のような構えであった。誰も思うことは同じでウチダさんも同じ事を言った。駅の近くは再開発されているらしく、囲いがしてあった。商店街に入り込むと、疎らで寂しくなっていた。

うろうろしていると、ノワタリさんが「早くしたほうがいいわよ。」と言われたのでまだ、充分時間があるのにと思ったが、駅でお別れした。

良くしたもので、地震でダイヤが乱れ、どの時間のものか分からないが、すぐに列車が入ってきた。これならば空港でゆっくりできるわと思っていたら、福井と滋賀之県境前から、進まなくなった。各駅停車のような有様だと思ったら、事故があったらしい。2時頃小松を出たのに新大阪に着いたのは5時半近くになっていた。この事だったのだろう、予定通り後の便に乗っていたらに乗れなかっただろう。

白山から帰った翌朝、事務所横の植え込みに数年前に切った木の株を台風の雨で地面が柔らかくなっていたのでのける事にした。

木も腐って柔らかくなっていて右半分は簡単に取れた。残った左半分は根が深く、花壇に右足を掛けて引っ張っていたらヒューンと体が飛ばされた。その瞬間スローモーションになり、横の水道に巻いてあったホースの中に右足が引っかかりそれを懸命に右手でホースを除けているのが見えた。気が着くと左手をアスファルトに付き、転んでいた。4,5m先で一部始終を見ていた知り合いは「『あ!折った』と思った」と言った。

確かに左手首の一番細い骨が折れており、見る見るうちに手はグローブのように紫色に腫れ上がった。この事で水泳をやめる決心が付いた。

数日前、9月の高知マスターズの参加を決め身を入れて練習しようと思っていた矢先であった。水の中でいろいろな物を憑けやすく、頭をつけると勘が鈍くなる事と、消毒液の入った水が体に良くないことを言われていたのでこういう時が来る事を覚悟していた。

ノワタリさんに伝えると、「上も粋なはからいだね~左手だったら、一番生活に支障が少ないからね」と言われた。

確かに足よりも右手よりも痛みが取れてくると動かせなくとも生活は出来た。近くの接骨院の指示で病院でレントゲンだけは取ったが毎日通院して治療をした。ギブスをすれば夏の暑さもあり痒くてたまらなかっただろうと思うが、毎日アルコールで拭いてもらいありがたかった。

そのせいで8月の富士山へ行く事は出来なかった。中の茶屋から御室浅間神社へ行かれたがその時コノハナサクヤ媛様は興奮なされていて「姫様落ち着き下さいませ、落ち着き下さいませ。」と何度もなだめられやっと落ち着かれたそうで、「危なかったのよ」と言われた。

 

 


2007年7月白山登山と白山七社参り

2011-05-06 21:03:59 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

ノワタリさんが先日、いよいよ菊理媛様のお出ましだと言われた。

その菊理媛様の祀られている白山とその七社参りに2007年の7月14日から16日に掛けて出かけた。

私は14日の朝1番で大阪からJRで小松駅に向かい、で来たノワタリさんとウチダさんと合流した。

まず最初に白山比神社のご挨拶から始めた。台風の影響で時折、小雨が降っていたが、緑が綺麗でとても落ち着いた感じがした。

その後、鶴来町でお清めの御神酒、水を酒屋さんで買おうとしたら、菊姫酒造のお酒で醸造酒のコンテストで外国で賞を取ったというお酒が目に入り、みんなで買い求め宅急便で送った。そのお酒は会員の店しか取り扱えないと聞いた。その通りは昔ながらのどっしりとした趣のある建物のお店が並んでいた。

金劒宮

岩本神社

笥笠中宮神社

金劒宮、岩本神社、別宮神社と清めて回り、山の奥のスキー場の横にある笥笠中宮神社を探して行った。なかなか分らず集落のお蕎麦屋で教えてもらいたどり着いた。雪深いらしくガラス戸の中に社はあった。私達はの中でそれぞれの神社の感想を話しながらその日の宿である白峰温泉へ向かった。しかし、私はこの笥笠中宮神社がとても印象に残っている。

登山口近くの永井旅館に着く頃にはもう雨は土砂降りになっていた。

台風にも関わらず、食堂の席は詰まっていた。海辺に住んでいる私には珍しい山菜と川魚料理でとても美味しく頂いたが、家に連絡しようとしたがは繋がらなかった。翌朝、宿の前から別当出合までバスが出ていてとても便利だった。

