1/19日曜日にいよいよ 明智光秀の大河ドラマが始まります。
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である
昨日、 Tv「偉人たちの健康診断 今回は明智光秀」のビデオを見て こりゃ大変だ~
いつもの小さいデジカメ持ってきて、パチリ パチリ 保存したんです。
以下は NHKHPよりお借りしてます。
本能寺の変の直前、光秀は普通ではありえない不可解な行動をいくつもとっている。それらを現代医学の目で検証すると、光秀が認知症を患っていた可能性が浮かび上がってきた。しかもその原因は、変の6年前に光秀を襲った腸の病にあるという。さらに、事件当日の光秀の動きを追っていくと「空白の3時間」があることが明らかに!この空白の時間を光秀の心理状態から読み解くと、驚くべき本能寺の変の姿が見えてくる。
びっくりしたのは、明智光秀は、認知症を患っていたらしいんですよ!
今でいうノロウイルスにかかってしまった光秀は、命も危ぶまれたけど、奥方様の看病で4か月で治りました。でも その後、奥方様は 病に倒れて亡くなってしまいます。
∴その6年後に 本能寺の変が起こったんだそうです。
時間の経緯的なものは デジカメに保存したのに~この件は後で
☆認知症にも色々あって、一番多いのが
①アツルハイマー認知症
次にウイルスが入ってたんぱく質が変化して、それが脳に届いて発症する
②レビュー小体認知症があるそうです。
③は血管が弱って認知症発症
明智光秀は、②のレビュー小体認知症を発症してたらしいです。びっくりです。
②の症状は、記憶力は衰えずですが、
イ、嗅覚が駄目になるので、料理などは難しい。
ロ、空間認知が難しくなる
ハ、脳にたんぱく質の塊が届くと、幻覚が起こるだったっけ?(定かではありません・・・)
織田信長の命令で、羽柴秀吉の応援に向かった光秀は、何とかの宿に着いたとき、右に行けは、京都の道、左に曲がれば 秀吉の援軍の三叉路の道で はたと止まります。
色々な考えがあったんでしょう。
ここで 三時間の空白の時間があるそうです。
∴その結果、ついに「敵は本能寺にあり!」
本能寺へ向かいました。
学者の先生は、人の心の中は分からないので、歴史上 起こったことだけを検証するそうです。
∴最後に、私の小さいデジカメ 行方不明なんですぅ~~~~~
何でやねん??
いまだに見つからず!
私も 認知症が近いのか??