天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

本質意志

2022-01-16 07:55:03 | 日記

 トンガの火山が日本に津波をもたらし、その伝播の理屈が専門家ではよく予測できなかったという。ある者は、気が働いたと、武芸の達人の技のようなことを言う。要は経験則に基づく地味な科学は、湯川秀樹がある現象から起こるべき次の現象を予測したような天才性はなく、大半が後付けに過ぎないのだろう。

 その影響でか、今朝は東の空が御来光に伴いオミクロン色に輝いた一方、西の空は蒼白くデルタ色に沈んでいた。なぜ人は物事を対置して考えなければ落ち着かないのだろう。前に集中すると、後ろから斬りつけられるのではないかと不安になるのだろうか。一方を見て、他方を見ないのは浅慮という古人の教えに束縛されているのだろうか。

 前々に勤めていた会社の先輩から、そこをとっくに見切って辞めて事業を起こし、成功を納めた会社を売却し、さらに次の事業を模索している元同僚から遊びに来ませんかと誘われたと言い、一緒にどうかと連絡があったけれど、卒業して建て替えられた小学校の教室ほども未練が湧かなかった。会社の繋がりは、自分が食うため家族を養うためであって、よくぞ百姓の次男坊の間引き者を餓えることなく育ててもらって感謝し切れないけれど、それはそれ、既にゲゼルシャフト社会からゲマインシャフト社会に移籍してしまった者には、かつての統制が効かなくなってしまっている。鎌倉殿にいざ出陣とお呼びが掛かっても、もはや鎧兜刀剣は売っ払っちゃったもん。このゲゼルとゲマインの2律しかないのは、社会学の範疇では仕方ないのかもしれないけれど、個人を考察の対象に含めると、粗漏ではないかと思う。郷里を離れ都会に就業した者にはゲマインシャフトにも戻れなくなっている。むしろそれらの社会を形成する対立項の本質意志と選択意志に係わってきそうである。洗脳された選択意志を捨てて、赤裸々な本質意志に放り捨てられた今となっては、楽しい飲み会より目先の死の恐怖にしか目が向かないのである。と、二項対立からの離脱を試みたけれど、死の恐怖に向き合うに至って、結局は極楽往生か無間地獄かの二者選択の問題にぶつかってしまった。時はまさに全国共通テスト、人間はいつまでも択一解答のしっこくから抜け出せないものなのだろうか?

 

 

 



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