今日は政府がコロナ禍の緊急事態宣言を出すというのに、世界の人々の健康を目指すことを目標とするWHO(世界保健機関)デーというのも皮肉なめぐり合わせである。
ちょっと曇ったりしているけれど、今晩はスーパームーンというのか、今年中で一番大きく見える満月を拝むのが楽しみである。家の黄色いフリージアも妍を競おうと待ち兼ねている。
きのうは福島の桜の名所が見頃を迎えたのに、コロナ禍騒動のせいで見物客が来ないのを残念がっているけれど、人間の代わりに神が御覧、見そなはしているから、そう嘆く必要はないとの趣意の歌を奉った。こういう混乱の時節には原初に立ち返って、進むべき方途を探る必要がある。そこで今回は人口に膾炙する日本書紀、古事記は遠慮して、斎部広成が我が国の成り立ち、由来を纏めて、時の天皇に献上した『古語拾遺』から学ぶ。有名な天照大神の岩屋隠れの場面は、思慮深い思兼神(おもひかねのかみ)の提案に従って、石凝姥神(いしこりどめのかみ)が天照大神の形をした鏡を作り、太玉命(ふとたまのみこと)が「綺麗な鏡が出来上がった。あなたの姿とそっくりです。ちょっと見てください(見そなはさむ)」と大声で呼び掛けたら、天の岩戸から御顔を出されたので、その隙にみんなで引っ張り出すことに成功した、とある。拙歌の様に、神に御覧になっていただくことがどれだけ大切なことかが分かる。
そもそも、天照大神が洞窟に隠れて天上界が、コロナ禍に覆われた現在の地球上みたいな大混乱に陥ったのは、弟の神である素戔嗚神(すさのをのかみ)が暇乞いに来た時に、神聖な儀式の場で糞をまき散らしたり、乱暴狼藉の数々を働いたからと説明している。もともと、人民をなぶり殺しにしたり素行が悪く、姉の天照大神に天上界から追放されたのを恨みに思っていたためとされる。この乱暴狼藉の中で、古事記や各書に出てくる「生剥」(いけはぎ)、「逆剥」(さかはぎ)という所業が気になる。古語拾遺によると、「生ける駒(馬)を逆剥ぎにして、室の内に投げ入る」と書いている。その残虐性もさることながら、映画『ゴッドファーザー』で、ドン・コルレオーネが言うことを聞かない男のベッドに、そいつの愛馬の首を断ち切って投げ入れさせるシーンとの類似性に思いを致してしまう。一家で面倒を見ていた芸能人が映画に出演して人気を回復したいと頼んできたので、力のある映画プロデューサーに口を利いてやったところ、拒否されたので報復したのだった。シーツを剥ぐと、血でベトベトのベッドの上に馬の首が出てきて、観る方もビビってしまう印象的な場面だった。コッポラ監督が原作者プーゾと脚本を仕上げる際、この日本神話の故事が頭に入っていなかったかと、つい想像してしまう。『古事記』では、天照大神の服を織る機屋の天井から逆剥ぎにした馬を素戔嗚が吊り下ろしたら、織女がびっくりして織機の角に陰部を突き刺して死んだ、と記す。『日本書紀』では、天照大神が儀式用の着物を作る機織り場に居るのを見て、素戔嗚が屋根瓦を破って逆剥ぎにした馬を投げ入れたら、驚いた天照大神が織機にぶつかって怪我をしたという。映画監督や小説家なら、アレンジして取り入れたい創作意欲を駆り立てるのではないかと思う。
鬼の首
獲ったつもりの
皮算用
非常事態を
収むは難く