台風は夜中に通りすぎて、朝の内だけ少し雨が降っていた。私達は砂防新道の道を登った。

少し登ると合羽は暑く、雨も止んだのでTシャツになり登ったが、足元がぬかるんでいたりして急な坂道は結構きつい。台風の影響か登る人も少なかった。

何度も休みながら登ったが、視界が開けてくると眺望を楽しみながら歩いた。しかし、とても道幅の狭いところがあり、気をつけなければならなっかた。観光新道と合流すると少し人は増えた。眼下に周りの山々が見えてもなかなかたどり着かない。万年雪が見えてきたのでもう近いと思ったら、とてもゴツゴツした岩だらけの急な坂道になった。

それでも山小屋へ荷物を運んでいる若い男の子はヒョイヒョイと軽く飛び跳ねるように目の前を通り過ぎていった。

やっと室堂平のビジターセンターに着き、昼食を取り一休みしてから、神社にお参りして奥宮のある御前峯を目指した。

白山奥宮

そこでノワタリさんのお仕事である。しかし、何故かなかなか菊理媛様はお出ましににならずノワタリさんは問いかけておられた。

そして祈りが終わり室堂ビジターセンターに帰ったが、アルバイトの女の子が「台風でキャンセルになり今日はとても少ないけれど、前日の人は気の毒で暴風雨で大変だった。」とも言っていた。

ビールを飲んだり、コーヒーを飲んだりしたが、山小屋に泊まるのは初めての事でマイカップを持っておらず、カップ持参の人が多かった。記念にキーホルダーになっているベルを買った。夏とは言え寒く、だるまストーブの近くで温まりながら夕飯の時刻まで過した。

登っている間台風の影響はほとんど無かったが、夕方になると又、大雨になリ外に出る事は出来なかった。キャンセルが多かったので使用した宿舎も1つだけで使用された部屋も少なく、すきすきだった。

私たちの部屋は20人足らずだった。それもみんな中高年ばかりで、若い人は居なかった。

寝る準備をした後は何もすることが無く消灯までおしゃべりをしていた。60歳代の5,6人のグループは賑やかにトランプをしていた。登山に慣れているのかもしれない。

連日の悪天候で毛布は湿っぽくジトジトしていたが贅沢は言えない、使い捨てカイロを用意していて良かったと思った。

しかし、疲れも出ていたので早い消灯にも関わらず、眠りに落ちた。

 


宅急便!!

2011-05-05 08:34:50 | 日々のつぶやき

昨日の朝11時過ぎの事だった。

前日ノワタリさんに頼まれて送った鰹のたたきはいつ頃着くのだろうと気になり、ホームページで調べた。

「う~ん何これ」一瞬我が目を疑った。5月4日午前10時54分営業所を出て、到着予定は5月5日と記載されている。

一体どうなっているの5月3日正午前に近所のお米屋さんに持ち込んだ物がなぜ、1日も遅れてしまうのか???

ネットにある問い合わせにメールでその旨を伝えた。

お米屋さんに確認すると3日の午後3時前にはドライバーが持ち帰った事も確認し、送り状控えには5月4日届け予定と書いてある。

送り状控えのフリーダイヤルに怒り狂ってした。のんきそうな声で女の子が「5月4日受付の5月5日お届け予定です。」と言う、5月3日正午に持ち込み、生ものシール張ってあるものがなぜ、そうなるのか?鰹の鮮度は落ちてしまうのに…きつい口調で問い合わせると、「調べて後ほどご連絡します。」と言って切れた。

3日の朝、家の分も含めて隣町の道の駅に走ったが、お目当ての鰹のたたきは1本しかなく、目の前で鰹を4本焼いてもらった。前回買った時よりもちょっと高いなと思ったら「上物でお店の人が言うには油が乗ってるよ。」と言われた。

付け合せの野菜、農家の手作り野いちご大福、新種のキウイフルーツも買い、大急ぎで発泡スチロールの箱に保冷剤を2個入れて荷造し、持ち込んだ物だった。

ノワタリさんにその旨を伝えると、がっかりしたようだった。

しかし、なかなか返事は来ない。怒り狂っている私に対して、母は「弁償してもらえばいいじゃない。」と言って平然としている。でも腐っていなければそれは無理ではないかと思うが。

30分経っても連絡は来ない…。

昨年の夏の事を思い出した。同じ運送会社で前日大阪から送られた浄水器が翌日着になっているにも届かず、ずーっと1日中待ち続け、夕方ホームページを見ると「不在の為翌日配達予定」とある。

