第一位は、K先生のご逝去です。この事件を抜きに今年を語ることはできません。
数年前、先生がガンの手術をされた時、私がバックアップにつきました。それから、ガンは落ち着いたもの・・・と考えていました。しかし、残念ながら、ガンは転移していたのですね。
お亡くなりになる前の日、私とN先生でお見舞いに行った時の「(ガンが転移して進行するのが)早すぎた。」「後は全部お任せします。自由にやってください。」と言う言葉が、今でも耳から離れません。
どちらかと言うと、「冷静でありたい。」「冷静であらねばならない。」と考えている私が、病院の廊下で泣いてしまいました。
私は、SRに参加していなかったため、SR中心の仕事はN先生へ。前から手伝っていた先を中心に、私が事務継承しました。それから、いろいろな事があったのですが、それらについてはいずれ書こうと思います。
ただ、これだけは言えるのですが、先生がおられなかったら、私は社会保険労務士界から離れていたかもしれません。それだけにお世話になった・・・と言う気持ちがあります。
私にとって、先生がお亡くなりになるのが早すぎました。(私の母親と同い年。) まだまだがんばっていただける歳でした。
後日談・・・葬儀の時の社会保険労務士会としての弔辞は、県社会保険労務士会の副会長にお願いしました。私がお願いしたのですが、この弔辞が名文中の名文でした。
数年前、先生がガンの手術をされた時、私がバックアップにつきました。それから、ガンは落ち着いたもの・・・と考えていました。しかし、残念ながら、ガンは転移していたのですね。
お亡くなりになる前の日、私とN先生でお見舞いに行った時の「(ガンが転移して進行するのが)早すぎた。」「後は全部お任せします。自由にやってください。」と言う言葉が、今でも耳から離れません。
どちらかと言うと、「冷静でありたい。」「冷静であらねばならない。」と考えている私が、病院の廊下で泣いてしまいました。
私は、SRに参加していなかったため、SR中心の仕事はN先生へ。前から手伝っていた先を中心に、私が事務継承しました。それから、いろいろな事があったのですが、それらについてはいずれ書こうと思います。
ただ、これだけは言えるのですが、先生がおられなかったら、私は社会保険労務士界から離れていたかもしれません。それだけにお世話になった・・・と言う気持ちがあります。
私にとって、先生がお亡くなりになるのが早すぎました。(私の母親と同い年。) まだまだがんばっていただける歳でした。
後日談・・・葬儀の時の社会保険労務士会としての弔辞は、県社会保険労務士会の副会長にお願いしました。私がお願いしたのですが、この弔辞が名文中の名文でした。