今晩は五山の送り火。鳥居が一番やけど、やっぱり観光向けには大文字か。ビアホールでぐびっとやりながら観る「妙」「法」や左大文字は格別の味がする。他都市のデパートなどの屋上のビアガーデンでは、麦茶か小便を飲んでるのと違うか、と錯覚するくらいの差があるな。台風一過、よう燃えることやろう。戻りの炎暑で、ちょっと桃を買いに出掛けても、蝉の鳴き声が耳をつんざくくらい騒がしい。ホトトギスのように血を吐くまで鳴いて、灯篭に導かれて精霊が山に帰っていくのかもしれん。ホトトギスの口の中が赤いと言えば、「赤舌日」(しゃくぜつにち)という厄日について、『徒然草』が触れている。陰陽道で凶日の一つとされているけれど、吉田兼好は陰陽道では何とも云っておらず、昔の人はこの日を忌まなかった、と異を唱えている。「この日に起きたことは最終的に不首尾となる」「その日に言ったことや為したことは成就しない」などと、いい加減なことを言い囃しているけれど、誰かが最近言い出したことで、取るに足らないとしている。そのわけは、この世は移り変わりが激しく、有ると思っていた物も存在しなくなるし、始めがあっても終わりがないのが常である。原文では「吉凶は人によりて、日によらず」と締めている。
死ぬまで血を吐いて鳴くホトトギスの迫力に比べ、最近の猫は迫力が足りんわ。娘一家から一時預かりしている猫を、夏バテさせてはいかんと思うて、きのうはビンチョウマグロ、きょうはカツオのたたきを買うて遣ったけれど、嘗めるだけや。むかしは、猫飯というて汁掛けご飯でも魚の骨でも武者ぶりついたものやけど、最近の虚弱猫はカリカリしか見向きもせんようになった。あしたはちゅるちゅーるでも買ってきてやろ。猫について『徒然草』は、「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる」という物騒な話を紹介している。猫またの噂を聞いていた何阿弥とかいう坊さんが夜更けまで連歌をしての帰りに、何かが足元に寄って来てさッと首に飛びついた。てっきり猫またに襲われたと思い、大声で助けを求めると、近所の人たちが松明を持ってやって来てくれた。連歌で得た賞品などを取り乱して失くし、這う這うの体で家に帰り着いたけれど、よく見れば、飼い犬が主人の帰りを喜んで飛びついただけだったとか。
死ぬまで血を吐いて鳴くホトトギスの迫力に比べ、最近の猫は迫力が足りんわ。娘一家から一時預かりしている猫を、夏バテさせてはいかんと思うて、きのうはビンチョウマグロ、きょうはカツオのたたきを買うて遣ったけれど、嘗めるだけや。むかしは、猫飯というて汁掛けご飯でも魚の骨でも武者ぶりついたものやけど、最近の虚弱猫はカリカリしか見向きもせんようになった。あしたはちゅるちゅーるでも買ってきてやろ。猫について『徒然草』は、「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる」という物騒な話を紹介している。猫またの噂を聞いていた何阿弥とかいう坊さんが夜更けまで連歌をしての帰りに、何かが足元に寄って来てさッと首に飛びついた。てっきり猫またに襲われたと思い、大声で助けを求めると、近所の人たちが松明を持ってやって来てくれた。連歌で得た賞品などを取り乱して失くし、這う這うの体で家に帰り着いたけれど、よく見れば、飼い犬が主人の帰りを喜んで飛びついただけだったとか。
広沢の 池の灯篭 雅びなり
鳥居に浮かぶ 父母の面影
鳥居に浮かぶ 父母の面影
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