その時もメールを送り抗議した。再配達の依頼書も貰っていない事、ずっと3人共に在宅であった事を書いた。

夜、8時ごろドライバーから連絡があり、9時前に持って来た時、「お中元が忙しくて」と言ったが、それは手前勝手な言い訳である。

他の運送便でも大阪ならば、翌日の午前中に配達される。とても頭にきたのは故意に事実を歪め、その営業所の都合で嘘を書いている事だ。

たかが浄水器と思うかもしれないが、私の町の水道水ははるか四国山地の麓から管を繋ぎながら流してくるので水質が良いとは言えない。丁度冷蔵庫と浄水器が壊れて弱っていた時の事だった。

「あの営業所の所長って顔は見たこと無いけど良くないものね。」と母と話していると、連絡が来た。丁度1時間近く経っていた。

「ネットに書いてあったのは誤りで昨日出ていますから、今日のお届けです。」「何時頃、届きますか?」

「2時頃、向こうに届きますから、夕方までには」と言う。

わたし達は顔を見合わせた。絶対言っている事は嘘、嘘!

慌てて航空便にしたのだろうと思った。やはり、3時15分頃向こうの営業所に到着したと連絡があり、が羽田に着くのが2時前だと思った。

ネットで確認しなければ、鮮度は落ちて不味くなり残念な事になっていただろうと思う。

しかし、1年足らずの間に2度も抗議するとは嫌になってしまう。

ノワタリさんの夕飯までに届き、「鰹は美味しく、イチゴ大福ももちもちで柔らかく美味しい。」と満足そうな声でご家族と頂いたとが夜あった。

従兄弟達が小学生の頃、その運送屋の旗を見る度、「バ・ケ・ネ・コ・ヤ・マ・トのタッ・キュウ・ビ・ン」と歌っていたが、本当に化けて航空便になった。


連休の過ごし方

2011-05-03 21:15:59 | 日々のつぶやき

今年の連休は家のメンテナンスをしている。今日は浴室のカビ落としと天井のペンキ塗り、そして階段のコンクリート壁にパテを埋め込み補修、先日大館から帰省した友人のアドバイスに従い、食器棚のガラス扉にフィルムを張った。

3月に3階の騒々しい住人が引っ越していった。

しかし、予想を絶するほどの荒れ方で業者の手を借りて手直ししてもらったが私も連休には自分で出来る事はしようと決めていたのでこういう事になった。

後、タイルの目地の塗り替え、そして屋上から2階、3階の手すりの塗り替えが待っている。

3階の部屋の荒れ方はひどく、他人の物だとしてもこんな使い方をするとは信じられない。

部屋の建具はすべて壊れ、蹴ったりして扉と壁は壊れ、壁に落書き、釘だらけになり、障子ははがれ、襖には穴が開き、良くこんな所で生活が出来たものだと思うが、障子を貼る代わりにカーテンレールがあったのでカーテンをしていたらしい。出るときも掃除はしておらず、トイレは流されておらず、浴室はカビだらけ、台所は大して料理もしていないのに油でベタベタ、ベランダの排水溝は土で埋まり雑草がしっかり生えていた。私達家族は部屋に入っただけで頭が痛くなり、気分が悪くなった。

近所の人や知り合いのおばさん達数人が見てみんな驚いた。そのおばさんはトイレを見て、「終戦当時の駅のトイレみたい…」と言った。

壊れた書棚の扉を見て「『壊して、ゴメンナサイ』って言った?」とも言われたが、掃除すらしないので言うわけは無い。

今まで敷金を返してきたが、今回ばかりは足しがいる。不動産屋と業者と住人とでチェックして直す事にした。それまで、地震と部屋の荒れ方を目の当りにして少しウツ加減になっていた母は手直しされ、お掃除業者が来て綺麗なると大分落ち着いたが、「もう貸したくないわね」とつぶやいた。

「2,3が月しっかり風通しを良くして盛り塩をして清めてから、又貸したらいいわ。」と、ノワタリさんにアドバイスを頂いたので早速、各部屋に1キロの塩を盛った。

この写真の住人は女の子3人と男の子と母親だったが、こんなにしたのは女の子とお母さんである。だんなさんが「静に暮らしたい。」と言って出て行ったのも無理ない。こんな親に育てられた子供はどんなに成人するのだろう。先が思いやられる。