いまから55年前 ”東洋の魔女”と呼ばれた 女子バレーボールの回転レシーブは凄かった!
☆昭和39年(1964年開催)女子バレーボールが、東京オリンピックで金メダル獲得 日本中が歓喜しました。
いまでも名前は覚えてる バレーボールの監督は、”鬼の大松監督”
そして、女子バレーボール日本代表チームの主将の河西昌枝(かさい・まさえ)さん。 一番背が高かったっけ
☆当時 私は夢も希望もいっぱいある 女子高校生(いまでいうJK)でした(笑~ウフフ~)
もちろんTVでの観戦でしたが、日本選手団の赤いブレザーに白いズボンの入場式(もうカラーTVだったんですね)、空には五輪のマークの飛行機雲が、そして聖火台に選手が点火すると 鳩が一斉に飛び それはそれは いまでも心に残る演出でした。
☆現在放送中の大河ドラマ「いだてん~東京オリンピック噺」も来週で 最終回を迎えるそうです。
ドラマでは、当時の裏話がいろいろ出てきます。
当時の都知事は 東龍太郎さん=いまでも名前は憶えてる
ドラマでは、前半は マラソンの金栗さん、後半は 田畑さんが大活躍(お名前は知らないです)
∴代々木に選手村を作る事、国立競技場を作る事、東海道新幹線がオリンピック開会のギリギリの9日前に開通したこと、等々 皆さん精一杯に頑張ったんですね 今更 知ることが多かったです。
☆ちなみに
都立高校だった私達生徒に「オリンピック見たい人は?」と幾つかの競技があって、”ジャンケン”で切符を手に入れて授業中見に行った生徒もいました。もちろん無料
私はパス(今から思えば 観に行っとけばよかった 残念!)
∴そんな運動音痴の私でも、子育て時期には、子連れで、日曜日には”ママさんバレー”に参加してました。
試合の時には、殆どベンチ待ち(笑)でも、手作りのお弁当を食べたり、毎週日曜日の練習は楽しかったなぁ~~~
∴ちなみに 当時の相棒は、サラリーマンでして、日曜日は寝てましたっけ(笑)
昼近くに 私がバレーボールの練習から帰ってくると、お姑さんと相棒の機嫌が悪かった(笑)
現在の釣りキチは、きっと、この時の私の行動が影響してるかもね?
☆まだまだ続きがありまして、成長していく子供達も いつしかバレーボール部に入部して 頑張ってました!
それが一番の収穫でしたね。
そして、2020年の二回目の東京オリンピックまであと少し 頑張りましょう